第85話 眠れない夜を数えて


 「おや、珍しい客人だ」


 戯けるような声で迎えてくれたのは、この部屋の主だ。


 私はルーファスを連れて、学園長室を訪ねた。忙しいこの方が時間を割いてくれるかは賭けだったが、幸運の女神が微笑んだらしい。


 「突然の訪問となり、申し訳ございません」

 「かまわない、君たちのことだ。それなりの理由があるのだろう?」


 そこにかけるといい。勧められたソファーにありがたく腰を下ろす。学園長は向かい側のソファーへ腰掛けた。


 「アクランド嬢。君の夏休み課題は素晴らしいものだった。よく研究していたね」

 「ありがとうございます。まさかお読みいただいたなんて」

 「さすがに全ては見られないが、優秀者10名分までは目を通すようにしているんだ。

 だからこそ、あんなことが起こってしまったのは残念だ」


 学園長はそう言って表情を曇らせる。名前が塗り潰された件だろう。明らかな嫌がらせの跡があるのだ。学園側が苦々しく思うのも無理はない。


 「お気遣いありがとうございます。あまり落ち込まないよう心掛けるつもりです」

 「強い子だ。先生方にも注意するよう伝えているが、君も気掛かりがあれば相談して欲しい」


 何かあってからでは遅いからね。続けられた言葉は、優しさに溢れていた。

 

 「さて、今日はどういった用件かな?」


 一通り雑談が終わり、学園長が話を促してきた。


 今回、話すべき用件を知っているのは私だけだ。ルーファスには学園長室に行くとしか伝えていない。

 不思議そうにしていたものの、彼は何も言わず着いてきてくれた。行き先が安全だと分かるからこそ、口を挟まなかったのだろう。


 「はい。一つお尋ねしたいことがありまして」

 「ほう、一体どんな内容かな?」


 不思議そうにこちらを見る学園長に、私はしっかりと目線を合わせる。

 大丈夫、きっと答えてもらえる。心の中で小さく唱え、口を開いた。


 「オリエンテーションの際、侵入してきたイグニールの件です。

 あの魔獣は、今もこの学園に存在していますか?」


 私の言葉に、室内の空気がピンと張り詰める。ルーファスも用件を理解したのだろうか。こちらを真剣な表情で見つめている。


 「いえ、より正確に表現致しましょう。

 あのイグニールは、原型を留めていますか?」


 その言葉が後押しとなったらしい。学園長は深い息を吐き、立ち上がった。


 答える気はないのだろうか。そう思ったのも束の間、学園長は仕事机に置かれたベルを鳴らす。二度ベルの音を響かせると、ソファーへ再び腰掛けた。


 その間、こちらへ視線が送られることはなかった。瞼を閉じ、考え込むかのように腕を組んでいる。その口が開くことはなく、沈黙が場を支配した。


 どうしたものか。頭を悩ませていると、室内にノック音が響く。入って来たのは、飾り気のない格好をした男性だ。学園の職員だろうか。


 「三人分の夕食を持って来てくれ」

 「かしこまりました」


 短く返事をし、一礼して退室していく。どうやら部屋を追い出されることはないらしい。ぱちりと目を瞬くと、学園長が穏やかに微笑んでいた。


 「長い話になりそうだ。大広間での夕食には間に合わないだろう。若い君たちが食事を抜くわけにはいかないからね」


 そう言って笑う学園長に、私も笑みをこぼす。良かった、どうやら話が聞けそうだ。


 聖女という肩書きを持つ私に、第二王子殿下であるルーファス。二人揃っていれば、下手な誤魔化しはしないだろうと踏んでいた。他の生徒が同伴していれば、また今度と濁される可能性もあったが。二人だけだったのが功を奏したのだろうか。


 学園長は既に、ルーファスの正体を察しているはずだ。

 彼は優れた魔術師。ルーファスが彼自身の魔力と、魔道具の魔力を纏っているのは一目で分かっただろう。


 もっと言えば、陛下が手を回している可能性が高い。一年の大半を学園で過ごすことになるのだ。我が子の安全を確保するため、話を通すくらいはするだろう。


 また、そう仮定すれば入学当初の疑問に決着がつく。


 私たちの寮監であるトラヴィス先生。彼は元々、シアの護衛をしていた人だ。いわば、王家の守りを固める一人。


 そんな人間がなぜ、今年から教員として採用されたのか。シアの入学時ではなく、今年だ。陛下がジェームズ殿下のために用意したとは思えない。


 それが、唯一愛する我が子、ルーク殿下のためなら納得がいく。

 当然、トラヴィス先生を採用した学園長は、全て承知の上と考えるのが妥当だろう。


 「それでは、食事をしながら話をしようか。ディナーに相応しい話題ではないがね」


 三人分の食事が並べられ、改めて会話を再開する。水を向けられた私は、ゆっくりと口を開いた。


 「ご存じかと思いますが、先日、ベント子爵領にて魔獣の襲撃がありました」

 「ああ、聞いている。奇しくも、イグニールが現れたとね」


 学園を襲ったのと同種の魔獣だ。そう告げる学園長に、私は首肯する。学園長の言うとおり、何の因果かベント子爵領でもイグニールに遭遇した。

 とはいえ、同じ種であることはさしたる問題ではない。


 「私個人としては、イグニールであったこと自体は然程気にしていません。それよりも、別の類似点が気になります」

 「別の?」

 「はい。どちらも人の関与が疑われる点です」


 スプーンを持つ手が止まる。学園長は、顔を上げてこちらを見つめた。


 「ベント子爵領では、魔獣の自害が確認されています。生存本能を無視し、魔獣が自害するのは不自然です。本能すら無視する何か、その影響下にあったとみるべきでしょう。

 同様に、オリエンテーションの件も不可解です。

 学園の警備を掻い潜り、魔獣が侵入するとは考え難い。午後まで騒ぎにならず、潜伏を続けるなど不可能と言ってもいい。誰かが手引きしたと見るのが自然です」

 「たしかに、人の関与が疑われる点は共通している。

 しかし、学園内に侵入したイグニールは自害していない。ここはどう見るかね?」

 「簡単な話です。自害する隙が無かったからかと」


 私の脳裏に、オリエンテーションの記憶が浮かび上がる。メアリーがホイッスルを吹いた後のことだ。


 「あのとき、イグニールはトラヴィス先生の針を受けた直後、学園長によって凍らされました。瞬時に行動を封じられ、自害できなかったのでしょう」


 もちろんこれは推測に過ぎない。現状、同じ人間が関与しているという証拠はない。

 しかし、類似点がある以上、確認しないわけにはいかなかった。人為的に引き起こされた事件。ベント子爵領では死者も出ている。これ以上被害者を増やさないためにも、少しでも可能性があるのなら調べるべきだ。


 「ふむ。君の言いたいことは理解した。

 その上で聞こう。君は今、イグニールの身体はどうなっていると思うかね?」

 「どうなっている、ですか」


 私は一度口を噤む。それは私が学園長に質問した内容なのだが、先に予想を聞きたいのだろうか。

 重大事件に関する話だ。私に話しても良いのか、試されているのかもしれない。


 「私の予想では、原型を留めているかと。

 自害する暇なく凍らされたイグニールは、そのまま絶命。当然自害はできず、遺体は原型を留めていると考えます」

 「なるほど。凍らせた段階では仮死状態に過ぎず、後に爆発したとは考えないのだね?」

 「仮に爆発したのであれば、学園内で騒ぎになるでしょう。それが無い以上、自害は起こらなかったと考えています。

 爆発の衝撃を外に出さないほど、頑丈な場所に安置されているなら別ですが」


 私の言葉に、学園長は破顔する。そんな場所が作れるなら是非作りたいものだ! そう言って一頻り笑った後、彼は目を細めて語り出した。


 「君の予想は半分当たっていて、半分外れだ」

 「半分……?」

 「学園長、どういうことです?」


 半分とは何を指すのか。私が唖然と声を漏らすと、ルーファスが聞き返してくれた。今までは見守りに徹していたが、口を挟まずにはいられなかったようだ。

 学園長の言葉は、直接的な表現を避けているように思える。それが気になるのだろう。


 「すまない、曖昧な表現になってしまったね。とはいえ、この場で口にすることはできないのだ。


 さて、君たちに選択肢を与えよう。

 一つは、私が伝えた言葉を答えとし、部屋に戻る。

 もう一つは、目の前の食事を平らげ、私と共にある場所まで同行する。


 私としては一つ目を強くお勧めしよう。君たちの選択を無視する気はないがね」


 突如出された選択に、私とルーファスは互いに顔を見合わせる。

 話し合う必要はなかった。選ぶべき選択肢は、一つしかないのだから。


 





 石畳の階段を降りる。静かすぎる空間に、三人分の足音が響いていた。

 ここは地下へと潜る階段。窓が存在しないだけでなく、灯りすら備え付けられていない。この場を照らすのは、学園長が手にするランタンのみだ。

 私が怪我をしないようにという配慮から、ルーファスは私の手を取り歩いている。


 「さて、君たちは我が学園の守衛に求められるものを知っているかね?」


 先頭を歩く学園長がおもむろに問いかける。それに答えるのはルーファスだ。


 「たしか、魔術のみでなく武にも優れる者でなければならないと聞いています。学園で優秀な成績を修めた者に、声がかかることもあるとか」

 「その通りだ。その理由は、もう分かるね?」


 学園長は振り返り、私に目配せをする。答えを聞かせろということだろう。私は一つ頷き、口を開いた。


 「この地下空間が、守衛室の下にあるからですね?この場所を破られることがないよう、優秀な人材を求める。学園の卒業生であれば身元もはっきりしていますし、外部から雇い入れるより安心でしょう」

 「素晴らしい! 満点の解答だ」


 解答がお気に召したのか、学園長は嬉しそうに笑う。そして、この地下空間について説明してくれた。


 「この場所は、校舎内の研究室では扱えないもののために用意されている。

 ああ、先に言っておくが、何も非合法の研究というわけではない。表立って扱いづらいというだけだ。想像はつくかな?」


 次々と問いを投げる学園長に、講義中かと錯覚しそうになる。まるで、臨時授業を受けているかのようだ。


 「魔道具関連でしょうか。我が国の魔術研究院は魔道具に否定的です。

 この学園は王家主導で設立されたため、王家の意向を組み、魔道具の研究は許可されております。

 ですが開発となれば話は別でしょう。研究に留まらず、開発や生産まで行うのなら、校舎内の研究室は使わない方がいい」


 ルーファスがそう返すと、学園長は満足げに頷く。

 その後、すぐに表情を一変させてため息を吐いた。研究院には困ったものだと嘆きの声が聞こえる。


 魔術研究院は、魔術師こそ至上と考える組織だ。

 だからこそ、魔術師なくして魔術を行使できる魔道具は、彼らにとって許し難い存在だった。

 研究だけならば王家の顔を立てて目溢しするが、開発や生産までは認める気がないらしい。


 万が一開発が露呈すれば、睨まれるどころか妨害が入る可能性もある。当然糾弾もされるだろう。

 そうなれば、関係者は国内での活動が困難になる。魔術師として動きたいのなら、他国へ渡るしか道がない。


 そのような弊害を避けるため、地下に研究室を作ったようだ。研究室と名付けているが、実際は開発や生産に使用されているとみていい。


 「さて。ここからは研究区画になる」


 長い階段だったが、最後の一段がやってきた。

 私たちの前には、大きな両開きのドアがある。ここから先に研究室があるようだ。

 学園長が扉を開け、その後に続き私たちも扉をくぐる。


 目の前に一本の廊下が現れた。左右に二つずつ扉があり、廊下の突き当りにも扉が一つある。どうやら、地下空間には5つの研究室が用意されているらしい。


 「では行こう。用があるのは、正面にある研究室だ」


 学園長の指示に従い、突き当りまで歩を進める。

 正面の扉からは、異様な雰囲気を感じた。部外者が入ることのないよう、徹底した管理がなされているらしい。扉には5つの鍵が取り付けられており、物々しい印象を受ける。


 学園長は鍵束を取り出すと、一つずつ解錠していく。ガチャリ、と鍵の開く音が響く度に緊張感が高まっていった。

 最後の鍵を開けた後、学園長がこちらへ振り返る。扉は未だ、閉ざされたままだ。


 「これから室内へ入る。……気分のいいものではない。心しておくように」


 その言葉に、私はごくりと息をのんだ。

 学園長は、部屋に戻ることを勧めていた。その上、ここでも念を推しているのだ。きっと、凄惨な光景が待ち受けているに違いない。


 ぽん、と私の肩に手が置かれる。ルーファスだ。顔を上げると、心配そうに私を見る瞳とぶつかった。


 「イグニールの現状は不明だが、この先に遺体が待っていることは変わらない。君が見なくとも、俺が確認してこよう。

 ここまで来ただけでも立派だ。普通なら俺に命じるだけで良かったのに。

 これ以上は、人に任せてもいいのでは?」


 その言葉は、私への配慮だった。薄暗い地下を進むだけでも、精神的な負担はある。

 ましてや、遺体の安置場所を目指してきたのだ。平常心でいられるはずもない。


 それでも。私は首を横へ振る。

 彼が嘘の報告をするとは思わないが、自分の目で見ることも必要だ。あの惨劇を繰り返さないために、私も動くと決めたのだから。


 「ありがとう。でも大丈夫。一人じゃないもの」


 お願いね。そう告げる私に、彼は眉を下げて笑った。


 任せてくれ、返されたのはたった一言。

 けれど、その言葉には複雑な感情が込められているのを感じた。


 きっと、彼は私がこの場に残ることを望んでいる。わざわざ凄惨な光景を見なくていい、傷つく必要はない、と。


 それでも、私の意思を尊重してくれた。歯痒さも全て飲み込み、私の願いを聞き入れてくれたのだ。

 見るなと言いたいだろうに。黙って支えてくれる彼に、もう一度礼を言う。


 彼は何も言わず、優しく私の背を叩いてくれた。


 一つ息を吐き、学園長へ目配せをする。話が纏まるのを待ってくれたようだ。私の視線を受け、ドアノブに手をかけた。


 閉ざされていた扉が、鈍い音と共に開かれる。中は薄暗く、わずかばかり肌寒さを覚える室温だ。

 魔道具が作動しているのだろうか。静かな部屋に機械音が響いている。


 部屋の中央に透明な円柱が置かれていた。

 その中には、凍ったままのイグニールが収められている。

 ただし、記憶にあるものとは変わり果てた姿だった。


 「……これは、」


 どちらともなく声を漏らす。

 イグニールの遺体は、一部欠損していた。まるで脆く崩れ落ちたかのように、至るところが抉れていたのだ。剥がれた、とも言えるかもしれない。


 「分かったかね?」


 その声が耳を打ち、弾かれたように振り返る。両腕を組み、壁際に寄りかかった学園長は、私たちを見つめていた。


 「アクランド嬢。君の予想は半分正解だった。爆発もなく、原型を留めていると言える範囲だ。

 だが、欠損箇所はある。見て分かるように、崩れ落ちてしまったわけだ」


 さて、ここで一つ確認しよう。学園長が一本の指を立てる。その表情に穏やかさは一切ない。


 「イグニールの欠損理由は何か。

 一つ補足すると、イグニールの解剖等は行っていない。正確に言うのならば、行えなかったというべきかな」


 欠損は解剖によるものではないようだ。解剖を行えなかったと表現しているあたり、ハプニングが起きたのだろう。

 むしろ、遺体の損壊こそがハプニングだったのか。


 なぜ一部欠損しているのか。

 この光景から予想は既についていた。


 到底、私が理解できる範疇を超えているけれど。この事象が理解できないのではない。なぜこんなことができるのか、それが分からなかった。

 自身の道徳に反するものを突き付けられ、心が拒絶反応を起こしている。


 それを示すかのように足が震え出す。必死に押さえ込むけれど、全てを隠すことはできなかった。


 そんな私の腰にルーファスの腕が回される。へたり込みそうな私を、支えてくれるようだ。強く引き寄せられる力に、安堵の息を吐く。

 一人ではない。彼の優しさに、答えなくては。


 「あの日、イグニールは学園長の手で氷漬けになりました」


 冷静を装い、口を開く。内心で駆け巡る嫌悪感を抑えながら、声を荒げないようにと努めた。感情的になることに意味はないのだ。


 二度も起きた襲撃、同じ人間の関与が疑われる状況。三度目がないとは思えない。犯人の意図は不明だが、満足するまでやるだろう。

 被害を防ぐためには、全てを知り、解決するしかないのだ。それがどれほど不快な事実でも。


 「起きるはずのない事件です。すぐに調査を始めたことでしょう。人の関与が疑われる以上、解剖も視野に入れたはず。

 全ての準備が整ってから、魔術を解除したと考えます」


 にもかかわらず、解剖できなかった。思いがけず遺体が崩れ出したからだ。


 「氷漬けの解除と同時に、遺体が欠損。崩れていく遺体を保護するため、再び氷漬けにした。

 円柱の台座にある魔道具。あれは、学園長が魔術を維持しなくて済むように設置したのでしょう。魔道具さえあれば魔術の展開は可能ですから」

 「そのとおりだ。ではアクランド嬢、事の発端はどこにある? 氷漬けを解除した途端に、イグニールの遺体が崩れ落ちたのはなぜだ?」


 私は一度瞼を閉じ、息を吐く。

 胸を覆うのは嫌悪感だ。所詮私の価値観に過ぎないのだとしても。ふざけるなと叫び出したくなった。


 「このイグニールは、最初から死んでいたのでしょう」


 安寧の眠りを奪われた獣は、未だ土に還ることすら許されずにいる。

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