聖剣神話~一人の少女と絶望の神々~

黒百合咲夜

プロローグ

 とある城の一室に、まだ幼い兄妹がいた。二人は、母親に絵本を読んでもらっている。

 三人が横になって絵本を読み進めていく。暖炉の淡い炎の煌めきが、絵本の絵柄を亡霊のように、ぼんやりと暗闇に映し出していた。


「そして、邪神王は勇者に尋ねます。『どうしてだ? どうして、ここまで人間のために頑張れる? なぜ、諦めようとせずに立ち向かうんだ?』と」


 兄妹がぶるりと体を震わせる。

 絵本とはいえ、三千年前に実際に起きた出来事を記したこの本は、文章や、当時の会話の再現もさることながら、挿し絵も本格的で、恐ろしさを醸し出している。

 妹が兄の体に抱きついて、顔を埋めてしまった。一方の兄も、妹を安心させるように頭を撫でるも、その手は震えている。

 二人の反応を見て微笑む母親。安心させるように二人の頭を撫でて、ページをめくる。


「邪神王の問いかけに、勇者は答えます。『そんなの簡単なことだ。私には、守りたいもの……守るべきものがある。それに、私を信じて命を繋いでくれた人たちの想いを背負っているんだ。そんな皆の想いが、私をここまで強くしてくれる。だから、諦めない。最後の最後まで戦い抜き、お前たちを倒す。そして、誰もが笑顔で朝日を迎えられる、そんな平和な世界を取り戻して見せる』」


 妹が息を呑んだ。この物語の最大の見せ場でもあるシーンを前にして、興奮を隠しきれていない。

 続きをせがむ兄妹に、笑いながら母親が応じる。


「勇者の聖なる一撃を受けて、体を崩壊させる邪神王。この機をチャンスと捉えた神々や天使たちにより、邪神王は封印されたのです。長かった戦いは、こうして幕を閉じました」


 そっと本を閉じる母親。妹は、めざとくとあることに気がついた。


「お母様。まだ、続きがあるよ? 勇者様はどうなったの?」


 妹のその質問に対し、母親は口を開きかけて閉じる。結末を、まだ幼い妹に話してしまってもいいものかと迷ったのだ。

 刹那の思考の後、母親が頭を振る。やはりこういうお話は、最後まで聞かせるべきだ。


「勇者は、邪神王の封印を見届けてそっと静かに息を引き取りました。世界は、勇者の尊い犠牲と共に守られたのです」

「勇者様、死んじゃったの?」


 妹が泣きそうな瞳で母親の顔を見上げる。不安そうな妹を、兄が優しく包み込むように抱き締める。


「そう。だから、勇者様に感謝して生きていかないとね」

「お兄様……うん!」

「そうね。さあ、今日は遅いから寝なさい。明日、また遊ぶんでしょ?」


 本を閉じて机の上に置く。それから、兄妹をベッドに寝かせて暖炉の火を消すと、母親が退室した。その日、妹はお話の興奮からよく寝付けなかった。


 ……それから、朝が来て、夜が来る。また、朝が来て夜が来て、また朝が来て夜が来る。

 何日、何年も時は過ぎていき、絵本は忘れられたように本棚に片付けられていた。

 そしてある日、突如として部屋を振動が襲う。その衝撃で本棚の本は崩れ、床へと撒き散らされた。乱雑に散らばった本の一番上に、その絵本は落ちている。窓から差し込む赤色の光が、絵本だけを淡く照らし出していた。

 静寂が支配する城。その静寂を打ち破るように、部屋の扉が開かれて誰かが室内に入ってくる。

 床の上に落ちていた絵本に、血に濡れた手が押し付けられた。


「レティーア……君だけは……君は、世界の希望だから……」


 男性が絵本を大事そうに抱え、床で踞り命を散らす。男性と絵本は、城を覆い尽くす業火の中へと消えていくのだった。

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