第34話

「そもそも、どうしていのちゃんは汐凪しおなぎくんの事好きになったの? 訊いても全然教えてくれないのよね」


 昇降口で上履きから靴に履き替えながら、スモモが訊いてきた。


「あ、それ僕も麻貴あさきに散々訊いたけど、全然教えてくれないんだよね」


 良太りょうたも同じく靴に履き替えて、こっちをじろりと見てくる。


「いや、教えないんじゃなくて、わからないんだって。ほんとに」


 勘弁してくれ、と俺は両の手のひらを天井に向けて、肩を竦めた。


「わからない? あれだけ汐凪くんにべた惚れなのに?」


 スモモの問いに、俺は頷かざるを得ない。

 そう。俺と祈織いのりの間には、何か恋愛に結び付く様な大それたイベントがあったわけではないのだ。どうして彼女が俺に好意を抱いたのか、その詳しい理由や切っ掛けについても、何も聞いていない。

 俺と祈織は一年の頃から同じクラスだった。入学した当初から『可愛い子だな』とは思っていた。

 だが、祈織は入学して早々に〝八ヶ浜はちがはま高校一の美少女〟と認定されてしまったので、俺は早々に諦めた。分不相応な恋などしても惨めだと思ったからだ。それ以降、遠巻きに絵画でも見る様な気持ちで彼女を眺めていただけだったのである。

 ラブコメ漫画じゃあるまいし、都合よくそんな高嶺の花の女の子と仲良くなれるイベントなど起きやしない。ましてや告白される未来など想定できるはずもないのだ。


「むしろ、告白だって最初は罰ゲームかと疑ったくらいだよ……」


 俺は正直な気持ちを打ち明けた。

 女子同士で何かの賭け事に負けて、バレンタインに好きでもない男に告白して反応を見て楽しむ、という悪趣味な遊びでもしているのかと思ったのだ。

 あの学校一の美少女こと天枷祈織あまかせいのりがそんな性格の悪い女の子であるとは思いたくなかったが、そうでもないと彼女から告白されるなど有り得ないと思った。


「そもそも、バレンタインで何て告られたのさ?」

「何てって言われても……ずっと気になってて好きだった、としか聞いてないよ」


 ふとあの日の事を想い出す。

 今年の二月十四日は、例年より寒かったのを覚えている。俺は掃除当番を終えて、鍵を職員室まで返しに行っていたので、いつもより帰りが遅くなったのだった。

 いや、いつもより敢えて時間を掛けて、だらだらと掃除をしていた所為もある。何を隠そう、その日にもらったチョコの数はゼロ。最後の希望を託せるのは、帰る時に見る自分の靴箱だけだった。

 その答えを見るまで、時間を稼ぎたかった──もとい、この間に誰かが靴箱にチョコを入れてくれているのではないか、という夢を見たかっただけである。

 そんな一縷いちるの希望を持って自分の靴箱を開いてみるも、案の定中は自分の靴だけしか入っていなかった。今年も収穫ゼロか、と溜め息を吐いていた時、後ろから声を掛けられたのだ。


『汐凪くん』


 その時、後ろに立っていたは、同じクラスで学校一の美少女こと天枷祈織だった。

 祈織からいきなり声を掛けられるとは思ってもいなかったので、思わず目が点になった。彼女の手には、バレンタインっぽく可愛くラッピングされた小さな箱があったのだ。

 そして、彼女はこう言った。


『これ……良かったら、受け取って欲しいんだけど……』


 そして、俺にその小さな箱──中身は手作りのブラウニーだった──を差し出した。

 真剣な眼差しだった。でも、その表情はどこか怯えている様でもあって、勇気を振り絞っている、という様子でもあった。

 それなのに、俺は事態が全く飲み込めず、間抜けな声で『な、なんで?』だなんて返してしまった。今思えば、酷い醜態である。

 この時、俺はこれは何かの罰ゲームなのではないかと瞬時に思ったのだと思う。これが現実で起こり得る事と思わなかったからだ。罰ゲームなら罰ゲームと先に言って欲しいと思ったのである。

 すると彼女は、こう言った。


『好きだから……汐凪しおなぎくんの事』


 彼女は緊張した面持ちで、泣いてしまうのではないかというくらい瞳を潤ませて、自らの気持ちを伝えてくれたのだ。

 その時の俺は呆気に取られて、顎が外れるかと思うくらい口を開いていたと思う。彼女ほどの女性に好かれる様な事など、した憶えがなかったからだ。

 その時彼女は『ずっと気になっていた人だった』という様な内容の事を打ち明けたのだった。そして、そこから俺達の交際は始まったのである。


「もっと深堀しなかったの?」


 話を聞いていたスモモが不思議そうに訊いてきた。


「できるわけないだろ。ていうかむしろこっちにそんな余裕がなかったよ」


 大混乱だった。その時の混乱っぷりだけは今でもよく覚えている。


「去年も僕は麻貴あさき祈織いのりちゃん二人と同じクラスだったけど、付き合う前に教室で話してるところは見た事なかったと思うんだけど?」

「まあ、実際に話した事はないな。あ、いや……一回だけあるか?」


 思い返してみれば、一度だけあった。

 まさか話せるとは思っていなくて、あの日はテンションが上がったのを覚えている。夜になかなか寝付けない程だった。


「え、なになに?」

「教えなさいよ!」


 俺の反応を見た良太とスモモが、目を輝かせた。

 しまった。余計な事を口走ったせいでスモモと良太に興味を抱かせてしまった。


「えー……何でだよ」

「いいじゃない。どうせいのちゃんの掃除終わるまで待ってるんでしょ? まだ時間あるわよ」

「そーだそーだ! むしろ僕らは暇潰しに付き合ってやるんだぞ!」


 何という感謝の押し売り。酷い言い分だ。


 ──まあ……そんな大した話でもないし、別にいいか。


 俺は付き合う前に祈織とあった唯一のイベントについて、記憶を巡らせた。

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