十九、分かってるんだよ、浮瀬くん


鼻で笑われたが無視してシュニッツェルにフォークを突き刺す。


「千歳が飲めるようになるまで我慢しよっかな」


「本当にするの?」


「出来るよ。別にそこまで好きなわけでもないしね」


「じゃあ今日は珍しい日?」


「うん。凄い珍しい日」


浮瀬くんは私が口をつけた事でバラバラになった渦巻きだったソーセージの一部にフォークを刺し口へ運ぶ。横顔を見ながら、忘れかけていたがこの人はずっと生きていて、お酒も煙草も、成人にならないと禁止されているものすべてを履修済みであった。


今も昔も好んで酒や煙草に口をつけるような人ではなかったから、何となく、同じ場所にいる気でいた。


でも現実は違う。今の私は十七歳で、彼と同じようには出来ない。もっとも、前の世ではお酒を飲める歳だったけれど、アルコールに弱かったためあまり口にはしなかった。そのせいだろうか。浮瀬くんは私の前でお酒を嗜む事は少なく、いつもお茶ばかり飲んでいた。


緑茶だ。ペットボトルの中身は緑茶だった。やっぱりと思いながらも、長い時間で変わらない事もあるのだという事を知る。


「あのさ」


「何?」


「僕うざい?」


「は?」


突然、真面目な顔で何を言い出すかと思えば、浮瀬くんは至極真っ当な事を言っていると言わんばかりに言葉を続ける。


「仙堂にさ、あんまりしつこくするのも止めてやれって言われて」


「ああ、仙堂……」


今日のお昼に貰ったカレーパンを思い出した。あれはとても美味しかった。


「確かにちょっと舞い上がってた節はあるかなと思ったんだよね。八十年振りだし、嬉しくてさ。でも八十年前と世界は変わってるから、すぐに千歳と一緒に暮らす事も出来ないし結婚だって出来ない」


「うん、後半はちょっと聞かなかった事にしとくね」


「昔はさ、女性が働いて生きていくなんてほぼ不可能だったわけじゃん?」


「そうだね」


「だから君が自由になる術は一緒になる事だったんだけど」


前の世を思い出した。その前と、前の事も。どれだけ額があろうとも女性が働くものではなかった世界だ。逆に、働いている女性は貧しくて卑しい物だと言われていた。


二人でよく行ったカフェのウェイトレスの制服を着てみたいと言った事がある。その時彼は似合うよと笑ってくれたが、父に言うとそんな低俗なものを着るのは止めろ、女が働くなんて恥知らずだと怒鳴られたものだ。


「今は自由でいられる時代だから。千歳は自分の力で稼げるし、僕が一緒にいて全部養うみたいな事に縋らなくてもいいわけじゃん?元々、それに対して負い目を感じてたし」


「うん。思ってた」


「だから僕はどうすればいいかなって思って、ちょっと空回ってたから」


「だから珍しく飲んだの?」


「そう。ださいだろ」


「ださいというか……まぁそうだね」


そんな事で飲んでたのかと思うと、込み上げてきた笑いが口から零れてしまった。ふふっと、口を押さえても止まらない。彼は不服そうにしていたが、あんまり良くなかったからごめんと言った。


「時代に染まるべきだった」


「時代に染まるって……おじいちゃん……ふふっ」


「おじいちゃんだよ、そうさ。僕は超高齢なんだから大事にしてよ」


「あはは!あーもう無理!」


一生懸命堪えていたがもう無理だ。口を大きく開け込み上げる衝動をそのままに声を上げる。浮瀬くんは前髪をぐしゃぐしゃにして唇を尖らせているが、それすらも面白い。


「そりゃあ、そうだね。うざいかうざくないかで言ったらうざいよ」


「火の玉ストレートが僕の心を傷つけました」


「だって家にいる以外ずっと一緒なんだよ?昔はそれが当たり前だと思ってたけど、現代で、しかも高校生なのにさ、そんなにずっと一緒にいるって付き合いたてカップルなら泣いて喜ぶかもしれないけど、私だよ?」


「だろうね。君は一緒に暮らしてた時も、一人の時間を邪魔して欲しくない人間だった」


同じ家で過ごす時間が短いながらいつの世にも存在した。仕事をしていない日の彼は私に構ってほしくてありとあらゆる邪魔をしてきたが、大体私が本を読んでいる時にそれをやってきたので無視していた憶えがある。それに彼が残念そうな顔をしながらも私に背を預け本を読んだり、眠り始めたりする。


そんな幸せの一瞬を切り取った日々が、本当はずっと、続いて欲しいと願っていた。

フォークを刺す手が止まった。浮瀬くんが気づき、私の名前を呼ぶ。

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