第87話 危険なお茶会


 「はあ……」

 「お嬢様、お気持ちは分かりますが、そんなお顔をなさらないでください」


 愛らしいお顔立ちなのに。困ったように告げるデイジーに、私は再びため息をつく。彼女には申し訳ないが、こればかりはどうしようもない。朝から憂鬱で仕方ないのだ。


 ついに今日、ジェームズ殿下主催のお茶会が開かれることとなった。いつかは来ると分かっていたけれど、気が重い。

 夏休み期間で全て忘れてくれないかと期待したのだが。そんな都合のいい話はないようだ。


 「御髪を整えますので、前を向いていてくださいね」

 「わかったわ……」


 憂鬱さから俯きそうになるのを、ぐっと堪える。彼女の邪魔をしないよう、ここは我慢しなくては。


 ここまでお茶会を嫌がるのには、理由がある。主催者からして面倒だというのは、ひとまず置いておこう。問題は別だ。


 先日届いた招待状。それが事の発端だった。

 招待状には、平服でご参加くださいと書かれていた。この一文が、波乱を呼んだのである。


 通常のお茶会ならば、ドレスアップするのが礼儀だ。

 しかし、ここは学園内。貴族令嬢と言えど、ドレス着用者がいない場所。

 それゆえ、この文は気遣いで添えられた一文とも読める。学園内での開催のため、変に迷うことがないようにという配慮にも思えた。


 とはいえ、通常時とは大きく異なる内容だ。念のため、ソフィーに当日の装いについて確認することにした。


 その結果、周囲は一時騒然となった。理由は簡単。ソフィーの招待状にはそのような一文が無かったのである。


 他のタンザナイト寮生にも確認した結果、この一文が付されていたのは私の招待状だけと判明した。これには、さすがの私も真顔になった。


 要するに、皆が正装で来る中、私に恥をかかせたかったのだろう。ジェームズ殿下がこのような手段を取るとは思えなかったが、その疑問もすぐに解決した。


 参加者への招待状を手配したのは、ブリジット嬢だったらしい。これは、ジェームズ殿下の側近候補であるイアンが証言している。

 それを聞き、杜撰な嫌がらせに呆れ果てたのは言うまでもない。


 ソフィーはすぐに抗議しようとしたが、私がそれを止めた。追及はできるだろうが、逃げられる可能性があるためだ。


 そもそも、招待状は彼女の直筆ではないのだ。代筆者が勝手にやったと言われればどうしようもない。その者が不当に処罰される可能性もある。


 かといって、私だって人間だ。あからさまな嫌がらせには不快感を覚える。

 これまで向けられ続けた悪意もあり、ただ我慢する気にはなれなかった。


 そんな私が選んだのは、完璧な装いで彼女の前に立つことだった。変に彼女を追及するよりも、彼女の思惑を正面から崩すことを選んだのである。

 

 「お嬢様、出来上がりましたよ」


 鏡に映っていたのは、美しく整えられた姿だった。

 髪はローシニヨンで纏められ、小鳥が舞う銀の髪飾りがあしらわれている。落ち着いた髪型だが、髪飾りのおかげで愛らしさがプラスされていた。


 ドレスは鮮やかなスカイブルーで、胸下から徐々に淡い色へと変わっていく。裾には純白の糸で作られた羽の意匠が散りばめられ、小鳥の髪飾りによく合うデザインだ。


 じっと鏡を見つめる。

 私は、今まで青を避けてきた。王家を連想させる色であり、父が嫌がるからだ。


 しかし、ブリジット嬢に一番ダメージを与えられるのはこの色だろう。王家を連想させる色に加え、彼女のイメージカラーでもある。彼女の髪色はもっと濃い青だが、それでも青という色を大切にしているのは同じだ。


 むしろ、自身の色を着られることにこそ、彼女は不快感を覚えるかもしれない。彼女には一つの疑惑がある。王家の青が持つ重要性、それを理解していないというものだ。


 「お嬢様、とても愛らしいです! 御髪の色と相まって、まるで一輪の薔薇のよう……」


 うっとりとした表情で言う彼女に、微笑んで礼を告げる。ピンクの髪に青のドレスは喧嘩しないかと不安もあったが、問題はなさそうだ。淡い色味だったことが幸いし、互いを引き立てあっている。春の空に桜が咲いているかのような色合いだ。


 「よし! デイジーがここまでしてくれたのだもの。ばっちり戦ってこないとね!」

 「応援しております、お嬢様!」


 まあお嬢様が負けるはずありませんが! そう言ってご機嫌に笑う彼女は、やり切ったような笑顔を浮かべている。

 彼女の努力と信頼に応えるべく、私も頑張らなくては。


 気を引き締めたところで、扉を叩く音がした。

 本日の護衛である、ルーファスが到着したようだ。普段は貴族の集まりを避ける彼も、学園内であれば気にしないらしい。ジェームズ殿下も気づいていないようだし、大丈夫だろう。


 「どうぞ」

 「失礼する。支度は終わっ……」


 予想通り、訪問者はルーファスだった。そのまま入ってくるかと思いきや、扉を開けたまま固まっている。

 一体どうしたというのか。小首を傾げて彼の名を呼ぶと、弾かれたように口を開いた。


 「あ、ああ。すまない。驚いてしまった」

 「あら、可笑しなところがあるかしら?」


 デイジーに完璧な準備をしてもらったと思うのだけれど。そう言うと、彼は首を横へ振った。


 「可笑しなところなどないさ。とても良く似合っている。あまりの愛らしさに驚いてしまうほどね。

 ……本当に、よく似合う。君に相応しい色だね」


 まるで天使みたいだ。眩しそうに目を細めて言う彼に、私は微笑んで礼を言う。少々気恥ずかしい賛辞だが、ありがたく受け取ろう。


 この色に相応しいという言葉だけは、引っかかるが。彼が言うからこそ余計に。


 とはいえ、似合っているというのなら喜ぶべきか。今日に限って言えば、それが目的の一つでもある。


 青を着こなし、人目を攫う。それはきっと、彼女にとって屈辱的なことだろう。私自身の評価を下げず、やり返すにはぴったりだ。

 必要以上の加害を加える気はないが、元はと言えば彼女が蒔いた種。多少の反撃は覚悟の上だろう。


 「二人からお墨付きをもらえたのだもの。大丈夫そうね」


 私はそう言って明るい笑みを浮かべると、ルーファスへ目配せをする。シンプルな黒のスーツに身を包んだ彼は、静かに頷いた。


 「ルーファス。お付き合いお願いね?」

 「任せてくれ」


 互いに悪戯な笑みを浮かべて歩き出す。

 さあ、お茶会に出陣だ。






 タンザナイト寮のサロン。初めて入ったそこは、深い青で統一された美しい場所だった。


 「まあ! シャーリー、とても愛らしいわ!」


 あなたに相応しいドレスね! 人々の話し声で騒めく場に、軽やかな声が響き渡る。

 室内は、既に招待客で賑わっていた。そんな中響いたソフィーの声に、辺りは一気に静まり返る。


 ソフィーに導かれるかのように、視線が私へ集中した。

 今だ。そう心の中で呟いて、自分にできる一番の笑顔を見せる。せっかくお膳立てしてもらったのだ、利用しない手はない。


 にこりと笑みを浮かべる私に、ソフィーも口角を上げる。ゆっくりと彼女の方へ歩を進めると、周囲から囁き合う声が聞こえてきた。


 「アクランド嬢だわ……!」

 「まあ、あれほど美しい青を着こなすなんて!」

 「天上のイメージでしょうか。軽やかな色に羽の意匠。聖女に相応しい清らかな装いですね」

 「彼女はとても素晴らしい人柄だと聞く。王家の青を纏うに相応しいな」

 「ああ、これほど似合う方はお見かけしたことがない」


 口々に語られる言葉に、私は内心で喜びの声を上げる。

 デイジーに協力してもらい、青は着ないという習慣を曲げてまで勝ち取った評価だ。やり切った甲斐があるというもの。


 とはいえ、戦いはまだ続く。気を引き締めなおし、ソフィーの側へ近づいた。


 「ご機嫌よう、ソフィー様」

 「ご機嫌よう、シャーリー。本当に、よく似合っているわ。まるで空におわす女神のようね」


 大聖堂の女神像を思い出すわ。そう告げるソフィーに、各席で同意の声が上がる。それを耳にしながら、私はにこりと微笑んだ。


 「お褒め頂き光栄です。

 ソフィー様もとてもお似合いです。艶やかなオレンジ色が、一層魅力を引き立てているように思います。エクセツィオーレの生地でしょうか?」

 「さすがシャーリー、よく見ているわね。どうしても欲しくて取り寄せたの」


 これほどの生地は中々手に入らなくてね、そう告げる彼女に首肯する。


 「それほど鮮やかなお色を出すのは難しいでしょう。かねてより鮮明な色味が愛された、あの国だから作れるものですね」

 「ええ、良い文化でしょう。もっと多くの人に知ってもらいたいわ」


 彼女が誇らしげに笑う。母親譲りの褐色の肌に、鮮やかなオレンジ色はよく映えた。金の髪も相まって、太陽の如き美しさである。


 「ジェームズ殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」

 「ようこそ、アクランド嬢。参加してくれてありがとう。

 とても美しい装いだね。君によく似合っている」


 そう言って微笑む殿下は、慣れたように賛辞の言葉を口にする。

 王族として様々な社交を行ってきたのだろう。最低限のマナーや振る舞いは教え込まれているようだ。


 しかし、そんな当たり前のことすらも、彼の婚約者は許せないようだが。


 ちらりとブリジット嬢へ視線を向けると、彼女は怒りの籠った瞳でこちらを見つめている。口元に笑みすら浮かべられていない。


 本当に、彼女はまともに社交を行っていなかったようだ。自分に優しい人々としか付き合って来なかったのだろう。不快感を隠す術、それを身につけていないらしい。


 「ご機嫌よう、コードウェル嬢。本日もお美しいお姿ですね。

 エメラルドグリーンのドレスが良くお似合いです」


 お二人の仲睦まじさが伺えますね。そう言ってにっこりと微笑みかけると、彼女は一瞬驚きに目を見張った。

 すぐに表情を切り替えたが、その微笑みが引き攣っているのは一目瞭然だ。


 「ありがとうございます、アクランド嬢。そう言っていただけて嬉しく思います」


 彼女は頬を引き攣らせながらも、何とかそう言い切った。

 とはいえ、私を褒める余裕は無かったらしい。少々残念な振る舞いだが、それも仕方ないだろう。彼女は今、予想外の展開に頭を抱えているのだから。


 私に公衆の面前で恥をかかせる目論見も外れ、青を纏う私へ賞賛が向けられている。冷静を保てないのも無理はない。

 

 彼女は殿下の瞳と同じ、エメラルドグリーンのドレスを着ているが。内心では、青にすれば良かったと思っているのかもしれない。憎々しげな表情が物語っている。


 私は皆に会釈をし、ソフィーの隣へ腰掛けた。嫌がらせの意趣返しは成功したようだと、ほっと胸を撫で下ろす。


 室内の最奥にあるこの席は、私を含めて7名が座っていた。

 私の両隣が、ソフィーとオーウェン。正面にジェームズ殿下とブリジット嬢。その脇をイアンとケンドール殿が固めている。

 何とも面倒くさい席だと、私は密かにため息をついた。両隣の二人と、後ろに控えるルーファスがいなければ、即座に帰りたくなるほどだ。


 「それでは皆、楽しんでくれ」


 ジェームズ殿下の声を皮切りに、お茶会が始まった。

 さすがは王族主催と言うべきか。どれもこれも一流のものばかり。学園内の催しとはいえ、入念に準備されたようだ。


 「改めて、今日は来てくれてありがとう。君と話が出来るのを楽しみにしていた」

 「光栄ですわ、殿下。このような機会をいただけたこと、心よりお礼申し上げます」


 にこにこと笑みを浮かべて笑い合う私たちに、ブリジット嬢の視線が鋭く刺さる。何とか口角は上げているようだが、悪感情が良く分かる瞳だ。


 「そう言えば、君はイアンと話したことはあったよね? まだ面識が無いのはアンソニーかな?」


 そう言うと、殿下はケンドール辺境伯のご令孫へ視線を向ける。それを受けて、彼は明るい笑みを浮かべた。


 「殿下のおっしゃるとおりです。

 はじめまして、シャーロット嬢。アンソニー・ドミニク・ケンドールだ。麗しき花と同席できて光栄だ」

 「ふふ、お上手ですね。

 シャーロット・ベハティ・アクランドと申します。お会いできて光栄ですわ、ケンドール殿」

 「ああ、そう固くならないで。アンソニーと呼んでくれていい」


 愛らしい女性なら大歓迎だ。楽しげにそう告げる彼へ、無言のまま笑みを浮かべる。

 女性好きなのか、自分の申し出を断ることはないだろうという自信家ゆえか。初めて会話する相手に、随分と気安いものだ。

 茶色の髪に同色の瞳。甘いマスクの優男といったイメージは、たしかに好まれるタイプかもしれないが。どうにも鼻につく。


 さりげなく断ろうとしたのだが、彼の発言に対し思わぬ援護射撃があった。何を隠そう、ジェームズ殿下である。


 「ああ、せっかくだからそうしよう。彼女は聖女、これから長い付き合いになるだろうしね」


 僕もシャーロット嬢と呼ばせてもらうよ。そう言って微笑む殿下に、私の笑みが固まった。

 この人、本気なのか。隣の婚約者の顔を見てくれ。とてもじゃないが許しそうにないぞ。


 「まあ、殿下。ありがたいお言葉ではございますが、そこまでお気遣い頂かずともよろしいかと。コードウェル嬢にも申し訳ありませんし」


 眉を下げ、頬に手を当てる。彼女のフォローをするつもりはないが、こちらとしても特段親しくする気はない。丁度いい断り文句に使わせてもらおう。


 そう考えて述べた言葉は、あっさりとかわされてしまった。


 「君は気遣いのできる女性なんだね。でも大丈夫さ。リジーには愛称呼びを認めている。それに、私の婚約者はそれほど狭量でもないからね」


 そうだろう、リジー? 問いかける殿下に、彼女は微笑みながら頷く。

 しかし、こちらを見る目は依然として剣呑なままだ。不快感がはっきりと見てとれる。

 どこからどう見ても狭量でしょう、と心の中で呟いた。


 結局、殿下の思いつきから名で呼び合うことが決まった。私とブリジット嬢すら名前呼びだ。嫌だと口にすることもできず、ただ従うしかなかった。


 そんな疲れるやり取りに、早くも疲労感が出てきた。

 今は殿下たちの話に、微笑みながら相槌を打つだけ。笑顔を保つのに苦労するほど、うんざりとした気分だった。


 「そう言えば、夏休みは大変だったみたいだね。ベント子爵領のことは聞いている。怪我は無かったかい?」


 そんな中、殿下が不意に話を振ってきた。あの件は国の一大スキャンダルだ。彼も気になっていたのだろう。基本善人な殿下としては、被害に心を痛めていたのかもしれない。


 「お気遣いありがとうございます。周囲の支えもあり、無事怪我なく終えられました」


 私の答えを聞いて、殿下は安堵の笑みを浮かべた。それに私も微笑み返す。こちらを気にかけてくれたのだろう。そこは素直にありがたく思える。


 そんな和やかな空気は、跡形もなく崩れ落ちる。壊したのは、ブリジット嬢の言葉だった。


 「さすがですね、シャーロット嬢。死者が出る中、率先して動かれたのでしょう? 私では、恐ろしくて見ることもできないわ」


 魔獣でも恐ろしいのに、死体なんて。そう告げる彼女の言葉には、どこか棘を感じる。


 たしかに、普通の令嬢なら動けない状況ではある。そんな中動いた私に、可笑しいと言いたいのだろうか。


 「魔獣討伐は聖女の役目ですから。私は本分を全うしたに過ぎません」

 「なんと立派なこと。恐ろしさを感じないのですね!」


 大袈裟に声を上げる彼女は、皮肉げな笑みを浮かべている。死体を見ても動じない、気味の悪い人間と言いたいらしい。「私にはとても考えられませんわ」そう告げると、手を口元で抑え、弱々しい表情を浮かべた。


 そのとき、私の胸に過ったのは明確な不快感だ。

 あの事件は、本当に凄惨なものだった。民の命が奪われたことも、失われた時間の長さも。

 決して、誰かを蔑むために利用していいものではない。


 「ご冗談を。恐ろしいに決まっているではありませんか」


 沸々と、私の胸に怒りが込み上げる。大概は流すことができるが、こればかりは許せそうにない。


 「民は苦しんでいました。7年以上もの間、誰にも助けてもらえずに。

 彼らが長年抱え続けた恐怖に比べれば、私の怯えなど取るに足らない話です」


 扇を取り出し、口元に当てる。

 ああ、本当に腹立たしい。自分のためならば、他者の悲劇すら利用する醜悪さ。あまりにも目に余る。


 「本当に、恐ろしいことです。ベント子爵領で起きた悲劇ですが、他領で起きていたとしても可笑しくはなかった。

 もしそうであれば、怖いと言う暇すらなかったかもしれませんね?」


 怖い怖いと騒ぎ立てることができるのは、あなたが安全圏にいたからだ。

 遠回しにそう指摘すると、彼女は顔を赤くする。身から出た錆だろうに、こちらへ怒りを向けるのはいかがなものか。


 「ああ、そうだ! リジー、ケーキの準備をしてもらえないか? せっかくだから皆に食べてもらおう」


 コードウェル公爵家のケーキは美味しいからね! 突然、殿下がそう口にする。さすがに場の悪さを察したのか。話題をガラリと変えることにしたらしい。


 失言を撤回させるか、謝罪させるか。彼女のためを思うなら、どちらかを選択すべきだ。

 しかし、殿下はそこに思い至らないらしい。こういったところが、彼の欠点か。


 殿下の声を聞き、侍女がケーキを運んできた。いつでも出せるよう、準備されていたのだろう。


 全員にレアチーズケーキが振る舞われる。ベリーソースがあしらわれたそれは、気泡もなく美しい出来だ。さすがは公爵家お抱えの料理人である。


 「これは僕のお気に入りでね、是非君にも食べてもらいたかったんだ」

 「まあ! それは期待感が高まりますね」


 殿下の言葉に、にっこりと微笑む。扇を畳み、フォークへと持ち替えた。これ以上彼女と話し合うだけ無駄だ。美味しいケーキと向き合う方が、よほど有意義といえる。


 フォークをケーキへ差し込むも、その手が止まってしまった。すんなりと刺さるかと思ったのだが、なぜか先へ進まない。

 固めのクッキーでも土台にしているのだろうか。そう思い力を入れようとしたときだ。


 突然、後ろから私の手が持ち上げられた。驚きのあまりフォークが机へ落ちていく。そのままカランと音を立て、テーブルに転がった。

 

 「食べるな」

 

 その直後、頭上から緊張感を帯びた声が降ってくる。

 見上げた先には、鋭い瞳でケーキを見つめるルーファスの姿があった。


 「オーウェン」

 「ああ」


 私の前にあった皿が、オーウェンの手によって彼の手元に引き寄せられる。

 そのままオーウェンがフォークを入れるも、やはり何かにぶつかったようだ。先に進む素振りはない。


 「失礼」


 オーウェンはそう言って、フォークでケーキを崩していく。普段なら絶対にやらない行為だが、非常事態と捉えたのだろう。躊躇う素振りは無かった。


 「これは……!」


 オーウェンの声に剣が帯びる。どうやら相当不味い状況のようだ。

 彼の声に導かれ、皆の視線がケーキの残骸に向けられる。


 そこにあったのは、小さな鈍色。鋭く研がれたナイフの刃だった。





 

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