第43話

 夜に差し掛かってきた頃、搬入作業を良太と二人で熟していた。

 食材の搬入は誰がやると決まっているわけではないのだが、何となく「若いお前らがやれ」という空気感が出ていて、自然と俺と良太がやる様になっていた。力仕事なのだけれど、良太とだらだらとできる仕事でもあるので、そんなに嫌ではない。


「ほい、夜の搬入はこれで最後かな」

「サンキュー麻貴あさき!」


 食材を良太と共に中に運び込むと、裏口で俺達はそんなやり取りをした。


「今余裕あるし、ちょっとサボろうぜ」


 悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて、良太がそんな甘い誘惑を掛けてくる。

 俺もちらりと中を覗き込んで、デシャップの様子を見ると、今料理はそれほど並んでいない。「OK」と承諾し、裏口に二人で座り込んだ。


「だはーっ。やっぱあの二人いなくなるだけでしんどい」


 そして俺は大きく息を吐くのだった。

 ロイモ六ヶ峰ろくがみね店フロアの機動部隊〝おかっつぁま〟が上がり、今は俺と木島さん、そしてフリーターの男性・島田さんの三人で回している。島田さんは土曜日の夜から閉店まで入る人で、歴も長いので一緒に入っていて安心だ。

 しかし、それでも〝おかっつぁま〟の二人には及ばない。主婦は強いのである。


「キッチンは店長と社員さん、それに鈴木さんもいるから、今日は超楽だぜー」


 ズルが出来ないけどな、と良太は苦笑いを見せた。

 良太の言う〝ズル〟とはマニュアルレシピ通りにやらず、時間を短縮する調理方法である。社員か店長どちらかだけの時は目を盗んで楽をしているそうだが、社員と店長二人の目があってはそれも難しいらしい。

 良太が〝ズル〟をしたところでクレームは来た事はないし、その分回転率が上がっているのだから構わないと俺も思うのだけれど、なかなかそういうわけにはいかない。難しいものだ。


「それにしても、よく土曜日なのにバイトやろうと思うよねぇ」


 良太が唐突に言った。


「え? 何で?」

「だってさ、せっかく土曜日で時間もあるわけじゃん? 僕が祈織ちゃんの彼氏なら、バイトなんてやらずにずっと遊んでるけどね」


 どうやら、彼女がいるのになんでバイトなんてしてるんだ、と彼は言いたいらしい。


「バカ。遊ぶ為には金がいるだろ。最低限の生活費しか仕送りがないから、娯楽なり交際費なりはこのバイト代から捻出するしかないんだよ」

「そんなもんかねぇ。僕なら絶対にカノジョ取るけど」

「それができるなら、世の中の男の大半は労働なんてやらずにカノジョと遊んでるよ」

「はあ⁉ それはカノジョ作れない奴で世の中の経済回せって事ですか⁉ 非モテだけ労働してろって言うんですか⁉ バカにしてるんですかねぇ⁉」


 一言もそんな事言ってないのに、物凄い言いがかりだ。被害妄想が過ぎる。


「でもさ、デートってお前らどういうとこ行ってるの? どういう事するのさ」

「デート、ねえ……?」


 俺は祈織とのデートを思い返す。

 そんなに大した事はしていない気がする。


「一緒に海とか公園に行ったり、映画行ったり、ちょっとランチしに行ったり、カラオケに行ったり……春休みにしたのってそれくらいかな」


 あんまり金のかかる事はしていない。

 俺のお財布事情を気にして、祈織が気を遣うのだ。


「うぐ……訊かなきゃよかった」


 自分から訊いてきておいて、勝手にダメージを受けていた。

 でも、具体的にデートって何をするんだろうか。お互い付き合うのは初めてであるし、わかるはずもない。


「ぶっちゃけ、デートがよくわからん」

「なんつーマウントだよ。マウンティングマウンテンかよ」

「いや、実際にわからないんだよ。なんか外に遊びに行ったから楽しいってわけでもないし、普通に学校帰りに一緒に歩いてるだけでも楽しいんだよな」

「マウンティングマウンテンかよ。唯我独尊山脈のトップクライマーめ」


 会話にならなかった。なんだよ唯我独尊山脈って。


「あー、でも明日はトースター見に行くから、これもデートなのか?」

「どこまで登るんだよお前は。唯我独尊山脈の遥か上ってか?」


 全然会話が嚙み合っていない気がするのだけれど、これは俺の気の所為なのだろうか。


「お前こそどうなんだよ。そんなにデートしたいならスモモと一回デートしてみりゃいいじゃん」


 俺は半ばヤケクソ気味に訊いた。

 こっちの話題を出しても唯我独尊山脈しか言わない気がしたのだ。


「スモモと僕が? おいおい、勘弁してくれよ」


 良太は両手のひらを空に向けて肩を竦ませ。呆れた様に大きな溜め息を吐いた。


「そんな事したら僕が除菌されるだけに決まってるじゃないか! アルコールスプレーが目に入ったらめちゃくちゃ痛いんだよ⁉ あいつと一日中一緒にいたら僕の体が持たないよ!」


 そして血の涙を流しながら叫んだ。


「いやでも、あいつと一緒のクラスになって喜んでたじゃんか」

「最初はね⁉ いくら可愛くても狂暴なのは嫌だー!」


 良太はこう言うが、スモモが狂暴なのは彼に対してだけで、他の人は男女共に分け隔てなく接している。


「いや、でもさ、スモモがああいう面見せるのお前に対してだけじゃね?」

「言われてみれば、僕以外にアルコールスプレーぶっかけてる奴はいないね」

「だろ? と言う事は逆に考えてみろよ」

「逆?」


 俺は良太を近づける為にちょいちょいと手をこまねいて、彼が耳を近づけると声を潜めた。


「お前に気があるって事だよ」

「マジで⁉ あいつ、僕に気があったの⁉」


 一気に嬉しそうな顔をする良太。

 単純にも程があるだろうに。


「そう。昔からあるだろ? 好きな人には悪戯しちゃいたくなるってやつさ」

「そ、そうなの⁉ スモモの奴、僕の事を……でへ、でへへ……」


 そして気持ち悪い顔になった。

 写真に撮ってSNSで拡散したいくらい気持ち悪い顔だ。


「あいつは自分に正直になれないだけで、本当はお前の事が好きなんだよ。じゃなきゃお前だけ〝特別扱い〟するわけないだろ? スモモにとってお前は特別なんだよ」

「特別……僕が、スモモの特別……うへ、うへへへ……」

「でも、スモモは恥ずかしがりやだから、自分から進展させるなんて勇気を持ち合わせていない」

「そんな! じゃあ、僕はどうすれば⁉」


 良太は泣きそうな顔になっていた。

 なんだかこいつになら百均で買った壺を五万くらいで売れそうな気がしてきた。


「しかし、今はもう別だ。お前は知ってしまった……彼女の本音を。それなら、良太のやるべき事は一つ!」


 ごくり、と良太が唾を飲み込んだ。


「ここは先手必勝だ。スモモをデートに誘って告白しよう! 今度はお前が男になる番だぜ、良太!」

「わかったよ、麻貴! 僕、男になるよ!」


 言いながら、良太はスマホを取り出してそのままスモモの番号を表示させて、すぐに電話を掛けた。

 思った以上に行動が早い奴だった。どうやって誘うとかもう考えているのだろうか。


『はぁい……って、あれ? 良太? あんたが電話掛けてくるなんて珍しいわね。どうしたの? 何かあった?』


 スモモはすぐに電話に出た。

 受話口から漏れてくる声からして、いきなり電話が掛かってきてやや驚いている様だ。『チャンスだぞ』と俺は良太に頷いて見せると、彼もびっと親指を立ててみせた。


「なあ、スモモ。僕は君の気持ちに気付いてしまったんだ。そして、同時に僕の気持ちにもね……」

『はあ? あんたいきなりどうしたの? ほんとに大丈夫?』

「いいから、僕にはスモモの全てがわかってるんだ。だから、まずは明日にでも映画を──」


 ぶつっとそこで電話は切れた。

 俺達は言葉を失い、どちらともなくバイトに戻って行った。

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