昼 丘陵地帯 2
「――誰か、近付いてきてる」
耳をくすぐるその声に、別の意味で心臓が跳ねた。
今も生存者数が減っているこのバトロワゲーそっくりの世界で「誰か」と言えば、それは。
「他のプレイヤー。つまり敵」
わざとチョイスしたんだろう言葉が、明確な恐怖を呼び起こす。耳を澄ませてみれば、確かに微かな足音が、こちらの方へと近づいてきていた。思わず、キルログに「犬飼 灯美」と表示される瞬間を幻視して――
「――トウミ」
再び耳朶をくすぐるハウンドさんの吐息に、嫌な妄想が振り払われた。声はどこまでも暖かくて優しい。
「向こうは、私達より格下だと思う。勝てる相手だよ」
足音一つでそんな事まで分かるらしい。わたし達と言っても、こちらの戦力の九割九分九厘はハウンドさんだけど。なんて、何の疑いもなく彼女が強いと信じている自分に気が付いた。
「あの、わたし……」
何一つ覚悟は決まってないし、分からない点もまだまだある。戦力云々以前の葛藤に、言葉が詰まってしまう。そんなわたしをあやすように、ハウンドさんは右手で背中をさすってくれた。
「大丈夫。私一人で何とかする」
事もなげな台詞は、静かだけど自信に満ちていて。
「だからトウミには、見ていて欲しい」
とても小さな声。もう柵のすぐ外まで来ている足音の主たちにも気取られないような、消え入るほどに微かな囁き。頷く以外に、選択肢は無かった。
良い子、と頭を撫でる手のひらに、力はまるで入っていなかったけれど。わたしの体はそれに押されるようにしゃがみ込んでいく。扉に付けた背中が、ずりずりと音を立てて。それを聞いてか、足音が止んだ。
「「…………」」
けれどもすぐに、すり足に変わった音が、ほんの僅かに聞こえてくる。ゆっくりと近づいてくるそれが、ドアのすぐ前で再び止まった。
「よいしょ……と」
ハウンドさんが、声を上げながらわたしを横に引っ張る。震える体はされるがままにドア横、蝶番が付いている方の壁まで避難させられた。
「目ぼしいものは漁ったかな――」
その呟きを好機と見てか、内開きのドアが外から乱暴に開けられて。足を鳴らして、二人の男性が押し入って来た。入ってすぐのリビング、ソファの後ろに駆けこんでショットガンを構える、ハウンドさんの目の前に。
ドガッ!!ドガッ!!
「ぐっ……こぉっ……!?」
セミオート式ショットガン――サイガ12Sが散弾を連続で撃ち出し、縦に並んでいたうちの前の一人に次々とヒットする。ゲーム内では床に落ちている時の見た目がアサルトライフル系列に似ていてややこしく、個人的には苦手な武器。現実逃避気味にそんな事を考えている間に、続く三、四発目も直撃した一人目が崩れ落ちた。
出血の類もなく、嫌にあっさりと、ただ空気に溶けるようにその体が消えて行く。
「ひっ、死――」
後ろにいたもう一人がそう言いかけて、でも言い切るより早く、ハウンドさんがショットガンを撃つ。通算五発目、当たった相手が尻餅を付くよりも、弾切れになったサイガ12Sが地面に放り捨てられる方が早かった――
「…………」
――いや、銃が床に落ちるよりも更に、ハウンドさんが初期装備のハンドガン――グロック17を構える方が早かった気がする。男性が痛みに悶える暇さえなく、その身体に9mm弾が突き刺さる。何発も何発も、ショットガンよりは少し軽い発砲音の連続と共に。
[DAY WALK]では、グロックの装弾数は17発、一発9ダメージ。一方的に撃てるこの状況なら、ショットガンの一発も合わせて100しかないHPを0にするには十分だ。
だから、二人目の男性が消えていくまでの全てを、わたしはこの目で見ていた。
「…………っ」
結局彼らは一発も撃つことなく、ただ物資の入ったバックパックだけが残った。
キルログに流れる、
ハウンド・ドッグ → いがげそ[KILL]
ハウンド・ドッグ →
の表示で、消えていった二人の名前を知る。
「――さてと。ごめん、ショッキングだった?」
ゆっくりとこちらに近づいてくるハウンドさんに、聞かずにはいられなかった。
「……こ、これ。本当に死んで……」
「分からない」
首を横に振られて、息が詰まる。
例えばこれが、ゲームの中に入り込んでいるんだとして。すごくリアリティのある、だけど非現実的なゲームの中にいるんだとして。ここでキルされた人は、一体どうなってしまうのか。目の前で消えていったうちの片方は、わたしと同じ[DAY WALK]のプレイヤーだったはず。HPを全て失った彼はどうなったのか。ゲームオーバーが、何を意味するのか。
「実際にキルしてみても、それは分からないままだった。最悪を想定して動いた方が良いと思う」
最悪。その言葉に、呼吸が荒くなる。視界の端に映る、たった100しかないHP。これが0になってしまうとどうなるのか。分からない。ただ、恐ろしい。
「トウミ」
目の前に膝をつき、わたしの顔を覗き込んで来るハウンドさん。薄氷のように薄い表情は、だけどやっぱり暖かい。何故そんなにも、って思うくらいに。
「私はトウミが生き残る為なら、何だってするつもり」
今しがた二人を倒して見せたばかりで、その言葉には確かな重みがあった。
だからこそ、続く言葉も同じくらい真剣で。
「だけどトウミにも、少し覚悟はして貰う必要がある。かもしれない」
覚悟なんてできてるはずもないわたしの両肩に、ずしりとのしかかる。
「この二人のように、撃たれたショックで足が止まってしまうのは良くない。HPが減っても、出血も怪我もしない仕様なんだから。一、二発食らっても動いて逃げられるようにしなくちゃいけない」
空中で、わたしにパラシュートの紐を握らせたように。
輸送機内で、わたしに拳銃を触らせたように。
優しく重ねられたハウンドさんの左手が、わたしの右手をゆっくりと
「だからトウミ――」
少しずつ、まるで焦らすように。けれども決して止まる事なく、重なった手が連れていかれる。逃れようもなく、ずっとそこにあったソレの元へと。
「――少し、痛みに慣れておこう?」
腰のグロック17に、指が触れた。
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