第31話 静かなる問いかけ
「はじめまして、聖女様。本日より従者としてお側につきます、ルーファスと申します」
「同じく、従者に任ぜられました、オーウェン・リック・ヴァレンティと申します」
暑い夏と別れを告げ、涼しい風が木の葉を揺らす秋。いわし雲が浮かぶ空の下で、私は新たな出会いを迎えていた。
目の前で膝をついているのは、従者として紹介された少年二人だ。
一人がルーファス。彼はミルクティーブラウンの髪を持つ美しい少年だ。
髪の長さは耳が隠れる程度で、さらさらと風に靡いている。焦げ茶色の瞳は眼鏡で覆われており、知的な印象を受けた。
もう一人のオーウェンは、ミステリアスな雰囲気を持つ少年だ。
黒の髪は短く、耳にかからない長さとなっている。彼の瞳は赤い色をしており、それが一層彼をミステリアスに見せていた。
「ご丁寧にありがとうございます。シャーロット・ベハティ・アクランドと申します。未熟な身ではございますが、どうぞよしなに」
私の言葉に、頭を下げる少年たち。おそらく、年齢は同い年くらいだろう。
そんな彼らの姿をみて、大神官は満足気に微笑み顎を撫でた。
「うむ。これからしっかりと聖女様をお支えするように。
聖女様、今後は様々なところに出向かれることが増えるでしょう。その際、今までどおり教会の騎士をつけますが、彼らも共に向かうこととなります。
大人ばかりに囲まれるより、幾ばくか過ごしやすくもなるでしょう」
そう言って朗らかに笑う大神官に、私は曖昧な笑みを浮かべた。
デイジーのこともあり私が言えた義理ではないが、幼い子どもが仕事をするというのは何とも複雑な気持ちだ。児童労働が禁止されている日本では、まずあり得ない姿だろう。
大神官の言葉を考えるに、私が同年代の子どもたちと関わりを持てるようにする狙いもあるのだろうが……内心、素直に喜び辛い。
「聖女様……私たちではご不安でしょうか? 何分、まだ成人していない身ですので、教会の騎士たちほど安心感はないでしょうが……」
私の表情を見て何かを察したのか、ルーファスが静かにそう問いかけた。
それにハッと意識を戻すと、微笑んで首を横に振る。
「嫌な思いをさせてしまったのならばごめんなさい。
ただ、あなたたちはまだ私と同じくらいの年齢でしょう? それなのに、従者という役目を負わせてしまって申し訳なく思っていたの」
これは偽りない本心だ。
本来であれば、親元で兄弟や友人たちと楽しく暮らせるはずの時期。それを私の従者として引き離してしまうのだから、申し訳なく思うのも当然だ。
相手は10歳過ぎの子ども。前世成人していた身としては、子どもを巻き込むというのは中々受け入れがたい。
デイジーのときは、平民ゆえに魔術を学ぶ機会がないことや、彼女自身が望んだこともあり、屋敷へ招き入れた。
それでも、父が提案しデイジーが了承したのでなければ、私は彼女を侍女とはしなかっただろう。
私はランドリーメイドとして雇い入れることを提案したのであって、侍女になってくれというつもりはなかった。
本人が望んでくれたのはありがたいことだが、私に付き添って故郷から離してしまったことは申し訳なく思っている。
それが、ここに来て子どもの従者が増えたのだ。成人女性として複雑な気持ちになるのは分かってほしい。
「聖女様、お気になさる必要はございません。私は元より平民の身。子どもでも働けるものは働くのが普通です」
「ルーファスの言うとおりです、聖女様。
自分は貴族の出ではありますが、だからこそ果たすべき義務がございます。無理やり連れてこられたわけではないのです。あなたがそのように思う必要はありません」
そう告げる二人に、静かに頷いた。
この世界で生きる以上、かつての感覚だけではやっていけないと分かっていた。身分制については最たるものだ。何とか折り合いをつけてきたつもりだったけれど、まだまだ足りない部分があるのだろう。
私は時折、こういった形で自分がこの世界に馴染めていないことを思い知らされるのだ。
「お嬢様、そろそろ休憩なさってはいかがでしょうか」
デイジーの言葉に、集中していた意識を浮上させる。
ルーファスたちの紹介を受けたあと、私は聖女としての勉学に励んでいた。時属性魔術の練習のみでなく、祈信術や教会の教えなど、学ぶべきことは数多くある。
今日主に行っていたのは、祈信術についてだ。結界や治癒など、この先多く使うことになる術である。
結界の基礎知識について本で確認していたのだが、いつの間にか時間が過ぎていたようだ。
「ありがとう、デイジー。彼らは外に?」
「はい、扉の前に控えております。近くの庭にお茶の準備をいたしますので、そちらに向かいましょう」
ルーファスとオーウェンは従者として雇われているだけで、神官ではない。祈信術の授業や自主学習に着いてくることはできない。
祈信術はあくまでも教会に属する神官のみが使用できる術。
既得権益の問題なのか、外部の人間に漏らすことはないよう言い含められている。
デイジーもその点では離席すべきであるが、私を室内で一人にするわけにもいかず例外的に認められている。同席が許されるだけで使用は一切許されないが。
そもそもの話、外部の者が聞いただけで扱えるのかは定かでない。使用例がないため判断がつかないのだ。
教会ができてから今に至るまで、門外不出の術となっている。
部屋を出ると、二人は並んで立っていた。こちらへ頭を下げる彼らに礼を言い、書庫近くの庭へと移動する。
ずっと同じ姿勢で本を読んでいたからか、体が固まっているのを感じる。一度休憩を入れて気分転換しよう、と息を吐いた。
「……デイジー?」
「う……、お嬢様、さすがにちょっと……」
私の呼びかける声に、デイジーの表情が曇る。私の言いたいことを理解しているからだろう。私の願いを叶えたいという思いと、対面は保たなければという思いで揺れているようだ。
そんな彼女をルーファスたちは不思議そうに見つめている。何にそんなに困っているのか分からないようだ。
「デイジーの言いたいことは分かったわ」
「お嬢様! ありがとうございま、」
「安心して、もとより全員でお茶にするつもりだったもの。デイジー一人なら気になるでしょうけど、四人なら気にならないでしょう?」
「お嬢様!?」
そういう話ではありません! と半泣きで声を上げるデイジーに、にっこりと笑みを浮かべる。
デイジーには、教会に来てからお茶に付き合ってもらっていた。
もちろん、大神官などが同席する場合は別だが、私やカイルとのお茶であれば同席している。
本人は当初固辞していたが、私としては一人でお茶などしたくない。貴族の目があるわけでもないのだし、と引っ張り込んでいた。
彼女はそれを新入りの従者達に見られたくなかったのだろう。
ましてやオーウェンは貴族の出だ。どんな風に見られるか分からないという恐怖もあるのかもしれない。
デイジーには申し訳ないが、ここは諦めてほしい。オーウェンが否定的に見るかどうかは分からないが、私としては日々の楽しみを取り上げられるようなものだ。訓練や勉学に勤しんでいるのだから、息抜きくらいは自由にさせてほしい。
それに、これが理由でデイジーを悪く言うような人間ならば、どちらにせよ私の下では働けまい。価値観があまりにも違えば、上手くいかなくなるのは目に見えている。
ある意味、これはオーウェンの人柄を見るチャンスでもあるのだ。
「さぁ、ルーファスもオーウェンも座って? お茶にしましょう?」
私の言葉に二人は慌てたようにお互いを見合わせる。私が言葉を撤回しないと分かると、戸惑いながらも席に着いた。
それを見ると、デイジーも複雑そうな顔で席に着く。
「うん、今日も美味しいわ。さすがね、デイジー」
「ありがとうございます、お嬢様」
今日の紅茶はアールグレイだ。カップに口をつけると、ベルガモットの爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。淹れたての紅茶は温かく、紅茶の香りを一層引き立てていた。
以前はお茶のときもミルクを飲んでいたが、教会に来てからはやめることにした。
いずれ私も貴族同士のお茶会に参加する身。紅茶の良し悪しも知らねばなるまいと、お茶の席では紅茶を飲むことにしている。
本日の紅茶のお供はクッキーだ。様々な味のクッキーが、所狭しと並べられている。
よくデイジーやカイルとお茶をしているからか、いつもお菓子の量を多く用意してくれるのだ。今回はルーファスたちもいるため、丁度よかった。
はじめに手にとったのは、ディアマンクッキーだ。
クッキーの周りに付いたグラニュー糖が、キラキラと光を浴びて輝いている。フランス語でダイヤモンドを意味するそうだが、こうしてみると納得だ。
口にいれると、さくりとした食感とほのかな甘みが口いっぱいに広がり、自然と頬がほころんだ。
「ルーファスとオーウェンも、お菓子は好きに食べて頂戴ね。嫌いなものはないかしら?」
「はい、私は特には」
「自分も好き嫌いはありません」
「ならよかった!」
ルーファスに続きオーウェンも返事を返してくれた。その表情は戸惑っているようだが、まぁ諦めてもらおう。
普通は従者や侍女が同席することはないが、正式なお茶会ではないのだから無視だ。この先もこのお茶会は続行する予定なので、彼らもいつかは慣れるだろうが。
私の姿を見て何を思うかは個人の自由だが、苦言を呈されようともやめるつもりはない。私に仕えるというのならば、慣れるしかない。
大体にして、自分一人だけお茶をするというのは落ち着かないのだ。
想像してみて欲しい。自分一人が優雅にお茶をし、三人に立ったまま見られているという状況を。
無理だろう。休憩のはずが監視されているようにしか見えない。そして、自分だけ美味しいものを食べていることに罪悪感が芽生えてくる。
いや、貴族では当然のことだと私とて分かっている。他の貴族の目があるところでこれをやるつもりはない。オーウェンについては私の従者であるため除外させていただく。
根が庶民の私。貴族としては当たり前のことと言われても、到底慣れるはずがない。身分が関係ない教会にいるときくらい、しがらみを気にせず過ごしても罰は当たらないだろう。
「……聖女様は、私たちにもよくしてくださるのですね」
ぽつり、と言葉をこぼしたのはルーファスだ。クッキーを手にしたまま、こちらをじっと見つめている。
「よくする、ですか?」
「はい。普通は従者や侍女とお茶をすることはありません。ましてや、平民である私に菓子を出してくださるような方はいないでしょう」
たしかに。砂糖が高級品である以上、平民に振る舞うということはほぼないだろう。
オーウェンは実家で普通に食べていただろうが、ルーファスに食べる機会がなかったのは自然なことだ。
「貴族の中には、平民など目に入らないという方もいます。従者や使用人として働いても、声をかけられることはほとんどないのが普通です。
……同じ人間として認識していないのでしょう」
「っ、おい、ルーファス!」
貴族への批判を口にするルーファスに、オーウェンが慌てて止めに入る。
それは、オーウェンなりの優しさだろう。
同じくらいの年齢とはいえ、身分が違うこの二人。
その上、オーウェンはヴァレンティ辺境伯家の出身だ。身分の差から軋轢が生まれるのではと心配していたが、この分なら大丈夫そうだ。
例え相手が平民であっても、その身を案じて行動することができる。その優しさをもったオーウェンならば、ルーファスとも上手くやっていけるはずだ。
ルーファスを止めようとするオーウェンに、片手を上げることで静止する。
それに気づいたオーウェンは口を噤んだが、赤い瞳は心配そうにルーファスを窺っていた。
「生まれながら裕福な家庭であれば、貧しい者の気持ちが分からないのもある意味仕方のないことです。気に留められないのも当たり前なのかもしれません。
ですが、聖女様は違う。子爵家のお生まれながらも、こうして私たちに気をつかってくださる。どうしてそのようなことができるのでしょうか?」
ルーファスはとても頭のいい子どもなのだろう。最初に理知的だと評したのは間違いではなかったようだ。
怒りに任せるのではなく冷静に相手の立場を考えられる。これはそうできることではない。
平民の中には、貴族憎しという者も多くいるだろう。貴族が平民を下に見るように、平民も貴族を煙たがる傾向にあるのは事実だ。
貼り付けられたレッテルは、時に人の目を曇らせる。
「あなたは、とても頭のいい方なのね」
レッテルのみで判断せず、相手の立場も考えられる。そんなルーファスの在り方は素晴らしいの一言だ。
ただ貴族を煙たがるのではなく、相手の育った環境を慮り、仕方のないことだと言える者はそういないだろう。
「たしかに、貴族の中にはそういう者もいるでしょう。いえ、そういう者の方が多いと言うべきね」
ティーカップを傾け、のどを潤す。ベルガモットの香りを味わいながら、そっとティーカップをソーサーへ戻した。
さて、彼の問いに答えなければならないだろう。これは、これからの私たちの関係にも影響しそうな内容だ。
彼は、単に平民へお菓子を振る舞ったことについて聞きたいのではない。私の民への姿勢について問うているのだから。
彼の焦げ茶色の瞳は、ただ静かに私を見つめている。期待も疑念もなく、ただ私という人間を見定めようとしているようだ。
凪いだ海のような瞳を見つめながら、私はゆっくりと微笑みを浮かべた。
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