第6話

 六ヶ峰ろくがみねの駅前は、相変わらず閑散としていた。

 六ヶ峰は駅員もいない無人駅である。廃工場の余り物で作ったような古臭い駅だが、俺はこの趣深さが妙に気に入っていた。

 休日には、某バスケットボール漫画の聖地として駅前の踏切に多くの人が集まるが、俺としてはこの廃工場の余り物みたいな駅の方が価値がある気がした。

 この時間になると駅の利用者もいない様で、駅の構内も外も誰もいない。少し離れた場所からする波の音と共に、小さな虫の羽根音さえ聞こえた気がした。


「じゃあ、また明日な」


 俺は祈織いのりに向けて微笑んで見せる。

 祈織はこの榎島えのしま電鉄の終点にある、藤澤ふじさわの住宅街に住んでいる。もう六時半を回ってしまったが、遅く見積もっても七時半までには帰宅できるだろう。


「うん……」


 祈織は長い髪を指先でいじりながら、改札に向かって行った。

 スカートのポケットの中から定期入れを出して改札の前まで歩くと、祈織は不意に立ち止まった。

 そしておもむろにこちらを振り返る。


「……またね、麻貴あさきくん」


 定期を持っていない方の手で小さく手を振っていた。

 寂しそうに眉根を寄せていたその顔がどこか印象的で、見ていて胸がきゅんと締め付けられた。


「祈織」


 気付けば俺は、彼女を呼び止めていた。

 こうして彼女をここで見送る事は、別に珍しい事ではない。でも、今日に限っては、どうしてか引き留めたくなってしまったのだ。

 祈織は「どうしたの?」と小さく首を傾げていた。


「あー……えっと、部屋、寄ってく?」


 そして俺は、そんな事を口走っていたのだった。

 まだ時間は六時半だ。彼女の門限まで時間はあるし、少しくらいなら平気だろう。

 その言葉を聞いた祈織は、これでもかと言うくらい嬉しそうな顔をしていた。きっと彼女に尻尾があったなら、ぶんぶんと振り乱していただろう。


「いいの? じゃあ……ちょっとだけお邪魔しちゃおうかな」 


 そう言ってはにかむと、彼女は駆け寄ってきた。

 ポケットに定期をしまう仕草も、何だか嬉しそうだ。


「って言っても、朝もお邪魔したばっかりだけどね」

「そうだな」

「でも、夜に行くのは久々かも」

「そうだっけ」


 そういえば、春休みの初日だか二日目だかにデート帰りにうちに来ていた記憶がある。夜にうちにくるのは、その時以来だろうか。毎日会っているので、その感覚が麻痺してきた様だ。

 今日に限らず、祈織は毎朝俺の部屋まで寄って、俺を起こしに来てくれる。時たま彼女自身もそこで布団にもぐり込んできて、そのまま一緒に寝てしまう事もあった。もちろん、そういう時は二人揃って遅刻だ。


「確か冷蔵庫に何も入ってなかったから、帰りにスーパーでも寄ってくか」

「うんっ。何か作ろっか?」

「いや、弁当も作ってもらってさすがにそれは……俺が作るよ」

「えー……」


 俺の提案に、祈織は不満げな声を上げた。


「なんだ、その不満げな声と顔は」

「だって、また炒めるだけのフライパン料理でしょ? 脂っこいものばっかりになっちゃう」

「ぐっ。よくご存知で……」


 男の手料理など、特別料理好きでもない限り、大体は白飯とフライパン料理で事足りてしまう。

 特に十代の食欲旺盛な青少年なら尚更である。


「それだと栄養に偏りが出ちゃうから、私が何か作るよ」

「それは有り難いんだけど……手間かかんないものにしてくれな? まじで申し訳ないっていうか」

「任せてっ」


 歩き始めた俺の横に寄りそって、祈織は手を握ってきた。指をしっかり絡める様にして、その手を握り返す。

 この時、俺の心の中があたたかい気持ちで満たされて行き、先ほど思わず呼び止めてしまった自分の心理を理解した。

 俺も彼女と同じく、もう少し一緒に過ごしたいと思っていたのだ。

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