にじゅうよん
「……これってさ、園長先生の快気祝いなんだよな?」
「お兄、今さらだよ」
焼きそばの材料――キャベツを切りながら、朱梨も苦笑いを浮かべる。俺が担当の焼きそばの他、綿飴、焼き鳥、ボールすくい、町内のカフェ店からは、ベビーカステラとコーヒー、その他ドリンクを出張販売。極めつけは、保護者によるマーケットを園舎側で。最早、何のイベントなのか分からない。
園庭の隅っこでは、藩宮さんが保育園児とサッカーに勤しんで――あれ、なんで彩翔と湊までやっているの?
(お前ら、バスケ部だろ?!)
まぁ、園児たちは楽しそうだから、良いけれどね。
「あれ、キャプテンさんとマネージャーさんだよね?」
見えない、見えない。何も知らない。キャプテンが子ども達とリフティングの回数を張り合っているのが見えた。テント側に飛ばないように配慮してのリフティングや、即席のストラックアウトをバスケ部の面々が作ったり。その過程すら、子ども達にとっては遊びなのだ。
藩宮さんとキャプテンが意気投合して、少し距離のあるマネージャー。あれは、ちょっとご機嫌が斜めなんじゃ――あ、キャプテンがボールを彩翔に託して、距離を近づけた。
ここから見ても、肩と肩を寄り添うのが見えて。
(……なにやってんの)
ここ保育園だよ? そう思いながら、つい頬が緩む。
以前のキャプテンなら、マネージャーが拗ねてもきっと気付いていなかった。みんな、成長しているってことだよね、って思う。もし、自分にそういう相手がいたら……。
――しゅー君。
なんで、このタイミングで、花のことが浮かんでしまうのだろうか。
どうしてか、学校ではなかなか見せない、俺の前での笑顔が目に焼きついて離れないのだ。
これもきっと花のお母さん……園長先生が「婿君」なんて、変なことを言うから。妙に意識してしまっている俺がいた。
花と肩と肩が触れあうくらい隣にいるのが当たり前になって。
息遣いが聞こえるくらい、距離を埋めてくるのも日常的になって。
彼女しか言わない、呼び方で――。
「「朱理!」」
「おわっ?!」
いきなり声をかけられて、思わず包丁を落としそうになった。
「おいっ、危ないって」
「朱理、こっちに包丁を向けないで!」
見れば、彩翔と湊が俺を覗きこんでいた。少し離れて、藩宮さんも。
「……あれ、サッカー、もう終わったの?」
「包丁向けて言うなって」
彩翔が苦笑――いや、笑顔が引きつらせて。俺は慌てて包丁を下ろした。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。ママさん達がバザーの準備が終わったから、チビちゃん達を迎えに来てくれて、サッカー教室は終了したの」
「手伝うよ、親友」
ニッと彩翔が笑んで、肩を組んでくる。いや、嬉しい、嬉しいけれど、ちょっと、この包丁を置かせて欲しいのだけれど――。
「朱理、まず包丁おろして! 包丁持ったまま笑わないで!」
「さすがお兄!
いや、俺は悪くないよね?
「そっちは人数に余裕あるか? こっちを手伝って欲しいんだが」
そう声をかけてきたのは、顔馴染みのラーメン屋、ラーメン熊五郎の店主、熊伍郎さんだった。今回、唐揚げとポテトを担当。ただ、お手伝い要員は不人気だった。
「え? 油臭くなるじゃん!
「……それくらいで
「俺を口実にイチャつくんじゃねー!」
ラーメン熊五朗店主。37歳、子ども空手道場師範、独身。ちびっ子には人気だが、彼女はいない。大学生アルバイトの瑞穂さんが、密かに想いを寄せていることを当の本人は知らない。
行きつけの店でラーメンを食べつつ、そんな二人を見守る。店主も知らない裏メニューだった。
今日も瑞穂さんは、そんな
ふと視点を変えれば。
キャプテンとマネージャーはカフェコーナーの助っ人に。
また視点を変えようとして――。
つい、花のことを目で追いかけてしまう。
今は、保育士さん達と打ち合わせ中で。
(……隣にいてくれたら良いのに……)
無意識に、そんなことを思って――我に返る。俺は何を考えて……。
「お兄、鉄板に火を入れていないのに、顔赤いよ」
「き、気のせいじゃない?」
そう誤魔化しながら、俺はガスを点火させた。
「秋田、ウチも手伝うよ?」
ニカッと顔を覗かせたのは、藩宮さん。サッカーを自身も満喫したのか、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。髪から汗が零れる彼女は、開放的で裏表を感じさせない。俺はカバンからタオルを取り出すと、藩宮さんに放り投げた。
「あ、ごめ……汗臭かったよね。調理の手伝いの前にデリカシーなかった……秋田ごめ――」
「なに言ってるの。子ども達はメチャクチャ嬉しそうだったよ。それに焼きそば作り始めたら、みんな汗だくになるって。俺はそのままだったら風邪をひかないか、心配だっただけ」
ちょとだけ、早口で。一息でそんなことを言う。この瞬間も、花のことを目でおいかけそうな自分がいて。
「うん……」
藩宮さんが、タオルで顔を拭きながら、コクンと頷いて――タオルに顔を埋める。
その瞬間も、やはり俺は花を目で追いかけてしまっていた。
■■■
ソースの匂いがたちこめた。俺と藩宮さんは、鉄板でソバと野菜をからめながら焼いていく。できた焼きそばをプラスチックのタッパにつめるは、朱梨の仕事である。ここらへんは兄妹、お互い阿吽の呼吸でできるのが有り難い。でも、同じように隣に花がいたら――また、そんなことを考えてしまう。
花は決して料理が得意じゃない。
朱梨のようにも動けない。
でも、それで良いと思ってしまう。
花はいつも一生懸命だ。
誰かのために――そして多分、俺のことも考えて一緒に動こうとしてくれているのは、分かる。効率よりも気持ちが上回ることは、バスケの試合でもそうで。
言い訳がクルクル回る。
最近、花の隣にいるのが居心地が良すぎる。
彼女は友人として――もしかしたら、兄代わりとして接してくれている。あえて俺に役割を与えてくれている、そんな気がするのだ。
――婿君、よろしくね。
園長先生が変なことを言うから、やっぱり妙に意識してしまう。
「ねぇ、みー? ちゃんと火が通ってるかな?」
「二度揚げしてるから、大丈夫だよ」
「あのさ、そういうことは店主の俺に聞くべきじゃねー?」
「あー君、はい味見。あ~ん」
「え……ん。はふっ、もぐっ。うん、本当だ、味が染みていて美味しい!」
「味付けしたの俺だからな!!」
「じゃぁ、店長も味見しちゃいます?」
揚げ物ブースから、そんな声が聞こえてきて。ヨソでやってくれない? そう思いながら焼きそば作りに専念していく。
「ねぇ、秋田? ちょっと、ペース上げて作りすぎじゃない?」
「まぁ、でも藩宮先輩。きっとすぐ子ども達来ちゃいますから」
確かに、と思う。ちょっと落ち着け、俺。
それに対象は保育園の子たちだ。味はできるだけ、薄めに心がけたい。妙に掻き乱れた心の波を落ち着かせようと、深呼吸をする。
――しゅー君?
それなのに、やっぱり花の言葉が耳の奥底に響く。だから落ち着け、って。今日の俺、本当にどうしちゃったのさ。気持ちを落ち着けようと必死になればなるほど、心臓がバクバクいう。
「しゅー君?」
見れば花が覗き込んでいた。その距離が近い。鼻先が触れそうで。綺麗な睫毛が見えて。その目に、俺の顔が映って。俺はどう反応して良いのか分からず、口をパクパクさせることしかできなかった。
「は、花……?」
「何か、お手伝いできることはありませんか?」
忙しい合間を縫ってわざわざやって来てくれたのか。でも、嬉しいという気持ちよりも、先ほどまでの感情が沈殿して重い。その感情を無理矢理、攪拌しようとしても、溶けて消えてくれない。
視線を反らしても、艶やかな唇に目がいってしまう。平静になればなるほど、頬がより熱くなって。
「だ、だ、大丈夫! こっちは人数が足りてるから! 花が無理しなくて良いから!」
「……そ、そうですか……」
花が少しだけ、目を見開いて――それから、目の色が翳るのを感じた。
「花……?」
「私、他の所を手伝ってきますね」
違う、俺が言いたかったことはそうじゃなくて。でも、料理が苦手な花に、無理に手伝ってもらわなくてもと思ってしまう。そんな言い訳が喉元まで湧き上がってくるけれど、どうしても言葉にならない。
唇が乾く。そして、重い。
気付けば、花は踵を返して別のテントへと向かっていくのが見えて――。
■■■
どんっ!!
鈍い衝撃が頭頂部にはしった。
■■■
「藩宮さん……?」
見れば藩宮里梨花が、業務用焼きそばソース2Lのボトルを片手に、般若の形相で睨んでいた。俺、今あれで叩かれたの――?
「誰が、般若よ!」
「いや、言ってないよ!?」
被害妄想、
「早く、聖母様――花園さんを追いかけて!」
「え?」
「え、じゃないからっ!!」
またボトルを掲げようとする。片手でひょいと振り回す重量じゃないから!
「あのね……秋田」
藩宮さんが呆れたと言わんばかりに、小さく息をついた。
「花園さんは、料理が得意じゃないんでしょう?」
「どうして、それを――」
見れば、朱梨が吹けない口笛をピープーピープー、息だけ吹き鳴らす。
(情報提供者はお前かよ!)
花の日常は、できれば学校の連中にはナイショにしておきたい。だって、そんなことで騒ぎ立てられて、花に干渉して欲しくない。
今この瞬間、そう思うだけで自分では説明のつかない感情がざわめくのだ。
「色々、聞きたいことあるけどさ。今は、そんなことよりも大事なことがあるから」
「へ?」
「あのね、秋田。料理が苦手な子が、料理を『手伝う』って自分から言うの。どれだけ、勇気がいることだと思っているの?」
「……え?」
藩宮さんの言葉に、俺は目を大きく見開く。ここ最近、花はいつも手伝ってくれていたから、当たり前になっていた。最近じゃ、包丁の使い方も上手くなって、だから――。
「友達が頑張っていたら手伝いたいじゃん。それが、近くに感じる大切な人なら、なおさら。花園さんは、他の人に迷惑をかけてまで、我が儘を押し通す子じゃないよ。全部、片付けたうえで、お願いしたに決まってるよ。それなのに……どうして秋田は拒絶するのさ」
「……きょ、ぜつ?」
思いも寄らない言葉に思考が追いつかない。ただ、感情を無理矢理、飲み込んだ花のあの表情が瞼から離れない。
自分が拒絶されることには慣れている。
でも、花を拒絶したつもりはなくて――。
「相手がどう受け取ったのか。それが重要なんじゃない?」
隣の屋台にいたはずの、湊――それから、彩翔が顔を覗かせた。
「ちょっと言葉足らずなんだよね。本当は隣に居て欲しいクセにさ」
ニッと彩翔が笑む。
「行ってきなよ、秋田。ここはウチらに任せてさ」
「ずっと花圃ちゃん先輩を探していたの、見え見えだよ。お兄?」
朱梨に言われて、かぁっと顔が熱くなる。
探していた。
思わず、目で追いかけていた。
距離が近くて、当たり前のようにいてくれた友達のことを。
今、この瞬間もずっと隣にいて欲しい。そう思っていたのに。
■■■
気付けば、走り出していた。
狭い園庭のなか。遊具の間。どこにいるのか必死に目をこらして。
園児にぶつからないように気をつけながら。
「お兄ちゃん?」
「お兄ちゃん先生?」
馴染みの声が聞こえるけれど、駆ける足は止まらない。
ただ、花を探して。
息が切れる。
それでも、花を探す。
黄昏時、影がのびる。
夕陽が。淡い光なのに、目に突き刺す。
走り回って、息が上がって。肩で呼吸をする。
(花……っ)
園舎の中。
教室、プレイルーム。
どこにもいな――。
給食室の窓から、人影が揺れるのが見えた。
「花――」
そう出かけた声を飲み込む。慌てて、掌で自分の口を押さこんで。
それから気付かれないように、シンクを背にしゃがみ込んだ。
どう、息をして良いのか分からない。
呼吸や心臓の鼓動まで、聞こえてしまいそうで、ただただ息を殺す。
「やっと話せるね」
そう柔らかく微笑んだのは、火花煌。学内で人気の
火花が、花の肩を抱き寄せたのか――二人の影が、まるで寄り添うように見えた。
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