GO☆
「父さん、本当にごめん……」
「いや、俺の方こそ。こんな時に何もできなくてごめん」
「ふふふ」
俺、父さん、そして
俺と観月ちゃんは、救急搬送されて、めでたく同じ病院に入院となったのだった。診断は二人揃って、一酸化炭素中毒と火傷。俺は気管支肺炎のおまけつき。もともと、風邪気味のところに、水をかぶって、火事現場に舞い戻ったのだ。いくら、火事現場が灼熱でも、秋の夜。さすがに体にこたえた。
「ま、でも、俺の元職場で助かったぜ。他の病院なら、入院の手続きをオンラインでとか、絶対に無理だからな」
それは当然の話で、保証人がいなければ入院もまならない。もっと厄介なのは、観月ちゃんだ。朝比奈家は母子家庭。新居探しと平行して、仕事だってある。でも、入院となれば、親の付き添いは必須。しかも、新型コロナウイルス感染症対策で、病院側は付き添いを遠慮して欲しい。そのジレンマ――悩み抜いた末、特別室に俺と観月ちゃんが一緒。それがファイナルアンサーとなった。
それもこれも、小児科医・
観月ちゃんは、軽傷ですぐ退院許可が出た。それなのに俺のお世話係として、この病室に居座るという謎展開で今日に至る。
「ま、車は治せば良いから。むしろお前らの無事を願うことしかできなくて、これほど歯痒いと思わなかったよ」
「父さん?」
画面越し。父さんの表情が柔らかい。秋田黄葉は、現在、
母さんが亡くなってから、まるで死に急ぐように、戦線に近い場所で医療に従事していた。きっと、この人の目に、俺たちは映っていないんだろうと、ずっとそう思っていた。だから、今の父さんの反応は、むしろ意外だった。
「……まぁ、俺なりに誇りを持って仕事に取り組んできたって思ってる。でも、メンバーにずっと
「……父さん」
こういう会話をしている間も、時折『ずんっ』と空気を震わす音が響く。あえて聞かなかったが、この間も銃撃戦が行われている。父さんがいる国は、そんな紛争地だった。
そんな状況だから、空港も閉鎖されている。父さんがそう言ってくれたのは嬉しいけれど、現状、帰国の目処はまるでたっていなかった。
「でも、良かったぜ。しばらく、お前らを預かってもらえるって聞いたからな」
今現在、
「それって、ドコなの?」
「それがなぁ、俺もよく知らないんだよ。先方のお母さんとは話をして、快諾してもらったんだけどさ。今日の退院に合わせて、迎えに来てくれるってさ」
「は?」
俺の表情が固まる。
「
うん、それ言うなら怖い顔だよね。それから、俺の顔はもともと怖い。だから放っておいて。そして、頬を撫でても俺の顔は変わらない――。
「さすがの朱理も、観月ちゃんには
「はいっ! モチのロンですっ!」
「いや、何言っての?! 親がロリコン推奨するなし!」
「俺と母さん、歳の差10歳だけど?」
「それ、成人後の話でしょ?」
「モチのロン!」
「やかましぃぃっ!」
俺の怒号が病室に響いた。
コンコン、ドアをノックする音が響いて、看護師さんが顔を覗かせた。
「……秋田君、特室とは言え、院内はお静かにお願いしますね」
それから、タブレット端末を覗いて
「秋田先生もですよ」
ジロッと睨まれて、画面の向こう側の父さんまで萎縮していた。この看護師さんは父さんの元部下らしいのだが、まったく父さんへ遠慮がない。病院内でのドクターと看護師の力関係を垣間見た気がした。
意識が回復して、最初に受けた看護は、厳しいお説教だった。もっと自分のことを大事にしなさいと、火傷の処置を受けながら、休む間もなく怒られたのだった。
「……あ、俺、次の仕事があるから、今日はこのへんで! じゃ!」
「ちょ、ちょっと待って! だから、俺は退院したらドコに行くの――」
最後まで言わせず、父さんはログアウトしてしまう。俺はため息をついた。
そんなやり取りを見て、看護師さんも観月ちゃんも、クスクス笑う。
「先生は、本当に相変わらずですね」
「朱理お兄ちゃんのことは、確かに任されました!」
観月ちゃんが、小さな胸を張る。色々、誤解と齟齬がある気がするが、訂正する気力もなかった。
そんな俺を見て看護師さんは、クスッと微笑んで、それから頭を下げた。
「……秋田君。退院、おめでとうございます。でも、無理はしないでように。そういうところ、先生を見習わなくても良いですからね?」
見事に釘を刺されたのだった。
■■■
「お
病室のドアが開いたかと思えば、
「朱理君、本当に観月のこと、どうお礼を言っていいのか――」
そう言ったのは、朝比奈さんだった。
「お母さん!」
年齢相応の表情を見せて、観月ちゃんは
「お礼は、観月が一升瓶かけてお世話します!」
一生かけて、かな? それだと、ただの
「あの……
「まぁ、子どものすることですから」
俺は苦笑するしかない。
「
脱いだら、ね。でも、脱がなくて良いから。いや、ここで脱がないで! 俺、変態扱いされるじゃん?!
「相変わらず、仲良しだね。妹がもう一人増えた感じ?」
「これは【紅い変態】という異名が追加されそうだね」
聞き慣れた声に目を向ければ、黄島と海崎のカップル――それから、なぜか、花園までがいる。俺は思わず目をパチクリさせてしまった。
「へ? なんで?」
「なんで、とはご挨拶な。やっと親友が、退院すると決まったんだ。面会制限あって来れなかったんだから、今日くらいは良いだろ?」
「本当はね、キャプテンも来たがっていたんだけど、ね。流石にこの人数はだめでしょ? 諦めてもらったの」
海崎湊がニシシと笑う。
「いや、そうじゃなくて……は、花園?」
見れば心なしか、花園の体が震えていた。あわてて目をそらす。人に怯えられるのも、奇異な視線を向けられるのもいつものことだが、こう態度があからさまだと、やはり良い気持ちがしない。
「あー、えーとね? そういうことじゃなくてね、お
「
と海崎が言う。そういえば海崎は、花園花圃だから『はなはなちゃん』と呼んでいたことを思い出す。
でも俺は、海崎の言う意味が分からず、首を傾げた。
花園が大きく、息を吸い込む。
「――ごめんなさいっ」
花園が頭頭を下げた。
俺は目を丸くするしかなかった。
「栞ちゃんから、あの後、話を聞いて! 私の勘違いで、本当にごめんなさ――」
「いや、言っている意味が全然、分からないんだけど?」
花園に謝られる理由が分からない。だれ、栞……ちゃん?
「お兄、
「あ――」
二週間前なのに、もう忘れかけている自分がいた。あの子の両目に涙をためた姿が、今さらになって瞼の裏に焼きついて。今の花園と、その姿が重なってしまう。
「栞ちゃんは、観月の友達なんですー!」
と観月ちゃんが元気いっぱいに手をあげる。いや、なんとなく予想していたけれど、まさかこのタイミングでカミングアウトされるとは、思ってもみなかった。
「……
「花圃ちゃん先輩のトコで、今もお世話になっています!」
どうだ、と言わんばかりにVサインをしてみせる、妹を俺は白い目で見やるしかない。
(つまり今後、お世話になるのって、花園のトコ……いや、イヤ、それはナシだろ?!)
クラスメートというだけでも、抵抗がある。まして、学内でダントツ人気の鉄の聖母様。そして学内で一番悪評をもつ
「もぅ、じれったいなぁ」
そんな俺の思考は観月ちゃんの無邪気な声に、遮られた。
「よく分かんないけど、朱理お兄ちゃんも花圃ちゃん先生も、ケンカしたんでしょう? でも、花圃ちゃん先生は『ごめん』って思っている。それなら、保育園でやっているように、ごめんねのギューでいいよね?」
にっこり、観月ちゃんは笑う。俺は、言っている意味が分からなかった。
ごめんねのギュー? え? なに、それ――。
「せーの、
と観月ちゃんが、花園の背中を押す。
「きゃっ!」
「え?」
衝撃がくる。バランスをとろうと、なんとか踏ん張る。今度はベッドに倒れ込むことなく、立位を保持することができた。自然と俺は――。
■■■
花園を抱きしめていた。
■■■
「え……?」
「あ、ごめん!」
慌てて、俺たちは離れた。この間も、花園の甘くて淡い匂いが鼻孔を刺激して――それこそ変態かと、俺は首を横に振る。でも両手や、腕、胸に花園の暖かさ、その残滓を意識してしまって、妙に気恥ずかしい。心臓がバクバク胸を打つ。顔が熱いのは――きっと室内の熱気のせいだ。
「観月!! 病院でふざけないの!」
朝比奈さんの叱責が飛ぶ。ニシシと笑って、観月ちゃんは俺の背中に隠れる。花園を見れば、顔を真っ赤にしながら両手で、胸を押さえていた。
「花園、そのごめん……」
「あ、秋田君。謝らないでください! 謝らないといけないのは私の方なんです」
「いや、でも……」
「でも、じゃなくて!」
「いや、そういうワケにはいかないから――」
「はいはい、そこらへんで。キリがないっしょ、二人とも」
海崎が笑ってみせる。
「朱理は良いヤツだよ。私が保証するから。ね、
「だね。花園さんが、朱理をサポートしてくれるのなら、これほど心強いことはないかな」
「もちろんです。朱梨ちゃんには、むしろお世話になってますから。こういう時くらい協力させてください!」
「いや、ちょっと――」
「だけどさ、朱理? 行く当てはないんだろ?」
「お兄……?」
「ん……。それは――」
「幸い、ウチは保育園です。場所はそれなりにあるので、遠慮しないでください」
そう花園が微笑む。俺は小さく息をつく。これは観念するしかなかった。父さんが帰国するまで、花園の保育園でお世話になるしかない。そう思う。
「ま、朱理お兄ちゃん。よく言うじゃない? 『据え膳食わぬは、男の恥』って――」
「「「「「「「それは絶対、違うからね!!」」」」」」
看護師さん交えて、みんなが仲良く観月ちゃんに突っ込みを入れたのだった。
■■■
この時、俺はみんなとのやりとりが、あまりに心地よくて、気付いていなかったんだ。
花園の体が、もう震えていなかったことに。
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