第28話 初めての王都と困った少女
「聖女様、ご準備は整いましたか?」
「大丈夫です、カイル」
大神官たちと話をした日から、およそ三年の月日が流れた。
私は10歳になり、教会での暮らしもすっかり馴染んできたところだ。
大神官との話し合いで、家へ定期的に帰れるよう合意を取り付けた。その甲斐あって、私は三ヶ月に一度帰省することが認められている。
おかげで事業に滞りはなく、教会で時属性魔術を学ぶこともできている。どちらも諦めずに済み、万事順調な日々を送っていた。
「今日はいい天気でよかったですね。せっかくの休息日に雨ではもったいないですから」
青空を見上げて言うエドワーズ神官――今ではカイルと呼んでいる――に微笑んで頷いた。
今日は休息日。魔術の勉強を始めとする、聖女のお役目もお休みだ。
せっかくの休息日だからとカイルに誘われ、本日は王都まで出かける約束をしていた。
日頃の努力を天に認められているのだろうか。見上げる空は青く、雲一つない晴天が広がっている。絶好のお出かけ日和だ。
「お嬢様、こちらへ」
「ありがとう、デイジー」
すっと日差しを遮るように、デイジーが私に日傘を差した。
今の季節は夏。直接日差しを浴びているとすぐに焼けてしまうため、貴族令嬢としては油断できない季節だ。
傾けられた白い日傘に入り、私は頭上に広がる美しい空を見つめた。
今年に入ってから、デイジーが侍女として私に付いてくれるようになった。
以前、街中で父親に怒鳴られていた少女、それがデイジーだ。魔力持ちと判明し、我が家に連れて帰ることになった。
事件後、彼女の祖父母にも経緯を説明したが、二人は怒り心頭だった。孫を娘夫婦が売る気だったとは、夢にも思わなかったのだろう。怒りを覚えて当然だ。
このような事件が起きたのは、デイジーが魔力持ちであったためだ。
彼女は素晴らしい魔力の持ち主だった。魔力量はAランク。平民では魔力持ち自体珍しいが、Aランクとなると貴族でも数えるほどだ。
正確な魔力量を彼女の両親は知らなかっただろうが、特異な才に高く売れると考えたそうだ。
人身売買、それ自体は決して許されることではないが、それほどの才能を腐らせるのはもったいない。才能を活かす場はあった方が良いだろうと私は考えた。
また、まともに扱うことができず暴走させては困る。
彼女の属性は火。彼女の感情の高ぶりと共に、周囲が火の海になるようなことは避けねばならない。
我が領は多くが農地だ。延焼など起こせば被害は甚大になる。
彼女の祖父母には、それらの内容全てを説明した。その上で、魔力の扱いを学ばせるため彼女を屋敷へ連れて行きたいと伝えた。
その提案に、彼らはデイジーの表情を見ると、快く応じてくれた。
デイジー本人の意思を確認したかったのだろう。本人が望む生き方をさせてやりたいという言葉は、デイジーへの愛情に満ちていた。
二人にとって魔術が未知のもので、孫娘に何も教えられないというのも理由の一つではあるだろう。
しかし、屋敷に行けというのでもなく、行くなと言うわけでもない。あくまでもデイジー本人の意向を優先させていた。
その姿に、彼女がちゃんと誰かに愛されているのを知ってほっとした。親の愛こそ受けられなかったが、祖父母の愛は注がれていたのだ。
ちなみに、デイジーが私の侍女となったのは父の提案によるものだ。
もとより、父は強い魔力を持つ者を侍女として雇いたかったそうだ。私の安全のため、護衛としても役に立つ者を希望していたらしい。
その点、デイジーの才能は申し分なく、本人にもやる気があった。
だが、当然侍女になるためには学ぶべきことが多くある。魔術の腕だけでなく、侍女としての業務や立ち居振る舞いも覚えねばならなかった。
侍女になる以上、強ければいいというわけではない。平民として暮らしていた彼女にとっては、全て一から覚えねばならず苦労したことだろう。
それでも一度として泣き言を漏らすことはなく、魔術も侍女としての能力も身につけた。
今はまだ及第点と言えるレベルだが、三年という短い期間で業務につけるようになったのだ。その成果は、素晴らしいの一言だ。
そして彼女は、これからも努力を怠らないだろう。そんな彼女が侍女になってくれることには、感謝しかない。
「聖女様、見えてきましたよ!」
馬車が走り出し、二時間ほどだろうか。
カイルの声に窓から外を見てみると、大きな石壁に囲まれた都市が見えた。
中に王城があるからだろうか。石壁に囲まれたその街は、一目見ただけでその堅牢さを感じさせた。
「うわぁ……さすが王都。すごいですね」
「聖女様は王都へ初めていらっしゃったのですよね? 今日はしっかり僕が案内するのでご安心ください!」
そう言って明るく笑うカイルは、自分自身も楽しみなのかキラキラとした瞳をしている。21歳と、まだ若い青年だ。神に仕えている身とはいえ、楽しみが欲しい年頃だろう。
いつも側付きとして頑張ってくれている彼が、今日は思い切り羽を伸ばせればいい。
「それは楽しみです。おすすめがあれば是非教えくださいね」
「はい! お任せください!」
僕おすすめの屋台もあるんですよ! と得意げにいう彼に、自然と笑みがこぼれる。
楽しい休息日になるといい。そんな期待を胸に、私は石壁に囲まれた王都を見つめていた。
「んん~! 美味しい!」
「ですよね! 聖……シャーリーの口に合って良かったです!」
聖女様、と言いそうになるカイルに困ったように笑う。
街へ出かけるにあたって、街中ではその呼び方はしないようにと告げていたのだ。
聖女として正式にお披露目があったならいざ知らず、今はまだそのお披露目をしていない。貴族の耳の早い者たちは知っているだろうが、平民は知らないのだ。
そんな中聖女と呼ばれる者がいれば、騒ぎになるのは目に見えている。混乱を避けるため、今日は愛称で呼ぶよう話をしていた。
失敗してしまったと肩を落とすカイルに、デイジーが呆れた視線を送る。その顔には、お嬢様に迷惑をかけるな、という無言の圧力があった。
それに一層縮こまるカイルがさすがに不憫になり、助け船を出すことにした。
「それにしても、これは本当に美味しいですね! 外で食べ歩くのにピッタリです!」
「そう言ってもらえると嬉しいです! これはクレープというもので、紙で包んでくれるため食べやすくて大人気なんですよ」
手元にあるクレープへ視線を落とす。
かつての世界にもクレープは会った。日本でも街中にクレープ屋があり、若い女性たちが並んでいるのをよく見かけた。
中でも人気があったのは、やはりスイーツ系のクレープだろうか。ふんだんに入れられたホイップクリームに苺のトッピング。どの店にも大抵置いてある味で、王道の組み合わせだ。
私たちが今食べているものは、スイーツ系ではない。砂糖の生産が限られているため、やはりデザートが平民に行き渡るのは難しいようだ。
その代わりに売られているのが、食事タイプのクレープだ。卵やツナ、ソーセージなど、馴染みの組み合わせが店頭に並んでいた。
この手のクレープは甘さもほとんどなく、男性でも食べやすいだろう。
私が今日選んだのは、ツナのクレープ。ツナのほんのりとした塩気とシャキシャキの野菜、そこにかけられたまろやかなソースが食欲を誘う。
これは前世からのお気に入りで、甘い組み合わせよりこちらを好んでいた。
この世界のクレープは生地に甘さがほとんどない。そのため、日本で食べたものと全く同じとは言えないが、懐かしさに顔が綻ぶのを感じる。味が多少変わっていようと、似ていることには変わりない。
こちらの世界へ来てから10年ほどになるが、元の世界を懐かしむ気持ちは変わらなかった。
「さて、次はどこに……」
「っ! やめてください!!」
カイルの言葉を遮るように、幼い少女の声が通りに響く。
それに私たち三人は顔を見合わせた。
「……何だか覚えのある感じだね」
「お嬢様……あの時は本当にありがとうございました」
デイジーは自分が助けられたときを思い出したのだろう。ぺこりと頭を下げる彼女に、私は優しく背を撫でた。
カイルは声の方をじっと見つめているが、特段何か言い出すことはなかった。
黙ったままでいるのは、私の安全を第一に考えているからだろう。彼一人であれば、きっとあちらに向かっているはずだ。
カイルは決して腕っ節が強いわけではないが、魔術師としては優秀だ。彼自身こういったことを見過ごせない正義感の持ち主でもある。
しかし、今それを行えば自分の判断で私を巻き込むことになる。側仕えである彼としては、その選択は口に出せまい。
ならば、私が動くしかないだろう。側付きであるカイルの意向も汲めるし、何より幼い少女に何かあったのでは寝覚めが悪い。
「とりあえず、見に行ってみよう。カイル、先導をお願いします。デイジー、護衛は任せるわ」
「「かしこまりました」」
二人は揃って返事をすると、カイルが先頭に立って声のする方へ向かう。デイジーは私の後ろに控え、カイルとデイジーで私を挟むように歩き出した。
声の聞こえる先には、遠巻きに人が集まっている。心配気に様子を見ているが、現時点で動こうとする者は誰もいなかった。
それも仕方ないことだろう。現状が分からなければ仲裁は難しいし、誰だって怖い思いはしたくないはずだ。見なかったフリをして立ち去っても可笑しくない。
それでも、正義感の強い人というのはどこにでもいるらしい。少し離れた場所に立つ帽子姿の男は、緑色の瞳で静かに騒ぎの状況を見据えていた。
慌てるでもなければ、立ち去ろうという素振りもない。カイル同様、こういった事柄を放っておけないタイプだろうか。
「お父さんが君を呼んでいるんだ。心配かけちゃダメだろう?」
「父がこの辺りにいるはずがありません! 人違いです」
聞こえてきた声から判断するに、人攫いの部類か。
人垣を抜けて声の主を見ると、三人の人がいた。
一人は少女に声をかけている男。細身な体格で、少女に向けて笑みを浮かべている。その笑みに優し気な雰囲気はなく、どうにも胡散臭さを感じる笑い方だ。
その男の斜め後ろには、大柄な男が控えている。荒事に慣れているのか、がっしりとした筋肉は服の上からでも見て取れる。顔には古傷があるようで、それが人相の悪さを増していた。
最後は声をかけられている少女だ。
ダークブラウンの長い髪に、同色の瞳。肌は白く、お人形のような上品さが窺える少女だった。
長い髪は丁寧にケアされているのか、絡まり一つない美しさだ。着ている服も上等な生地で作られた、ピンク色のワンピースだった。
おそらく、いい家柄の子どもなのだろう。その上品な容姿も相まって、人攫いの目についてしまったのかもしれない。
助けに入るつもりだが、さてどうしたものか。双方の意見を聞きたいところだが、素直に答えてもらえるとは思えない。
それに、こういったことは下手に表沙汰になっても厄介だ。ここで変に恨みを残すと、後々少女が狙われる可能性がある。
近くに護衛の姿が見えない以上、少女の家が護衛を雇えない可能性もあるのだ。貴族と言っても内情はピンキリ。そもそも貴族ではなく、裕福な商家の子どもという可能性もある。
仮にそういう事情で護衛がいないのなら、遺恨を作らない形で解決すべきだろう。
「お姉ちゃん! やっと見つけた!」
声を上げたのは私だ。
その声に驚いた三人が、こちらへ視線を向けてくる。それに内心笑みをこぼしながら、カイルの服を引っ張った。
「ほらお兄ちゃん! お姉ちゃんいたよ。早くみんなと合流しないと!」
「っ、あぁ、そうだねシャーリー。早く戻らないと、怒って迎えに来ちゃうかもしれないな」
私の即興の演技に驚きながらも、カイルはすぐに話を合わせてくれた。おかげでこちらとしても話が続けやすい。
カイルの手を引きながら、三人のもとへ近づく。そして私は少女を抱き寄せ、さり気なく男たちから距離を取らせた。
「お姉ちゃん! もう、心配したんだからね!」
「……ごめんなさい、シャーリー。兄さんも、迷惑かけてごめんなさい」
「いや、無事だったなら何よりだ」
少女はどうやらかなり賢いようだ。カイルが呼んだ私の愛称をしっかり使用している。機転もきくのか驚きを見せることはなく、自然に話を合わせてくれた。
「おじさんたちがお姉ちゃんを見つけてくれたの? ありがとう、おじさん!」
無邪気な子どもを演じて私がお礼を言うと、男たちはたじろいだ。どうやら分が悪いと悟ったのだろう。この場は濁すことに決めたようだ。
「いや、気にすることはないよ。一人だったから心配だったんだ。お兄さんたちが来たならもう大丈夫だね」
どことなく早まった口調でそう言うと、男たちは路地の方へと姿を消していった。
その後を追う者は誰もいない。
男たちが完全に見えなくなったのを確認し、少女へと向き直る。
このまま放り出すわけにもいかず、カイルやデイジーに目配せをして男たちとは反対方向に歩き出した。
そうして目指したのは、王都の中心部にある広場。ここなら人目もあり、おかしなことを考える者はいないだろう。
特段説明することもしなかったのだが、少女はどこに行くのかと聞いてくることはなかった。それどころか、広場に到着するまでの間、一度も口を開くことすらなかった。
「さて、ここまでくれば大丈夫かな?」
そう言って少女の方へと目を向ける。
ダークブラウンの瞳は、ただ静かにこちらを見据えていた。
「何があったのかは言わなくてもいいですが、このままでは危ないですよ。誰かとはぐれたなら一緒に探しますし、そうでないならお家までお送りしますが……」
「結構よ。助けてくれたことには感謝しているけれど、そこまで迷惑をかけるわけにはいかないわ」
少女は静かに首を振り、私の提案に拒否をした。
確かに、私が彼女だったらこれ以上迷惑をかけたくないと思うかもしれない。
とはいえ、先ほどの一件がある以上、一人で帰すわけにもいくまい。
「迷惑だなんて。お姉さん一人帰す方が心配です。綺麗なんですから、また誰かに絡まれたりするかもしれませんよ?」
「……綺麗……?」
「えぇ。とりあえず、近くまでお送り致します。お姉さんに何かあったらご両親も心配されるでしょう」
私が告げた綺麗という言葉に、少女は首を傾げる。あまり言われ慣れていないのだろうか。少女という年齢のため、褒め言葉としては可愛いが普通か。
そんなことを考えながら、再度送ると提案するが、彼女は顔を強張らせた。
「あの人たちが、私を心配するなんてありえないわ。……いなくなっても、気づかないんじゃないかしら?」
告げられた言葉は重く、空気が一気に静まり返った。
吐き捨てるように言うその声は、少女のものとは思えない冷たさをしている。
単なる怒りではない。失望なのか、恨みなのか、それともまた別の理由か。私には判断がつかないが、簡単には言い表せないような感情が込められた声だった。
そんな彼女の姿に、私としては困ってしまう。
この様子では黙って送られてはくれないだろうし、そもそもまっすぐ帰りもしないだろう。適当な場所で別れられたら、それ以後どうなるか分からない。
どうしたものかとカイルを見上げるが、彼も情けなく眉を垂らしている。建設的な回答を求めるのは難しいだろう。
ふむ。ならば仕方ないか。
私は心の中で頷くと、彼女へ向けて質問を投げかけた。
「お姉さん、まだ時間に余裕はありますか?」
「え? えぇ、それは大丈夫だけれど……」
困惑したように言う彼女に、私はにっこりと笑みを浮かべる。
「ならお姉さん、私とデートしましょう!」
すぐに帰せないのなら、連れ歩いてしまえ!
問題を先送りにしたとも言えるが、彼女にも落ち着く時間が必要だろう。
無事に彼女を家に帰らせるため、私はまず、彼女の気を紛らわすことから始めるのだった。
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