辺境の老兵はやり直し、聖女を守る万能少年になる

氷雨そら

プロローグ



 氷結の傭兵と呼ばれた男が、人生の最後に出会ったのは、ひとりの少女だった。

 その日から、その男の日常は、今まで経験したことのない、甘くてフワフワしたもので包まれた。


 ――――だが、こういった終わりが、男にはふさわしいのだろう。


 背中にかばった少女は、泣きながら、男の名前を呼んでいた。

 少女の記憶に残る。ただそれだけで、死する理由には十分すぎた。


「お嬢様……。どうか、幸せになってください」

「ガスール! あなたがいなくては、幸せなんてないの!!」


 まだ、幼さの残る少女の言葉。

 この年代の少女が、年上の男性にひととき憧れるというのは、よくある話だ。

 だから、光栄だとは思っても、覚悟が揺らぐことはない。


「お願い。私も一緒に連れていって!!」


 涙ながらの少女の願いを、聞くことは出来ない。

 今まで、どんな願いでも、叶えてきたのだとしても……。

 

「ご一緒できませんが、必ずやお守りいたします。だから、どうか幸せになってください」


 幼い頃の自分を守ってくれるものなど、一人もいなかった。

 けれど、今、幼い少女を背にして守ることが出来る自分が誇らしい。

 それが、ほんの五年前の自分であれば、鼻で笑うような事実なのだとしても……。


「ガスール!!」


 涙で、鼻声になってしまった少女の声。

 いつも、求められる役割に忠実に、どこまでも大人びていた少女は、今、年相応の子どもでしかなかった。


「……お嬢様をお連れしろ」

「団長……」


 ほとんどの、辺境伯騎士団の騎士たちがいなくなった今、少女を任せることが出来るのは、まだ年若い騎士ただ一人だ。

 だが、この難局さえ乗り越えれば、王家の血を引き、類い希なる力を持った少女を守護しようという貴族がいるはずだ……。


 ガスールの名を呼びながら泣き叫ぶ少女。

 それは、これから死にゆく老兵への何よりのはなむけだ。


「ファリーナお嬢様、どうか生き延びてください」

「ガスール!! 私は一緒に」

「どうか、この老いぼれのことを生き延びた幸せの先で思い出していただきたい。それが、なによりも……」


 こんな風に晴れやかに笑ったことが、戦いだらけのこの人生でかつてあっただろうか……。

 幸せは、終わりの瞬間に訪れることもあるのだと、かつて出会った聖女の言葉をガスールは思い出す。


 それは、今は亡き、彼女の母親だ。


「今こそ、あなた様との約束を果たしましょう」


 双剣を携えて周囲を凍てつかせながら走り出した老兵を止めることができるものなど、ここにはもういない。

 赤い飛沫は、老兵の人生を彩る薔薇の花のようだ。


 遠く聞こえなくなった少女の声。

 全ての敵を倒した老兵は、立ったまま事切れる。

 少し先の未来、聖女を謀略から助け出した英雄として名を残すことも知らずに。


 ***


「……そう、死んだはずだが?」


 少女の手を引いて、安全な王都の中心部まで走ってきた少年はつぶやく。

 美しく磨かれた店のガラスに映っているのは、ガスールの幼い頃に似た容姿の少年だった。


 紺色の髪の毛と、特徴的な金の瞳。

 王都の貧民街、そこでただ息をするだけの存在だったはずの一人の少年は、過去の記憶を思い出す。


「ねえ、あなた。私と一緒に来なさい」


 目の前にいるのは、かつての記憶よりも大人びた一人の少女。

 あれから何年経ったのだろうか……。

 今、あの頃の年齢は完全に逆転していた。


 少女の手を取ったのは、あの日、名を呼び続けた悲痛な声が耳に残っているからに違いない。


「私は、聖女ファリーナよ。あなたの名前は?」

「……ガスール」

「……まあ。名前まで同じだなんて」


 少女の声は、あの日と同じ、涙をこらえたような鼻声だった。

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