第57話 ゴールテープと赤い花


 「君って、」


 石造りの建物内は、薄暗い。所々に置かれている灯りがなければ、歩くのもままならなかっただろう。中に人気はなく、恐ろしく静かだ。

 唯一響くのは、自分たちの足音だけ。建物の雰囲気に飲まれているのか、誰もが口を閉ざしていた。


 そんな中、ぽつりとルーファスが声を漏らす。視線を向けると、彼もこちらを見ていた。君、とは私を指していたのだろう。私に何か言いたいことでもあるのだろうか。


 なに? と聞き返すも、彼は難しい顔をして黙り込む。言いよどむとは、珍しい。いつもあれだけ軽口を叩くというのに、一体どうしたのか。


 人が近くにいると話しづらいことだろうか。少し速度を落とし、彼へ近づく。左右を歩くメアリーたちも察したようで、私たちから距離をとってくれた。


 もう一度彼へ視線を向ける。無言で先を促すと、彼はどこか緊張した面持ちで口を開いた。


 「君は、あぁいう男が好みなのか?」

 「はい?」


 思いもよらない言葉に、私は素っ頓狂な声を上げる。何か重要な話でもあるのかと思った矢先に、これだ。予想外の質問に、訝し気にルーファスを見る。


 「いや、ジュード……さっきの男には、やけに好意的なように見えたからね」

 「うーん? まぁ、好印象な人ではあると思うわよ?」


 にっこりと笑みを浮かべて尋ねる彼に、私はジュードとのやり取りを思い出す。


 美しい外見に、友好的な態度。女性への気遣いもあり、いわゆるモテるタイプの男性だ。まだ少ししか話しておらず、詳細は不明だが、第一印象が良いのは事実だ。


 とはいえ、好みかと言われると首を傾げてしまう。芸能人をかっこいいと思うような感覚だろうか。例えファンと呼べるほどではなくとも、この俳優かっこいいな、と思うことはある。私がジュードに抱く感覚としては、それが適当か。中身も知らない状態で、好きも嫌いもないだろう。


 「好みかと聞かれると、分からないわ。まだ少ししか話していないし、性格が分からないもの」

 「そういうものか。君は一目惚れとかしないタイプかい?」

 「したことないわね」


 前世でも一目惚れをした経験はなかった。顔の良さが、必ずしも恋へ発展するとは限らない。


 もちろん、かっこいいと思う相手はいた。その上で、好きになるかどうかはその人の中身次第だ。

 この傾向は、キャバクラで働き始めてから強くなった。世の中には色んな人がいる。どんなに顔が良くても、ろくでもない人間はいるものだ。


 「大体、顔が良いだけならあなたがいるでしょう」

 「え?」


 そう、本当に顔の良さだけなら、ルーファスも十分美しい。なお、中身については触れないものとする。


 「あなたもオーウェンも、一般的に美形と言われるタイプでしょう? ジュード様も確かに美しい容姿をしていたけれど、それだけで好きにはならないわよ。

 それなら、私はあなたにもオーウェンにも恋をしていなければ可笑しいじゃない」


 だが、そうではない。二人ともいい人だと思っているけれど、それが恋だとは思わない。

 結局のところ、好きになるにはそれなりの理由が必要なのだ。言葉にできないような何か。それがかみ合ってはじめて、恋になるのだと思う。一目惚れと聞くとロマンティックだと思うけれど、私には向いていないようだ。


 「……そうか」

 「ルーファス?」


 口元を抑え視線を外す彼に、私は首を傾げる。てっきり、「俺の顔はお気に召したようだね」とか言って笑うものだと思っていた。この男は謙遜というものを知らないのだ。それに見合うだけのものを持っているため、何も言えないけれど。


 ルーファスは、外見のみでなく実力も一級品だ。それに見合う努力もしている。それで自信がなければ、ある意味嫌味ともいえるだろう。そういう意味では、バランスが取れているのかもしれない。

 

 「聖女様、そのあたりで勘弁してあげてください。存外、その男にも可愛いところがあるのですよ」

 「オーウェン!」


 少し前を歩くオーウェンが振り返る。彼が告げた言葉に、ルーファスは声を荒げた。それを見て、オーウェンは声を上げて笑う。この二人は互いに仲が良い。言葉がなくとも通ずる何かがあるのだろう。


 「ふふ、お二方は仲がよろしいようですね」

 「えぇ、遠慮のないやり取りが、より仲の良さを感じさせますね」


 メアリーとヘレンは二人の姿を見てのんびりと笑っている。気の置けない間柄、というのだろうか。ルーファスたちは、互いにあまり遠慮がない。言いたいことを我慢せず言えるというのは、仲が良いからこそできることだろう。


 「さて、おふざけはここまでにして。どうやら分岐点のようです」


 オーウェンの言葉に、意識が切り替わる。

 彼らの側に近づくと、その先は二つの道に分かれていた。分岐点には、美しい彫刻が施された柱がある。草花を意識しているのだろうか。モチーフのついた柱は、芸術品のような美しさだ。

 その柱には、ある文が彫られている。


 「『いかなるときも冷静に、それを尊ぶ者は右へ。たゆまぬ努力を惜しまない、それを尊ぶ者は左へ』

 学園長がおっしゃっていた、とはこのことか」


 ルーファスの声が、静かな廊下に響く。

 おそらくだが、これは個々の考え方についての問いではないだろう。寮監による合否判定がある以上、明確な答えがあるはずだ。


 「進んだ先で、何かを持って帰ると言っていたわね? それを合否判定者に見せるということは、どちらの道に進んだか分かる物を置いているはず。

 そして合否判定ができるのなら、明確な基準がある。個人の価値観、それを当てはめるべきではないでしょうね」


 私の呟きに、ルーファスは口元を緩ませる。そのまま視線をこちらへ寄越すと、「ではどちらだと?」微笑みながらそう問いかけた。


 「オーウェンは右、私たちは左よ」

 「ふむ、異論はないな。俺も同意見だ」


 微笑む顔は自信に満ちている。ならば、私の選択も間違いではないだろう。互いに頷き合うと、三人の方へ視線を向けた。


 「これは宝石言葉をもとにした問題だろう。タンザナイトの宝石言葉は、高貴や冷静。スピネルの宝石言葉は、努力や発展だ。これなら個人の価値観など関係なく、合否の判断がつく」

 「なるほど。その考えならば客観的な合否判定も可能か。

 聖女様やルーファスの予想通りであれば、誰が判定しても明確な合否を決められる。自分もその案に賛成だ」


 オーウェンが同意すると、メアリーたちも頷いた。特段異論はないようだ。私たちは互いに頷き合い、二手に分かれた。最後の問題、その終わりはすぐそこにある。

 

 






 「お、戻ってきたか」


 全員で再度合流し、建物の外へ出る。中が暗かったせいか、外の日差しが眩しく思えた。木々が生い茂る森の中だ、本来なら眩しく思うことはないだろう。建物内がどれほど暗かったのか、改めて実感した。


 「よし、持ってきたものを見せてもらおうか?」


 よいしょ、と声を出しながら立ち上がるトラヴィスに、やる気という文字はない。本当に切り株に座ったままだったのかと、一周回って感心した。普通生徒がいる前でそこまでだらけることができるだろうか。共に待っていたのは、学生のジュードだというのに。


 そんなことを考えながら、全員で手を差し出す。全員の手に乗っているのは細身のバングルだ。オーウェンのバングルが金、私たちのバングルは銀でできている。


 バングルに特段の飾りはない。金ないし銀のプレートでできたシンプルなバングルだ。いくつか窪みがあるものの、それ以外は何の特徴もない。

 

 「ん、問題ないな。全員合格だ。そのバングルはお前たち自身の物になる。無くすんじゃないぞ」

 「トラヴィス先生、このバングルは一体……?」


 ヘレンが緊張の面持ちで口を開く。その瞳はきらきらと輝いていた。彼女の興味は今、このバングルに注がれている。熱量が伝わったのか、トラヴィスは苦笑しながら答えた。


 「それはお前たちを補助する物だ。要は、魔術行使の手助けをする補助道具だな。人によって何を使うかは様々だが、学園では一律バングルを使用する」


 卒業した魔術師は、杖や剣、ロッドなど、様々な物を使用している。もちろんバングルを使用する者もいるが、護身のために持つ武器と兼ねる者が多い。


 だが、ここは学園。基本的に危険物の持ち込みは認められない。それもあり、武器になるものを持たせずに済むよう、バングルを支給するのだそうだ。


 「あくまでも、ここは魔術学園だからな。魔術の実力を伸ばすための場所。常時武器を携行させるわけにはいかない。そういった理由でバングルが支給されるんだ」


 三年間は使うものだから、大切にするように。その言葉に、全員で頷いた。

 何はともあれ、これでオリエンテーションは終了だ。

 

 「お前たちは無事合格。今日はもう自由時間だ。お茶でもしてくるといい。アクランドは何やら美味しそうな物を持っているしな?」


 トラヴィスの目が、私が持つ水色の箱へ移動する。先ほど学園長から頂いたお菓子だ。せっかくいただいたものだし、トラヴィスの言うとおりお茶にでもしよう。


 トラヴィスとジュードへ挨拶をし、私たちは森を出ることにした。オリエンテーションが無事終了したこともあり、気持ちがすっかり軽くなる。


 和やかに談笑しつつ歩いていると、どこからか声が聞こえてきた。その声に続いて、木の葉を揺らす音が響く。


 「そろそろ他の皆様も最終課題に向かわれるのでしょうか」

 「時間的には人が来てもおかしくないですね」


 メアリーとヘレンは穏やかに笑い合う。それに、私は返事を返すことができなかった。オーウェンとルーファスも同様だ。


 「オーウェン、ルーファス、警戒を」

 「お任せください」

 「任せてくれ」


 私の指示に、速やかに二人が返事をする。それを聞き、メアリーとヘレンは弾かれたようにこちらを見た。

 説明をしたいところだが、どうやらその余裕はなさそうだ。


 甲高い悲鳴を合図に、私たちは走り出す。一拍ほど遅れて、メアリーとヘレンも駆け出した。

 距離はそう遠くない。耳に届いた悲鳴に、急かす心を抑えながら足を動かす。


 「ジェイミー!」


 木々を抜け、たどり着いた直後のこと。止める隙もなく、視界に赤い花が舞う。


 倒れる金と、駆け寄る青。その姿は、まるで物語の一幕を観るようだった。



 

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