生類同一性障害
そうざ
Creature Identity Disorder
待合室の窓辺は、初夏を伝える五月の陽射しに溢れていた。その心地好さに思わず微睡みそうになる。
そんな僕に話し掛けて来る者が居た。
「ここへの通院は初めてですか?」
「いえ、今日で三回目です」
「という事は、そろそろ手術をされるおつもりで?」
「ええ、今日、最後の問診を受けた後に早速」
「そうですか……手術をねぇ」
何やら奥歯に物が挟まったような口振りに、僕は質問で返した。
「貴方は何故この病院に?」
「いやぁ、何と言いますか、生類同一性障害で悩んでいる患者さんにアドバイスをしたくてね……医者でもないのにお節介な話ですが」
いつの間にか眠気は去り、僕は話に食い付いていた。
「いつもどんなアドバイスをされるのですか?」
「兎に角、もう一度よく考え直した方が良いと言います。手術をしてしまったら、もう二度と元には戻れないのですから」
「…………」
僕は散々考えた末に手術を受ける決心をしていたのだが、また心が揺れ動いてしまった。それだけ彼の言葉には奇妙な説得力があった。
僕の表情から
「立ち入った事をお訊きしますが、貴方はいつ頃から自分の身体に違和感を覚えるようになりましたか?」
「十年くらい前、物心付いた頃です。自分の身体が自分の物じゃないような、奇妙な感覚に囚われるようになりました」
「解かります、解かります。どうして自分の身体はこんな形なんだろう、とかね」
「でも、自分に相応しい身体のイメージが描けず、悩み続けました。正解が判ったのは、忘れもしない、庭先で土遊びをしていた時の事です」
「ほう……」
「確か、今頃の時期だったと思います。小さな庭石を引っ繰り返したんです。そうしたら石の下に無数の虫が居て」
「ほう」
「ダンゴムシってご存知ですか?」
「ああ、脚がいっぱいある。
「それはワラジムシです。ダンゴムシは指先で突付くと体を真ん丸にする奴です」
「ああ、はいはい……そのダンゴムシこそが本当の自分の姿だと?」
「はい、その証拠に僕はでんぐり返しが得意な子でした」
「はあ……それで、貴方はどうしてもダンゴムシになりたいと?」
「はい、もうこれ以上、悩みたくありません。自分らしく生きたいんです」
彼は深く思案しているようだった。
「決心は固いようですね……では僭越ながら、手術後の生活の為に知っておいた方が良い事をお話ししておきましょう」
「それはあり難いですね。宜しくお願いします」
「先ずは食生活です。ダンゴムシの主食をご存知ですか? 知らないと困りますよ」
「
「それから……これは最も重要な事です。世間は異生物転換者を外見で即断し勝ちです。人間扱いをしてくれない場合が多々あります。特に虫に転換した者に対しては――」
その時、診察室のドアが開き、厚化粧の看護師が顔を出した。
「お次の方、どうぞぉ……あ」
看護師はつかつかと僕の方に歩み寄ると、サンダルを脱いで手に持った。そして、矢庭に曇りガラスの一点をぱしっと叩いた。
突然の出来事に僕は声を出せなかったが、看護師は平然とした調子で言った。
「この時期は蝿が多くて困っちゃうわぁ」
床に落ちた彼は、ぺしゃんこになって死んでいた。僕は、彼のアドバイス兼遺言を肝に銘じ、診察室に向った。
生類同一性障害 そうざ @so-za
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