第26話 思いがけぬ問いかけ(悪役令嬢side)
「来たか、ブリジット」
コードウェル公爵邸書斎。書斎とは思えぬ豪華さのあるシャンデリアは、窓から入る日差しを受けて宝石のような輝きを見せている。
室内は広々としており、書斎特有の息が詰まるような雰囲気はない。
元より複数人が集まることを想定しているのだろう。書斎机から離れたところには、大きなローテーブルとそれを取り囲むようにソファーが設置されていた。
ソファーには父と母、加えて幼い弟の姿もあった。父に呼び出されてここにきたが、どうやら家族としての話し合いがもたれるらしい。
弟はまだ3歳だ。退屈になるのではと視線を向けると、弟はこちらへ愛らしい笑みを向けていた。
お待たせしたことを詫び、空いた席に腰掛ける。私の前に紅茶が置かれると、それを合図に父が口を開いた。
「今日お前を呼び出したのは、他でもないジェームズ殿下とのことだ」
「……殿下とのこと、ですか?」
呼び出されるような何かがあっただろうか、と思考を巡らす。ここ最近、目に見えた問題などはなく、距離は順調に縮まっている。
アクランド子爵家の功績を聞いたときは焦りを浮かべたが、それも一年半以上前のこと。今は慈善事業に力を入れながら、日々穏やかに暮らしている。
以前殿下にも話をしたとおり、私は早速慈善事業へ力を入れた。主な活動は、やはり孤児院の慰問だ。毎月王都の孤児院へ足を運び、お菓子や衣服等を寄付している。
金銭の寄付は既にコードウェル公爵家として行っているし、私が自由にできるものでもないので諦めた。
月に一度定期的に顔を出すことで、未来の王妃として実績を積んでいるところだ。
「今まであえて聞かなかったが、お前が何故ジェームズ殿下の婚約者に選ばれたか、それは理解しているか?」
父の言葉に、ぱちりと瞬きをする。何故私が選ばれたのか、そんなことは考えたこともなかった。
小説でもブリジットはジェームズ殿下の婚約者だったのだ。ブリジットに転生した私が婚約者になることは、私にとって当たり前のことだった。
「それは……私が公爵家の令嬢だからではないのですか? ジェームズ殿下と私は同い年ですし、家格が見合う者は限られますから」
王家へ嫁ぐとなると、伯爵家以上の家格でなければならない。もちろん侯爵家以下にも年齢の合う令嬢はいるだろうが、公爵家に私という娘がいる以上この婚約が結ばれたのは当然だろう。
「お前は……」
私の言葉に、父は眉をひそめる。
何か解答を間違えただろうかと思うも、特段おかしなことをいった覚えはない。
無言を貫く私に、父は小さく息を吐いた。
「ブリジット、我がフィンノリッジ王国に公爵家はいくつある?」
「え……? 我がコードウェル公爵家とウィルソン公爵家の二つですが……?」
「その通りだ。それでもお前は、公爵家ならば自分が選ばれて当然と思ったのか?」
父の言葉を聞く限り、どうやら私の解答に不満のようだ。ウィルソン公爵家について思い出そうとするも、娘がいた記憶はない。
ウィルソン公爵家には、一人重要なキャラクターがいる。それが、イアン・ラッセル・ウィルソン。同家の二男で私やジェームズ殿下と同い年だ。
イアンはジェームズ殿下の側近として、小説に出ていた。寡黙な性格ゆえだろうか、彼が自分のことを語ることはほとんどない。淡々とジェームズ殿下に従う、忠実な側近というイメージだ。
また、イアンの家族についても語られたシーンはほとんどなかった。兄がいるという記述はあったものの、その一度のみだ。それ以外は一切語られず、両親についても何も記載はなかった。
唯一存在する記述では、長男であるジュードが軟派者だと仄めかされていた。真面目なイアンとは相性が悪そうだと思ったのは覚えている。
その後、実際に兄が小説に登場することはなかったため、私もすぐに気にしなくなったのだ。
「ウィルソン公爵家には、ソフィア嬢というお前と同い年のご令嬢がいる。家格という意味では、彼女でも何の問題はない」
「え……?」
父の言葉に、危うくカップを落としそうになる。それはダメだと何とか抑え、ソーサーに戻した。
ソフィアという令嬢、そんなもの小説に出てきただろうか。イアンが家族について語らなかったから、出てこなくても仕方ないのだが。
唖然とする私の姿に、父は肩眉を上げる。その表情は何かを疑うような、理解できないものを見るような、そんな厳しい瞳だった。
「お前につけている侍女からは、ソフィア嬢と会ったことがあると報告を受けているが……お前は覚えていないのか」
私と会ったことがある? どこで会ったというのだろうか。
会う可能性があるとすれば王城の中だ。公爵令嬢であれば、何らかの機会で王城に来ることはあるだろう。
しかし、私には会った覚えはない。侍女が言うのなら過去に会っているのだろうが、自己紹介をしたりはしていないのだろう。さすがに自己紹介をされた相手なら覚えているはずだ。
幼い女の子に会ったことがなかったかと、必死に記憶を探る。
その中で、一つだけ該当するものがあった。
昨年の夏頃だろうか。殿下とお茶をするため王城へ赴いた日があった。
お茶の時間が終わり帰る途中に、一人の少女を見かけた。その少女はとたとたと庭を散歩しており、侍女だろう人が慌てて彼女を追いかけていた。
日差しの強い日だったため、侍女は日傘を差していた。しかし、令嬢である少女はその中にいない。
いつもそうなのだろう。肌は小麦色に焼けてしまっていて、貴族令嬢としてあるまじき姿だった。
必死に追いかける侍女が可愛そうだったこともあり、そのとき少女に注意をしたのだ。
貴族令嬢が日に焼けるなどとんでもない。侍女も困っているのだから、ちゃんと言うことを聞きなさいと。
そう告げると、少女は一瞬驚きに口を開いていたが、すぐに目に涙が溜まっていた。
貴族の娘だ。怒られることなど今までなかったのだろう。驚きのあまり泣き出しても仕方ない。
少女の侍女にもちゃんと彼女を見るように告げ、私はその場を後にした。
もしかしたら、彼女がソフィア嬢だったのだろうか。
「昨年の夏にお会いした少女がいましたが……彼女がソフィア嬢でしょうか?」
「その記憶にある少女が、金の髪に小麦色の肌をした少女ならな」
父の言葉に、やはりと納得する。その少女以外に思い当たる者もいなかったため当然か。
彼女が公爵令嬢だとは思わなかった。私と同い年ということはイアンとも同い年ということになる。しかし、小説には双子の妹がいるという記述はなかった。
そもそも、イアンの描写は極端に少ないのだ。出てくる頻度も他の側近と比べればかなり少ない。
寡黙な彼は、他の側近ほど目立たなかった。それゆえ、本の表紙に描かれることもなかったのだ。
小説である以上、外見は描かれた絵がない限り想像で補うしかない。彼と今会ったとしても名乗られなければ彼だと分からないだろう。
今となっては、彼が褐色肌であるという記載があったことを思い出せるが、その描写が毎回出てくるわけではない。目立たないキャラクターなら性格や名前を憶えておくことがせいぜいだ。
そんな彼の双子の妹を、見た瞬間に理解するなど不可能だ。どうすることもできなかっただろう。
だが、これで分かったことがある。ソフィアという公爵令嬢がいても、私が選ばれた理由があるということだ。それが何なのかは、小説に記載がなかったので私には分からないが。
「ではお父様、何故私が選ばれたのでしょうか」
そう問いかける私に、父の視線が向けられた。
その瞳に温度はなく、氷のように冷え切っている。他に言うことはないのだな、と呆れたような声が微かに耳へ届いた。
何故そう言われたのかは分からないが、不興を買ったことだけは分かった。身震いしそうになるのをこらえていると、父の口から衝撃的な発言が飛び出してきた。
「それくらいは理解していると思っていたがな。そもそも、
その言葉に、私の息が止まる。
何故、それを知っているのだろうか。私は殿下以外には話していないのに。
今後協力を仰ぐことになる殿下の側近たち、彼らに話す予定こそあるが家族に話す気はなかった。小説のブリジットも家族には話していなかったからだ。
「何故知っているのかという顔をしているな。
まずはお前が王宮で倒れたときのことだ。お前は目を覚ますとすぐに人払いをしていたな。私がお前の部屋に向かうと、メイド達が入口に控えていた。その時点で驚いたものだ。
まだ5歳の娘が、目を覚ました直後に人払いをするなど想像もしなかったからな」
「っ……それは……!」
たしかに、常識的に考えればおかしい姿であったかもしれない。
娘が人払いをしているのに気づいた父は、風の魔術を使ったのだろう。部屋の前からであれば、話を盗み聞くのも容易かったはずだ。
明言こそしていないが、不審に思った父がそのような行動をしても可笑しくはない。
「次のきっかけは、以前殿下が我が家にお越しになった日のことだ。お前と殿下がしていた話は聞かせてもらった」
以前とは、私がヒロインの功績について聞いた日のことだ。
基本的に私と殿下が会うのは城の中だ。私が王妃教育の際に時間をもらうのが通常の流れ。多忙な殿下がこちらへ赴くことは少ない。
あの日、私は殿下にアクランド子爵家の令嬢が聖女になると告げていた。まだ何の発表もされていない情報を、確定のように話していたのだ。
その上、殿下と初めて会った日には、
二つの会話を聞かれていたのなら、誤魔化しようがない。
……誤魔化せないのならば、理解してもらわなければ。
小説のブリジットはしていなかったが、家族だって話をすれば理解してくれるはずだ。
誰だって、没落など望んでいないだろうから。
一度目を閉じて、深く息を吸う。
小説とは違う流れになるけれど、大丈夫。ゲームでブリジットが断罪されたことを言えば、きっと力になってくれるはずだ。
ヒロインの動きが小説とずれている以上、こちら側に変化があるのは当たり前だ。
小説以上の対策が必要な今、公爵家全体が協力してくれるに越したことはない。
私が今している慈善事業も、元はといえばヒロインに対抗するためだった。対抗するための武器はいくつあったっていいだろう。
――変わり出した世界から抗おうと、私は覚悟を決めたのだから
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