無限の三人

ババババ

本文

 スズキは地獄から来たような顔で街を歩いた。二日酔いで腫れすさんでいる、髭も伸びっぱなしの顔を擦り、ため息を付く。着古して薄くなったコートから寒風が入り込み、火照った体に染みた。咥え煙草を燻らせくゆらせ、入り組んだ路地を入っていくと昼間だと言うのに暗く、見当識けんとうしきを曇らせる。都会にはこういった一種の吹き溜まりの様な土地が生まれるものであり、得てして危険を孕んでいるものであることをスズキは知っていた。潰れた店の看板、積み上げられた木箱、ゴミ箱等々……視線を滑らせながら再度ため息をつく。

 

 急に背後が騒がしくなったと思うと後ろから高そうなスーツを着た青年がぶつかってくる。もしやスリかと思って体を探るが、何か取られた様子は無い。

「おい、危ないだろうが!」

 遠く離れた人影へ叫ぶが、返事は無い。さらにもう一人、小柄の女が走ってくる。派手な服にハイヒール、デカいトランクを抱えていて走り辛そうだ。女が横を通り過ぎる。ふと硝煙しょうえんの匂いがする。彼女の手を見ると、拳銃が握られていた。二人の構図、その焦り様から、最悪の事態を想定するには十分すぎた。女がこちらを驚いた顔で振り向くが、すぐに走り出す。拳銃を見られたことに気付いたんだろうか。

 

「殺人が見られるのかもしれねぇ……」

 下卑たげびた考えは口から滑り落ち、ただ一つ響いた。退屈な昼下がりであったため、にやける顔を押さえながら後をつける。

 人影は相当前を走っている様子であり、影も見えなかった。路地には障害物が散乱しており、急いで体でもぶつけたのかと笑った。踏みつけられた段ボールをさらに踏みつけ、煙草の吸殻を踊るように数え、口の端から白い息を吐いて跛行はこうを繰り返す。そういえば相手は武器を持っているんだったと、手近なビンを割って握る。スズキは銃を持つ女の勝ちを疑わず、また己の体の強さを疑わず、女程度ならこれで十分だと思っていた。


 血の滴りを見つけ、歩いて追っていくと、争いの匂いが強くなっていくのを感じた。ビルから伸びる室外機とバルコニーは樹木のように層を無し、地上はまるで地下牢のように暗くなる。誉ある人類の繁栄は社会に無法地帯を生み出したものだが、そこに生きる少数民族にとっての最高のシェルターを提供した。とりわけ暗い石畳の剥がれた部屋へスズキが足を踏み入れようとすると、頭へ強烈な一撃を受けた。食らう覚悟の上で入ったのだから、これくらいはあってしかるべしと、驚く素振りも見せない。数度組み合うと、銃床で殴られたのだと察した。暗く、相手が何者かは分からなかったが、相手の弾切れを悟ったスズキは次の一撃に合わせ相手の脇腹にビンを思い切り突き立て、銃を奪い取る。暗がりのぼうっと浮かぶ相手の輪郭へ向け、勝ち誇った顔を見せた。

 

「誰だか知らないが、運が無かったな」

 相手は答えない。

「遺言も無しか……つまらん奴だな」

 苛立ちを舌打ちと銃弾に込め、試しに引き金を弾いてみた。

 

 途端、轟音が雷撃のように辺りに響く。マズルフラッシュが映し出したのは確かにすれ違った女だった。女が勝てるわけないだろうと、吹き出す。再度引き金を引くとまだ弾が出る。また引く、弾く、弾く。その場は笑い声と銃声に支配されていた。弾が無くなるまで打ち尽くしたとこでやっとスマホのライトをつける。女は青年を殺していたようだが、今は口をパクパクと動かすことしかできなくなっていた。遺言を言う気になったかと耳を近づけてやる。

 

「なん……あんた……また……」

 どうやら混乱している様子。弱い人間とは悲惨なものだ。こんなに派手に暴れたのだ、警察でも来られたら堪らないと、死体をどうするか考える。財布だけでも取って帰るかと死体を漁ってみる。女は何もなく、男もまた煙草程度しか持っていない。不意にデカいトランクがあったことを思い出し、周囲を探す。何が入っているんだろうか?単純に札束なら数千万くらいかと胸を躍らせると、後ろでガラスを踏み割る音が聞こえる。拳銃を向け、睨みつけながら威嚇いかくをする。

 

「誰だ!出てこい!」

 反応は無い。どうやら他にも部屋に通じる道があったようで、何かがそこから入ったのだろう。

「別にこっちから行ってやってもいいんだぞ?」

 反応は無い。らちが明かないと拳銃を向けたまま近づく。音の出どころまであと数歩といった所で、大柄な人影が飛び出してくる。

 

 影はスズキにぶつかった後、トランクを引っ手繰るようにして奪い取るとまた道を駆けだした。日が当たる場所に飛びだした影は、青年と同じ高そうなスーツを着ていた。それどころか体格、アクセサリーなども正に生き写しと言った様であり、もはや本人と言っても過言ではない。

 

 後ろには確かに青年が倒れている。だが、あの姿は確かに青年だ。何が起こっている?混乱するが、殺しの現場を見られた。それにトランクも持っていかれた。スズキには正体を確かめ、さらに奴を消すしか選択肢が残されていなかった。

 

 青年を追う。思ったより足が速く、追いかけるのがやっとだった。道を知っているのか、障害物を避けながら、軽々と走っていく。途中なぎ倒された木箱やごみ箱がさらに邪魔をする。潰れた店の看板、積み上げられた木箱、ゴミ箱……デジャブを感じる程に見覚えがある景色は、時間感覚を狂わせる。途中前を走る青年が人を弾き飛ばす。小柄な女性はその衝撃でしりもちをつく。こちらが握っている拳銃を見られたのか、悲鳴を上げている。全てただの邪魔でしか無かった。


 無限に思えた通路も光を遮りながらとうとう袋小路へと終着する。暗い石畳の剥がれた部屋へ逃げ込んだ青年を、銃を持ったスズキが追い詰める。

「残念……鬼ごっこはもう終わりだな……」

 強がっては見たが、銃には弾が無い。青年もどきを消すには、この手で殺すしかない。嫌悪感で吐きそうになる。

「お前は終わりだろう……出てきた方が、傷が浅く済むぞ」

 甘言にも飛びつかない。部屋の中へゆっくり滑るように足を踏み出す。獲物を前に気を引き締めた鈴木だったが、入り口の傍に隠れていた青年には気付かなかった。

 後ろからトランクで思い切り殴られる。スズキはよろめきながら拳銃を落とした。青年は拳銃を拾うと、とっさにスズキへ拳銃を向ける。

「これで有利だ」

「……そうかい」スズキはわざとらしく両手を挙げて見せた。

「お前、人を殺したことは?」

「…………あるさ」

「嘘つくなよ坊主。人を殺す奴ってのは、もっと不安な顔をしているもんだ」

「……」

 手を下ろす。こいつは撃てない奴だと感じる。

「青年。お前はこの先の人生をすべて捨てていけるか?」

「なにいって……」

「俺を殺して、人間を捨ててみろ!」

 はったりで脅しをかけると、青年へ飛び掛かる。拳銃には弾なんか入ってないんだ、恐れるものは何もない。青年の髪を掴む寸前、その銃からは、轟音が響いていた。

 青年は半狂乱になりながら何度も何度も引き金を引いた。スズキは凶弾を受け、体は溶けた鉄を塗られたように痛んだ。しかし頭の中では走馬灯のように疑問が沸いて出た。なぜ死んだはずの青年が生きていんだ。なぜ拳銃から弾が出たんだ。なぜ青年を追いかけた通路はこの部屋に通じていたんだ。なぜ女はこの青年を殺していたんだ。なぜ……

「なんで……お前が……生きてんだ……」

 青年の後ろには女が立っていた。

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