元日本人で記憶喪失の既婚者ヴァンパイアバディはかくりよに出奔する

夜霞(四片霞彩)

ヴァンパイアの国の新たな政策

第1話

 薄紫色と橙色の境目が曖昧になる時間――逢魔が時。そんな夕空の下に建つ騎士団の白い建物の中から、鬱屈した顔の青年が出て来た。

 騎士団特有の白のスーツと黒のブーツ、青地のマントを靡かせながら歩いているのは、二十代前後の青年だった。

 星の光を写したようなストレートの銀の短髪と端麗な顔立ちから、誰もが振り向くような美男子であるはずだが、怒りを堪えるかのように眉間に皺を寄せて、赤々しい目を細めている今の姿にそんな面影は無かった。


(あの上官……今度こそ許さん……)


 ここが人目のある往来じゃなかったら、今にも叫んでいただろう。せめて居所の悪い腹の虫だけでも抑えようと、青年は歯を食い縛る。

 青年の口から鋭利な牙が見えた途端、近くの通行人が顔を引き攣らせて身を引いたが、そんな様子に気付くことは無かった。

 青年は足音高く、石畳の上を歩き続けたのであった。


「シオン!」


 自分の名を呼ぶ声に、青年は足を止めると後ろを振り向く。夕暮れの中、家路を急ぐ人波より頭一つ分以上高い青年が、少し離れたところで手を振っていた。

 青年も片手を上げて答えると、そのまま人を掻き分けるように長身の青年が近づいて来る。

 青年と同じ青いマントを通行人にぶつけないように、それでも早く青年の元に辿り着こうとする姿に自然と頬の筋肉が緩む。

 怒りで煮えたぎっていた頭が冷め、心が平静を取り戻すと、ようやく青年は居所の悪い腹の虫を追い出せたのであった。


「リカンか」


 シオンと同じ騎士団の格好に、くせ毛気味の銀の短髪を後ろに流した同年代の青年――リカンは低すぎないテノールボイスを尖らせたのであった。


「いつになく機嫌が悪いな。追いつくのに苦労したぞ」


 シオンが心を許せる数少ない親友は苦笑と共に肩をすぼめたので、シオンも意地悪く返す。


「そういうお前こそ珍しいな。こんな早い時間に仕事を終えるなんて。まだ夕陽が空に残っているじゃないか」

「おいおい……。普段は仕事が出来ない奴、みたいな言い方をするな。あとそのセリフは、さっきおれが騎士団の中で掛けただろう」


 その言葉にシオンは騎士団を出るまでを振り返る。言われてみれば、誰かに声を掛けられたような気もしたが、怒りが沸点に達していたこともあってそんな余裕はなかった。


「そうだったのか? すまない。考え事をしていたから全く気が付かなかった」

「そうだろうな。今日のお前は眉間にこんなに深い皺を寄せていたぞ」


 リカンは先程までのシオンの真似すると眉間に深い皺を刻む。シオンより身長が高いこともあって、それだけでも迫力があった。


「……そこまで深刻そうな顔はしていないだろう」

「してたよ。お前が気がついていないだけでさ……。で、何があったんだ。おれに話してみろ。解決できるかどうかは別として、気持ちは軽くかもしれない」

「そうだな……」


 二人は並んで歩き出すと、近くを走る車や馬車に負けないように声量を上げる。

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