さんじゅ〜なっなっ
「どうして保育園に、男性がいるんですか? おぞましい!」
侮蔑に満ちて――そして、不快感がいっぱいの声が、この園庭に響いた。
園舎から見ていた保護者が、つかつかと俺の方に歩み寄る。
「……ママ?」
「
まるで俺から奪い取るように、その子の腕を取り、抱きしめる。
「杏子、何もされていない? 大丈夫?」
「……ママ、そんなことないから。お兄ちゃん先生、優しかったから――」
「大丈夫。本人を前にして言えないわよね」
ふっと笑んだかと思えば、俺を――それから、保育士さん達までキッと睨む。
「配慮が足りないと思います。この子が、父親……いえ、あの男と何があったか、先生方にも共有したはずです」
「いや、あのですね?
珍しく、阿澄先生が困惑しているが、このお母さんのボルテージは高まっていくばかりだった。
「この保育園を希望したのだって、保育士さんが女性だけだから。私、行政の方にも、そうお伝えしたんですよ! それなのに――」
認可保育園への入園は、行政の許可が必要だ。条件としては、就労していること。片親世帯であること、病気をしていること、などなど。要は、日中、子どもを育児できない事情がある世帯が優遇されるのだ。
もっとも、現在は共働き世帯が増えた。保育園を託児所的に、幼稚園を教育機関として捉える考え方はもう古い。幼稚園、保育園の一元化するため、認定こども園が設立されたわけだけれど。
待機児童数2500人もいる現状を考えれば、働くお母さん達に優しくない社会と言われても仕方がない。
察するに、あの子――杏子ちゃんのお母さんは、シングルマザーということか。今もきんきん、彼女の感情にまかせた声が響く。
と、昨夜の食卓での会話をふと思い出した。
――しゅー君。お母さん達……それからお父さん達もだよね。初めて、子どもを育てる人が多いの。そういう意味じゃ、色々抱えながら生活をしているから。時に、理不尽なことも言われると思うの。でもね、しゅー君は特に、自分のせいだって思わなくても良いの。
――花圃、言うようになったね。
――お母さん、茶化さないで!
――はいはい(笑)
――お母さん?!
――まぁ、でも花圃の言いたいことは分かるわよ。本来、保育園と家庭は
――だから、何を言われても。学生のしゅー君は、抱え込む必要ないから。自分のせいだって、思っちゃ絶対にダメなんですからね?
こつん。
俺のオデコと花のオデコがぶつかる。花なりに【
――だから、花圃ちゃん近いよ? 近いから! 嫁ポジションなら良いけれど、妹ポジションまで奪わないでよ?!
(大丈夫――)
花がくれたお守りのおかげで、俺はちゃんと冷静だから。
■■■
「……ママ、話を聞いて!」
「杏子は良いから。あなた、黙っているってことは図星なんでしょ? こんな子どもを性的な目で見るなんて、恥ずかしくないの?」
「性的……?」
目をパチクリさせる。子ども達を相手にしてそんな発想をしたことがなかったから、二の句が継げない。
「男なんて、性欲の固まりでしょ。男性保育士の不祥事が如実に物語っているじゃない。男なんて、どれも一緒よ」
「……それ、俺もそう思われてるの? その発想そのものが気持ち悪いんだけど」
「同意だけど、キャプテンはちょっと黙ろうね」
そんないつもの感覚でやりとりを交わすキャプテンとマネージャー。この状況でなければ好きにしてと言いたいが、今は火に油を注ぐ言動でしかなあ。
「君みたいに、明らかに平々凡々な顔の方が、罪を犯すのよね。それにしても……あなた、ちょっと男の趣味が悪いんじゃない。あなたくらいの子なら、もっと上を狙えるでしょうに。絶対に後悔を――」
「そんな平々凡々から見ても、オバさんには興味ないけど?」
「うちのキャプテンを平々凡々と言うあたり、見る目ないけどね。でもね、空君。見る目があったとしても、ほいほい他の
「ターゲット、俺……?!」
とりあえずキャプテンとマネージャーは仲が良いのは結構だが、どこか余所でやってくれと、親友として強く言いたい。
「あ、あの……あのっ」
杏子ちゃんが、必死に俺の手を引こうとする。それに気づいたのか、ママさんはその手を振り払う。
「あっ……」
杏子ちゃんの表情が歪むのが見えて、胸が痛くなる。
「私の杏子に汚ない手で触れないで――」
「いい加減にしなよ、クソババァ」
「は?」
藩宮さんの言葉に、ママさんが唖然とする。
「貴方も、こんなエロ不良を庇うの? そもそも貴方たち、保育園には実習で来てるんでしょう? こんなチャラついた男が一緒じゃ、貴方たちの評価も落ちるんじゃ――」
「悪口、言われたらイヤでしょ? 私だってイヤだよ。親友を悪く言われるの、ただただ不快でしかないから。秋田の髪は、日本人とアイルランド人のハーフだから地毛だし。あんたは勝手な思い込みで、好き放題言ってくれたけどさ、正直そういうのダサいから」
そう言いながら、苦虫を噛み潰したような表情を見せて――きっと、以前の自分と重ね合わせたのだと思う。藩宮さんも、同じような態度を、俺にとっていたから。
でも、今は違う。その想いをこめて、藩宮さんにふんわり微笑んで見せた。大丈夫だよ、って。今ココで、ママさんを論破しても、きっと意味はないって思うから。
「それに……私は……そこらへんの男よりも、よっぽど格好良いと思っているから」
いや、そこで耳の先まで紅くなる藩宮さんは可愛い――じゃなくて、気まずい。どう反応して良いか分からなくなるから。ちょっと、その表情はズルいと思う。
「これって、俺たちはお邪魔虫?」
「空君、黙るっ」
いや、そこでコソコソされる方が気まずいから。それに小声で言っているつもりかもしれないけれど、全部ちゃんと聞こえているんだぞ、キャプテン?!
「もう良いっ! 帰るわよ、杏子――」
そう彼女の手を取ろうとした瞬間だった。バチンと、その小さな手で弾く。
「全然、私の話を聞いてくれない、ママなんか――」
すっと、息を吸い込んで。
その後、突き刺す言葉は、ママさんの心臓を止めるのに十分――そう表現してもおかしくないと思う。
「ママなんか、大嫌いっ!!」
そう言って、杏子ちゃんが、園庭を走り抜け――園舎の角を曲がったかと思えば、視界から消えていく。
「杏子、待って!」
慌ててママさんが追いかけようとして――そして阿澄先生が続く。
「……これはいったい、何事ですか?」
園長先生が、騒ぎを聞きつけて園長室から出てきてくれたけれど――少しだけ、遅かった。
■■■
「いったいドコに行ったんだろう?」
キャプテンの言葉に、走りながら、頷くことしかできない。
――どこに?
浮かぶのは、そんな言葉ばかり。
すぐ見つかると思っていた杏子ちゃんが、蒸発してしまったかのように、ドコにもいないのだ。
園舎内を保育士さんと、俺達で探し回ったが、何処にもいないのだ。
ママさんは、杏子ちゃんに嫌いと言われ。そして姿を消してしまったことですっかり放心状態。園長室の来客用ソファーに座り込んで――そんなママさんを尻目に、俺達は時間がもったいないと言わんばかりに、駆け回っていたが、肝心の杏子ちゃんがいない。
「とりああえず、園児は教室に。通常保育に戻って。職員の皆さんが慌てて、園児がかえって事故や怪我になってもいけませんからね」
そう園長先生が指示を出し、それぞれ動く。なお、阿澄先生は杏子ちゃんを探すように、指示を受け、俺達と一緒に行動をしていた。流石、信頼を受けている保育士は違うと思う。
「……朱理、絶対に違うと思うよ?」
「そ、そんな。全否定しなくても良いじゃん!」
キャプテンに呆れられ、阿澄先生は涙目になっていた。
人が良すぎるのも程があるでしょ、とキャプテンにボヤかれたが、今はジャレあっている場合じゃない。
「あのね、キャプテン……もしかして、外じゃないよね?」
マネージャーの言葉に、キャプテンも頷いた。
「あり得ないっしょ。門扉はオートロックだし、監視カメラで確認もしてるワケで……」
そう言いながら、阿澄先生も自信はないのか、語気が弱い。
「それでも、周りを見るぐらいは……」
キャプテンの言葉に、俺も頷く。何もしないよりは、はるかに良い。
「……それにしても暑いね」
「秋なのに、今日も30度近くまで上がるんでしょう? 空君、無理しちゃダメだよ。脱水症予防、大事だからね」
「翼もね」
「あの、イチャつくのなら余所でやってくれない?」
藩宮さんに俺も同感である。
「……って、なんで走りながら、お宅
そう言いながら、息が切れ切れになりつつ、阿澄先生が門扉の
(え?)
考えろ。
何か、違和感を感じる。
なんだろう……なに?
「秋田?」
「朱理?」
「秋田君?」
みんなが、俺を見る。ゆっくりと、開く門扉。それを見やりながら――
ガタン、門扉が開くのと。頭の中で、カチンと何かがはまるのを感じた。
「みんな、ごめんっ! 俺、もう一回、保育園を探すっ!」
Uターンして、もう一度、駆ける。
門扉は閉まっていた。
解錠は保育士な、事務スタッフじゃないとできない完全オートロックシステム。それに、花が言っていたことを思い出す。
――意外にね、子ども達が見ている世界って狭いんですよね。その背丈で見ている世界を意識しないと、見落とすことが多いなぁって。そういう意味じゃ、毎日みんなに勉強させてもらっていますよ。
はにかむように、小さく笑む花を思い返しながら。
保育園の送迎バスの横を通る。通常、幼稚園ならいざ知らず、バスでお迎えがあるのも火花保育園の特徴の一つ。キャラクターでデコラッピングされた車両の横を通り過ぎて――あれ?
一瞬――。
バスの中から窓越し、小さな手がのびたのが見えた気がした。
視界から、すぐに消える。
目をゴシゴシ、擦るけれど。
もう、その
園舎から聞こえてくる、オルガンの音。
そして、園児の合唱の声。
(……気のせい?)
俺は、もう一度、園舎の周りを確認しようと――駆けた。
【カクヨムコン10】ほいくしさん!! 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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