迷い恋、惑い愛。
星宮コウキ
「後悔しても遅いわよ、
秋の綺麗な夕日の差し込む教室。親友を待っていると、漆のように艶やかな黒いストレートの長髪を携えた、クール系の美貌の少女が教室に入ってきて、私に向かって言葉を発した。
「今日“あの子”に告白したから」
彼女は、私の待っていた幼馴染ではない。私は後ろで結っているハーフアップの髪を揺らし、声の主の方を向く。
「今日は仕事じゃなかったの? 中桐さん」
私と彼女は同じクラスで、今日の授業は公欠だったと記憶している。そのはずなのに、わざわざ教室にまで来ている。なぜここにいるのか、当然の疑問だ。
「うん。あなたに言伝するために来たの」
「話題の芸能人さまに直接会いに来てもらえるなんて、幸せだなぁ」
「茶化さないで」
彼女は私をまっすぐと見据える。それに対し、精一杯正面から返す。
「……なんで私に? 関係ないでしょ、あんたの恋愛事情なんて」
いちいち人の恋路に口を出すほど、常識知らずなわけじゃない。なんで私に聞くのかなんて、当然の疑問だ。
「あなただから、こうして伝えてるんだけど」
けれど、はっきりと自分の強い意思を持った視線に耐え切れず、私は目を逸らした。
「本当はわかってるくせに」
中桐さんの言葉を最後に、気まずい沈黙が私たちの間に流れる。……気まずいと思ってるのは私だけか。
そんな沈黙を破ったのは、勢いよく教室のドアが開らく音だった。
「ごめん、時間かかっちゃった……!」
肩にかかる、太陽のようなにおいがする栗色の髪を揺らす少女。制服の上からベージュ色のカーディガンを羽織り、見た目も溢れているオーラもふわふわとしている。小動物のように細かく、大袈裟に動く、本当に可愛い私の親友——
「ううん待ってないよ。帰ろ、咲茉」
咲茉が来てくれて助かった。私は親友の手を取り、逃げるように扉へ向かう。
「水柳あやせ」
中桐さんとすれ違った時、咲茉に聞こえないように小声で話しかけられた。
「……何さ」
「目を逸らしてるだけじゃ、なんの解決にもならないわよ」
なんのことだか。
返事をせずに、振り返らずに廊下を歩く。
「それじゃあまたね、潤葉さん」
「あ、中桐さん。えっと……また明日」
後ろから小走りに私のことを追いかけてくる咲茉の足音が、廊下に響いていた。
わかってる。
中桐麻里恵の行動の理由について、私はよく理解している。当然の疑問だ、なんて聞く必要もない。
彼女は咲茉のことが好きで、私を目の敵にしていると伝えてきたのが、ファーストコンタクトだった。
そして今日、彼女が告白した“あの子”とは咲茉のことで、私が咲茉の親友だから報告した。それだけのこと。——咲茉の一番大切な人と言う立ち位置を貰うぞ、と教えてくれただけだ。
一番の親友に恋人ができるのは無理、なんて私情に甘えるつもりはない。中桐麻里恵が言うように、後悔も、目を逸らしてるつもりもない。
それでも。
「どうしたの? あやせちゃん」
「んーん、なんでもない」
それでも、私の恋ではない何かは、失恋した。
***
水柳あやせ。
髪型は中等部の頃から一貫して変えていない。常に長すぎず短すぎずの長さを保っている。理由は、それが咲茉の好みだから。
シャンプーは蜂蜜の、自分でもわかるくらい良い香りをするものを使っている。理由は、咲茉と一緒に買ったお揃いだから。
制服の上に羽織っているカーディガンも、咲茉とお揃いのものだ。
咲茉と私はずっと一緒にいる。
ずっと隣で肩を並べて、これからも共に過ごしていく。
私が一番咲茉の事のことをよく知っていて、咲茉が私のことを一番よく知っている。互いが互いの一番で、幸せを共有し喜びを分かち合う。私たちはそんな理想の親友なんだ。
そのはずだったのに。
——“あの子”に告白したから。
咲茉に恋人ができたら、当然あの子の一番は私じゃなくなる。特別じゃなくなる。……それが嫌だった。
行き場のない
(私って、最低だな)
咲茉の幸せを願っているはずなのに、変な独占欲なんか出しちゃって。
そのくせ、何かしらの行動を起こす勇気もない。できるのは、私が今座っている『一番』の席を、黙って譲るだけ。
行き場のない虚しさと、どうしようもないやるせなさが、私の心をちくちくと陰湿に刺激してくる。
(『本当の』失恋した人は、もっと辛いんだろうな)
中桐さんと話した夜、私はちゃんと眠れなかった。
***
翌日。
いつも一緒に帰っている咲茉は、終礼のあとどこかに向かった。誰かに呼び出されたのだとか。中桐さんだ。
咲茉のことだから、一晩ちゃんと悩んで、向き合っただろう。中桐さんの片想いは晴れて叶い、二人は付き合い始める。
別にそこに後悔はない。……念を押すように、私はそう胸の中で唱えた。
咲茉に帰っててもいいと言われたものの、私は教室に残っていた。
自分の席に座って、何をするでもなく虚空を見つめながら考え事をする。
とうとう咲茉私だけのものではなくなってしまう。いやもともと独り占めしていた自覚はないけれど、少なからず親友の特権のようなものは感じていた。
それがなくなるとしても、私が中桐さんにどうこう言える筋合いはない。そんな資格がないのだ。
「何やってんだろ」
時間が無為に過ぎていくのを実感することほど、辛いものはない。それに関係の変わった咲茉たちと、校舎のどこかで鉢合わせても気まずくなるだけだ。
「あら、まだ居たの」
噂をすればなんとやら。下校準備を終える前に、中桐さんが教室に戻ってきてしまった。……咲茉はどうやら居ないようだ。
「話は終わったの?」
「じゃなきゃここに居ないでしょう」
「そりゃそうだ。……おめでとう、とでも言うべきかな?」
「あなた、本当にこれでいいの?」
気まずくて、なるべく視線を合わせないように身支度の続きをしながら話していると、中桐さんに肩を掴まれる。無理やり覗かされた彼女の瞳には、深い怒りが見てとれた。
「これでいいも何も……」
私は不満に思ってるところなんて一つもないよ。そう言葉を続ける前に、彼女の、今まで聞いたことないような低音にかき消される。
「潤葉さんのこと、本当に後悔してないのかって聞いてるのよ」
その一言で、私の頭の何かがプツンと切れた音がした。
肩に置かれた腕を振り払い、乱暴に言い放つ。
「……あんたに、何がわかるのさっ!」
こんなことするべきではない。頭ではわかっている。……わかっていた、さっきまでは。
今の私はブレーキが壊れ、ただ感情に身を委ねて溢れ出る言葉を無造作に紡ぐことしかできなくなっていた。
「最初から咲茉目当てで、失うものなんてないあんたに!」
「……」
「何とも思ってないわけないでしょ! 親友だもの!」
さっきまで圧のあった中桐さんは俯いて、おとなしく私の話を聞いている。
「咲茉は私の一番だよ、あなたも知ってるでしょう? 私は親友だから、あの子の近くにいられたの。親友だから、あの子の幸せを願って、隣で祝福してあげなきゃいけないの! 現状がベストなの! 後悔なんてしてるわけないじゃない!」
息の続く限り言葉を吐き出して、肩で息をする。
言葉にして初めて、自分が心に抱えていたものの全貌を理解した。
親友という言葉に、私は縛られ過ぎていたのかもしれない。
「だったらなんで、あんたは逃げるのよ……」
今にも消えてしまいそうな声が聞こえる。目の前の中桐さんがこぶしを握り締めて、下を向いていた顔を上げた。
「一番近くにいられるのに、なんで逃げるのよ!」
その瞳には、強い意思と涙が浮かんでいた。
「特別な立場があるのに! 私が欲しくて羨ましくてたまらない居場所なのに! 何を怖がってるのよ!」
「それは……」
「初めて話した時からそうだった。少し手を伸ばせば守れるのに、自分のエゴで勝手に身を引いて……!」
その場で崩れる中桐さんに、私は何も声をかけられなかった。
二人で教室の壁に寄りかかって、夕日が少し傾く。
「……断られたの」
「え?」
しばらく静寂が流れた後、中桐さんが口を開いた。
「あの子の中では、もう席が埋まってたみたい。ほっとけなくて、いつも一緒にいたい人がいるんだって」
「……」
私は、あの子とお揃いのカーディアンの裾を握りしめる。自分の認めたくない感情を、どうにか抑えるように。
「それでも水柳さんは、まだ逃げるの?」
壁に項垂れてる彼女の瞳には、さっきまでの意思の強さはない。その代わりに、弱々しく訴えかけてくる。
「私……は」
「……早く行ってきなさいよ! 多分あの子はまだ屋上にいるわ」
力は籠っていないけれど、その言葉は私の胸に響いた。
抑えていたものが溢れ出て、唇を噛みしめ、意を決して走り出す。
教室に残された啜り泣きを、私は背中で受け止めた。
「咲茉……!」
結構中桐さんと話していたような気もしたけれど、扉を開けるとまだフェンスに手をかけている私の親友の後ろ姿があった。
「あやせちゃん。……恋愛って難しいね」
咲茉は屋上から、秋の寂しさに染まる校庭を眺めている。
「みんなのことが好きだし、友達と恋愛の区別なんてまだわからないよ。でもね」
「……うん」
「でもね。何があったとしても、あやせちゃんとの時間は減らしたくなかったんだよね」
今まで悩んでいたり中桐さんとぶつけ合ったりした私の本心は、咲茉の言葉で暖かく解されていく。
あぁ、最初からちゃんと話せばよかったんだ。
「あやせちゃんだって、そう思うでしょう?」
「……うぅ」
見せないように我慢してきたのに、どうしようもなく涙が流れ出してくる。
「え、なんで泣くの!? えっと、ごめんね?」
「咲茉は悪くないもん……」
あたふたしながら宥めてくる咲茉に、どうにか息を整えて向き合う。
「あのね、咲茉。聞いて欲しいことがあるんだ」
怖がらずに話そう、私の
迷い恋、惑い愛。 星宮コウキ @Asemu
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