第35話

 俺と祈織いのりの接点は、多くはなかった。いや、どちらかと言うと少ないと言った方が正しいだろう。

 良太りょうたの言う様に、一年の時から同じクラスではあったものの、彼女と俺では住む世界が異なっていた。直接的な接点など殆どなかったのである。

 天枷祈織あまかせいのりは入学早々にして〝八ヶ浜はちがはま高校一の美少女〟の通り名を得てしまう程、人気の女生徒だった。

 だが、見ていればわかる様に、彼女はそれほど社交的ではない。よく気が利いて穏やかな性格ではあるが、そんな性格が災いして引っ込み思案……そういった類の女の子だった。

 また、部活もやっておらず、男子との交流はほぼ無かった。一年の頃は、クラスの中でも大人しい女の子達のグループに属していたので、余計に男子にとっては近寄りがたい存在だったのだ。

 わば、美少女が持つ処女性──男が持つ夢とも言い換えられる──というものを完全に押さえている存在だったのだ。その幻想が男の想像を掻き立てて、更に夢を与えていたのだろう。

 彼女の性格や環境も相まって、仲良くなった男子もいなかった。いや、大半の男子が関係を持てなかったのだ。勇気を出して話し掛けるも、気まずそうにして会話が弾まず、結局男側が撃沈する。それを通り越して告白する奴も多かったが、知っての通りこの相模湾に散って行った。

 同じクラスと言えども、俺なんかが接点を持てる女の子ではなかったのだ。

 そんな天枷祈織との接点ができたのは、文化祭準備の日だった。

 俺はあまりクラス行事などに興味がなく、体育祭や文化祭などと言った、所謂いわゆる高校生が全力を出すお祭り騒ぎは好きではなかった。

 その日も、文化祭準備など完全サボりで、図書委員の仕事に精を出していた──というのは嘘で、他の生徒が文化祭準備で忙しく人員が少ないのでその穴埋めをやらされていた。図書委員だって、楽そうだからと言う理由だけで選んだ。実際に楽だった。

 図書委員の仕事を終えて、教室に忘れ物を取りに戻った際に……一人で文化祭の準備をしている女の子がいたのだ。


「それが、いのちゃんだったって事?」

「そう」


 スモモの問いに頷いて見せる。


「おいおい、僕それ聞いてないんだけど」

「言ってなかったからな」

「ふざけん──ぎゃあああ! 目が、目があああ! 目に除菌スプレーがああああ!」


 猛る良太の顔面に、スモモが持ち運び除菌スプレーをぶっかける事で黙らせる。

 何てものを持ち歩いているのだ。いつでも良太を攻撃する気満々だ。


「こいつはどうでもいいから、早く続き続き!」


 昇降口でのたうち回る良太に気にも留めず、スモモがわくわくとした視線を向けてくる。


「お、おう……」


 良太を憐れに思いながらも、その時にあった事を話した。

 夕暮れ時の教室で、あの天枷祈織と二人きり。しかも、お互いが顔を合わせて『あっ』と声に出してしまっていた。

 ここまで来れば、さすがに何も話さないわけにはいかないと思い、俺は勇気を出して声を掛けた。

 確か『何してるの』とか『何で一人なんだ?』とか、そんなくだらない内容だったと思う。緊張していたので、あまり詳しくは覚えていない。

 他の子はバイトだとか部活だとかでいなくなってしまって、彼女は一人で残って文化祭準備をしていたそうだ。

 それで俺は、そんな彼女を放って一人で帰る事などできず、『じゃあ手伝うよ。暇だし』と言って、その日だけ文化祭の準備を手伝ったのだ。今にして思えば、下心もあったとは思う。天枷祈織と二人きりで文化祭の準備をする……そんな青春の一ページがあっても良いではないか、と思ったのだ。

 しかし、二人きりで準備をしたとは言え、何か特別な出来事があったわけではない。作業自体は彼女の指示に従っただけだし、俺も彼女も口数が多い方ではないので、会話も必要最低限だった。

 夜の七時を過ぎたあたりで作業がひと段落し、その日はお開きとなった。

 帰りは昇降口にある自販機でお疲れ様と互いにジュースを奢り合って、帰っておしまい。八ヶ浜駅から六ヶ峰駅まで電車の中も同じだったが、他愛ない日常会話をほんの少ししただけだった。

 翌日からは、そんな出来事などなかったかの様にお互いが過ごした。ただ、あの日からお互い少し目が合う事が多くなったのは事実だった。あとは、学校帰りや朝など、ばったり会った時などに会釈だけはする……そんな関係になったのだった。

 でも、それだけだった。その会釈が『おはよう』や『ばいばい』に繋がる事はなかった。


「……それだけ?」

「それだけ」


 そう答えると、スモモが肩透かしだ、と言わんばかりにずこっとこけた。


「僕からすれば、それだけでも何だか青春してて死ぬほど羨ましいんですけど⁉」


 一方の良太はハンカチでも噛んでそうなくらい悔しがっていた。


「いや、でも本当にこれだけなんだって」

「本当に? あのいのちゃんが告白までするにしては、ちょっと弱くない?」


 スモモの言う事には俺も納得せざるを得ないのだが、俺達にあった出来事と言えば、本当にそれだけだった。

 ただ、この時から彼女は俺を意識する様になってしまい、ずっと片思いしていたのだという。それで勇気を出して、バレンタインに告白をした、と祈織は後日言っていた。

 だが、スモモの言う通り、告白前のイベントとしては弱い。告白までするほどの事か? と俺自身が疑問に思っている程だ。


 ──あれ? そういえば……。


 さっきの体育の騒動の時、祈織は俺が人を投げ飛ばした事について、一切何も触れてこなかった。

 弧を描く様に綺麗に投げ飛ばしたから、かなりインパクトはあったはずだ。実際に、昼休みに教室に戻った時には男子から『お前あの技なんだよ、渋○剛気しぶかわごうきかよ』とツッコミを受けた。


 ──まあ、そんな事より怪我が心配でそれどころじゃなかったのかな。


 祈織の事だし、格闘技など興味もないだろう。

 俺はそう思って、昇降口に立てかけられた大きな時計を見上げた。

 気が付けば、祈織がそろそろ掃除を終えて昇降口にくる頃合いになっていた。どうやら本当に時間を潰せていた様だ。

 もう祈織が来るから、と二人とはそこで別れて、俺は恋人の到着を待ったのだった。

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