第7話

 六ヶ峰ろくがみねは海に面した、古風な町だ。繁華街などはなく、町並みも近代化を免れていて、昭和や昭和以前の文化をそのまま受け継いでいる。

 榎島えのしままでいくと観光地でもあるのでかなり近代化しているが、ここ六ヶ峰や学校がある八ヶ浜はちがはまなんかは、昔とさして変わらないそうだ。

 道は狭く、入り組んでいて、出来心で路地をくぐり抜けると、全然予定していた場所と違うところに出た、なんて事もある。古びた旅館や年季のある屋敷もあって、散歩するだけで楽しめた。

 まだこの場所に引っ越して半年と少し程度であるが、俺はこの町が結構気に入っていた。

 六ヶ峰駅を背に海とは反対方向に暫く歩くと、地域住民用の小さなスーパーがある。

 俺と祈織はそこでいくつかの食材を買って、家路に着いた。どうやらカルボナーラを作ってくれるらしい。サラダ用の野菜とデザートのアイス、そして何故か二人分のヨーグルトも買っていた。

 スーパーを背にして北側に曲がり、三〇メートルほど歩いたところに──俺の住むアパート『アンジェパレス六ヶ峰』は建っていた。

 高級そうな名前だが、普通の洋風ワンルームアパートだ。家賃は三万五千円。ユニットバスではあるが、WiーFi込みでこの価格はかなり安い。

 俺は事情があって、高校生のくせにこのアパートでひとり暮らしをしているのだった。

 アパートの階段を上って、角部屋の二〇三号室に入る。


「お邪魔しまーす」


 祈織が言いながら部屋に入って、靴を揃えると、早速買ったものを冷蔵庫に入れていた。


「この部屋の匂い、やっぱり好きだなぁ」


 頬を緩ませて、彼女はそんな事を呟いていた。

 俺はハンガーを取って自分の制服をカーテンレールに掛けると、もう一つハンガーを取って「ほい」と彼女に手を差し出した。


「あ、うん。ありがとう」


 祈織は制服の上着を脱いで、俺に手渡した。彼女の制服もハンガーにかけて、自分の制服の横に並べて掛ける。

 祈織はワイシャツの袖を捲ると、手首に掛けていたヘアゴムで髪を結った。その時に見えたうなじに、思わずどきりとする。


「ちょっと待っててね。すぐ作るから」


 祈織はそう言ってエプロンをつけると、早速鍋に水を入れて、火に掛けた。

 その間、俺はテーブルの上を整理して、拭いておく。あとはテレビなんかをつけて、何となく静かな部屋に音声をもたらしておいた。彼女がこの部屋にいるだけで、やっぱり緊張してしまうのだった。

 特につまらないバラエティー番組しかやってなかったので、彼女が台所で料理をする姿をぼんやりと眺めていた。


「あ、あんまり見ないでってば」


 沸かした鍋にパスタを入れて、今はベーコンを切っている最中だった。

 祈織から視聴NGの要望が入る。


「え、なんで?」

「恥ずかしいから……」


 緊張して手元狂っちゃう、と祈織は少し顔を赤らめたまま、ベーコンへと視線を移した。

 口先だけで「ごめんごめん」と言いながら、テレビへと視線を戻す──ふりをして、こっそりと祈織を眺めた。

 そのまま慣れた手つきで彼女はバターをフライパンで溶かし、そこにベーコンを入れる。それから暫く炒めてから、茹でたパスタのお湯を丁寧に切って、そのフライパンへと投入した。

 それから牛乳やらチーズらしきものや、なんやかんや入れていた。

 祈織はこう見えて、料理がかなり上手い。料理好きなお母さんの影響だそうで、大体なんでも作れる。彼女から貰ったバレンタインデーのお菓子も、手作りだった。

 当の本人は、重いと思われたらどうしようとかなり悩んだそうだが、皆のアイドル天枷祈織あまかせいのりの手作りお菓子(告白付き)で喜ばない男などいない。いたとすれば、きっとそれは性癖をこじらせている変人だ。

 かくして、ひとり暮らしを初めてから数か月後、彼女の存在によって俺の食生活文化は実家にいた頃よりも格段に上がっていたのだった。


 ──中学の部活引退してからろくに運動してないし、幸せ太りには気をつけないとなぁ。


 そんな事を思うのだった。

 それから暫くすると、カルボナーラとサラダが二皿ずつキッチンから運ばれてきた。チーズの香りがほどよく部屋を覆っていて、お腹が鳴る。


「な、なんだこの高そうなカルボナーラは……! 卵黄が乗ってるんだけど⁉」


 テーブルに並べられたカルボナーラは、まるでイタリアンのお店に行った時に出てくるような出来栄えだった。胡椒を振りかけられた卵黄も乗っていたのである。


「普通のカルボナーラだってば。大袈裟だなぁ」


 祈織は呆れた様にそう言うが、最後に卵黄を乗せているだけで一気に高級感が出る。このアクセントを付けれるだけで彼女の料理センスが伺われた。


 ──祈織って、ほんとに全然欠点ないよなぁ。


 付き合ってそろそろ二か月経つが、彼女の欠点らしい欠点を見た事がない。

 料理もできて、成績も優秀。性格はこの通り優しくて気が利くし、外見は天使級。非の打ち所がないとはまさしくこれだった。

 強いて言うなら少し引っ込み思案で運動が得意でない、事くらいか。ただ、それは別に欠点とは言わないしな、と思う俺であった。

 この子、本当に何で俺と付き合ってるんだろう?


「じゃあ、食べよっか。待たせちゃってごめんね?」

「いや、もう感謝しかないから! 頂きます!」


 手を合わせて、早速彼女の作ったカルボナーラを食した。

 味は絶品。そこらの千円二千円するイタリアンのカルボナーラよりも、絶対に祈織のカルボナーラの方が美味いと思うのだった。

 それから俺達は食事を取って、さっきスーパーで買ったデザートのアイスを食べて、つまらないテレビ番組を見て……そんな幸せなひと時を過ごした。

 そして結局──この夜、祈織は俺の部屋に泊って行く事になったのだった。

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