第6話 死に恋する少女②

まだ熱を孕んだままの血晶のネックレスを制服の下に隠したまま、椛は陸橋の古く、あちこち塗装の剥がれ落ちて、金属が剥き出しになっている階段を駆け上がった。血晶の内包する熱は、間違いなく、橋の上に近づけば近づく程に、強くなっていた。

胸元に出現した、刻印の、火傷のようなヒリヒリする痛みと共に。


階段を上がり切った先、橋の真ん中で、柵にもたれかかっている、彼女を見つけた。

椛が近づいていくと、彼女は気圧されているのか、怯えた猫のように、身を硬くするのが分かった。

穂波茜と、椛は今まで碌に言葉一つ交わしたこともない。今回の血晶の一件が発生するまでは、茜の顔すら、椛は覚えていなかった程だ。茜も、椛が何故急に自分の前に現れたのか、見当もついていない様子で、こちらを緊張した面持ちで見ている。

胸を、痛むように押さえて、時折顔をしかめながら。

「穂波さんの体にも、血晶の模様の刻印が現れているんじゃない?」

そう尋ねた時、茜は心底、驚いた表情をしていた。隠し事は苦手な性格らしい。その反応を見ただけでも、それ以上の追及は不要だった。茜にもまた、血晶の怪現象が起きている事は間違いがなかった。


「話すって・・・何処で?」

椛の誘いを聞いた茜は、血晶の痛みが引いてきたので、少しふらつく足取りながらも、橋の手すりに左の肘をついて身を預けたまま、椛に問い返す。彼女が、血晶の都市伝説に興味を持っていた事だけでも驚きだったが、椛の体にも自分と同じ現象が起き始めた事には、尚の事、衝撃を受けた。昨日から今日にかけて、立て続けての自殺を図った、二人の女優の『聖刻』。それの前段階の姿と言われている、刻印が、自分のみならず、椛にも出現しているとは、最早、単なる都市伝説で済ます事は不可能だった。

「・・・外ではあまり話したくないかな。誰に聞かれたり、見られたりされるか分からないし。僕の家で話そうか」

そう言うと、椛は、鞄からスマホを取りだして、何処かに電話をかけ始めた。中々、一度行動しだすと、周囲をグイグイと巻き込んでいくタイプのようだ。王子様系女子と呼ばれる行動力は伊達ではないようだった。

「えっ!き、霧島さんちで⁉」

急な展開に茜は頭がついていかない。彼女が突然、ここに現れただけでも理解が追い付かなかったのに、血晶の怪現象を二人が共有しているらしい事。そして、より詳しく話す為に、名家として有名な霧島家に出かける流れになるなど、こんな展開を朝、学校に出かける時に想像しえただろうか。

「家の方は、『客人をお迎えする為に、迎えの車をやります』だってさ。今いる場所は伝えたから、橋を降りよう」

完全に椛のペースに飲まれているが、茜に、彼女に抗える力などない。迎えの車、というさらりと、金持ちらしい言葉が聞こえた。急展開の連続に混乱して、茜の鼓動は高鳴り続けている。

「ま、待って、霧島さん!そ、そんな、急に、今から家に行って話そうなんて言われても困るよ、ちょ、ちょっと、私もお母さんの方に連絡しないと」

そう言って、スマホから母親の方にメッセージを送るが、有名な霧島家に招かれた事に特に驚くでもなく、「霧島さんちに失礼のないようにしてね。遅くなりそうなら、茜の分のご飯はとっておくから、温めて食べて」などという業務連絡のような返事が来ただけだった。何とも素っ気ない、あの家らしい返事だった。

「穂波さんは、OKもらえた?」

「う、うん・・・」

観念して、沿道に立って、霧島家の迎えの車を待つ間も、茜はまだ警戒を解いていなかった。椛は、茜の何を知ろうとしているのだろう?

手持ち無沙汰を紛らわす為、茜はスマホで、いつものSNSを開き、「あの人」のアカウントにアクセスする。何か、新しい書き込みをしていないか確認する為だ。

偶然にもその時、横で椛もスマホの画面を、忙しくタッチしながら何か打ち込んでいるようだった。

それを横目にしながら、何度も画面を時折スクロールして、更新されないか、じっと見ていたところ、数秒前に投稿されたばかりの書き込みが表示された。その文章に茜は目を向ける。「あの人」の書き込みを読む時は、時折、その一部を口に出して読む癖が茜にはあった。

『このまま、皆、あの二人がどうして死んだのか、本当の理由はどうでもいいままで、センチメンタルな安いドラマみたいな、悲恋の末の死という筋書きに魅了されていくんだろう。悲劇の主人公になりたくて・・・。皆、死に恋してるみたいだ』

「死に恋してる・・・」

ポツリと、その文末を口に出して、茜は、やっぱり「あの人」は凄いと噛み締める。茜が今さっき、あの陸橋の上から街を見下ろして、ぼんやりと考えていた通りの事を、彼か、彼女か分からないが、「あの人」はそのまま読み取ってくれてるみたいだ・・・。

茜がそう呟いた瞬間だった。

「えっ・・・!」

横で、思わぬ反応が起きた。茜は自分の左隣を見る。そこには、唖然とした表情で椛が立っていた。自分と同じく、スマホの画面を開いて、自分と同じSNSの画面を表示していた。

彼女が開いていた画面が、茜の視界に入る。そこに表示されていた書き込みは、今しがた、茜が高評価ボタンを押したばかりのコメントだった。

「僕の書き込みに、いつも、投稿したら殆ど同時に高評価くれていたアカウントの人って・・・もしかして、君だったの?穂波さん・・・?」

今度は、椛が茜に驚かされたようだった。


「それにしてもびっくりした・・・。僕なんかの書き込みにいつも、投稿したら殆どすぐに高評価くれるアカウントの人がずっといるなって思っていたら・・・、まさか穂波さんがいつも読んでくれてたなんて」

お手伝いさんがお盆に乗せた紅茶を恭しく持ってきて、椛の部屋の、カーペットの上に置かれた小ぶりのテーブルに置いて、部屋を出ていく。

霧島家は、立派な日本式家屋であり、茜を連れて帰ってきた椛を、出迎えた椛の母親も、年齢を感じさせぬ、和装の似合う美人であった。

「沙耶ちゃん以外の子を家に連れてくるなんて珍しいわね。貴女が穂波さんね。どうぞ、ごゆるりと過ごしていってね」

口調こそは柔らかかった。しかし、彼女が、娘の椛の方を見た時、その目に酷く冷たく、鋭い物が含まれているのを、茜は感じ取った。その冷たい視線を感じたからか、椛の母親の事は好きにはなれないだろうと、茜には直感で確信していた。

椛の母親だけではない。この家全体が、何か冷え切ったもので構成されている感覚がしてならなかった。茜の家の中に漂う空気が徹底した無関心や不干渉であるならば、この家の空気は、冷徹で占められているようだった。

偶然にも、茜が椛のアカウントをフォローしていつも読んでいる事が、二人の間で分かってから、椛は少しだけ、茜に対して、口調が砕けた印象になった。

椛の部屋の中を見回してみる。彼女の本棚に並べられているのは、茜が読んだこともないような、日本の古典文学作品ばかりで、漫画など置かれていない。とりわけ、三島由紀夫文学の背表紙が目立った。本棚を見ただけでも、漫画本ばかりで教科書以外の活字の本などない、自分の部屋の本棚が茜は恥ずかしくなる。彼女の知性の高さが伺えた。

紅茶を口に運んだ後、クッションに背中を預けた椛は、茜から無理に話を聞き出そうとするのではなく、自然に、こちらが話す気になってくれるのを待っているように思われた。

茜は、家族にも、学校での浅い付き合いの友人にも今まで誰にも、自分の中の漠然とした厭世感など話した事はない。言葉に出すには勇気が必要だった。

しかし、今、目の前にいるのは、浅い付き合いしかない、学校の仲良しグループとは違う。茜が以前からずっと‐直接ではないにしろ‐、ネットを介してその言葉を聞いて、共感し合えるものを感じてきた、霧島椛なのだ。まともに対面して話をするのは今日が初めてでも、共感してきた時間は、現実の友人達よりも、高嶺の花とばかり思っていた彼女の方がずっと長い。彼女ならば、茜の言葉にも真剣に耳を貸してくれるだろうという確信を持てた。

紅茶のカップを両手で包み込む。秋の冷気で冷えた体に、温かさが沁み込んでくる。その紅の水面を見つめながら、茜は話し始めた。

「・・・ネットでいつも書き込みを見てた人が、こんな身近にいて、しかもその人が霧島さんだったなんてびっくりしてる。霧島さんは・・・学校のアイドルでインフルエンサーの柊木さんや、クラスの元気の良い子達にいつもチヤホヤされて・・・、自分は何の為に生きてるんだろうとか、そんなの気にした事、一度もないんだろうなって、勝手に決めつけてた。私は、霧島さんや柊木さんと違って、自分でも笑っちゃうくらい何にもないから。空っぽだから・・・。きっと、このまま、何にもなれないまま、生きて、そして誰の記憶にも残らないままで、死んでいくんだろうなって。でも、こんな気持ち、家でも学校でも話せなかった。誰もこんな気持ちを抱いてる人なんていないだろうと思ってたから・・・。そんな中、き、霧島さんのアカウントに出会ったの」

今まで、誰にも知られてはならないと、固く封をしてきた気持ち‐この先の未来に、生きていく価値はあるのかという問いが、椛の前では、淀みなく、流れるように出てくる。

「それで、びっくりした・・・。会った事も話した事もない、この人の方が、何にもならないような話ばっかりの学校の友達よりも、ずっと私の気持ちと、同じ物を持ってるって。心を通じ合えてるって。今度の、女優さんの自殺の件でも、皆とは全然違って・・・霧島さんだけは、私と同じ意見だったから。この人と、いつか話してみたいって思っていた。でも、まさか、その正体が霧島さんで、こんな形で話す事になるなんて夢にも思ってなかった」

茜は話を終える。

「そっか・・・穂波さんも、僕と同じだったんだね・・・。穂波さんの気持ちを知る事が出来て良かった。血晶が反応し合って、僕たち二人を引き合わせた事と、穂波さんと僕がどう生きて、どう死んでいくかについて、同じ考えを持っているらしい事。これは何か関係がありそうな気がするね。だって血晶が反応するのは、『運命の相手』だそうだから」

「でも、本当に分からないよ、霧島さんみたいな人が、どうして、死ぬ事について考えてるのか。霧島さんは皆に慕われていて、先生からも信頼されていて・・・このままいけば、貴女は何にだってなれるのに。何の取柄もないし、きっとこの先も何となく生きてくしかないような私とは違うのに・・・」

茜には、それが不思議でならなかった。椛のように、家柄も良く、同級生からも先生からも注目の存在で慕われる優等生で、この先、何にでもなれる彼女が、何故?という気持ちは駆け巡っていた。

茜の問いに、椛はしばらく黙っていた・・・。そして、口を開いた。

「穂波さんも、現実では、やっぱり僕の表層しか見えてないんだね・・・。あんな、学校での姿なんてものは、僕の顔でも何でもないよ。学校にいる僕と、今こうして、穂波さんと話してる僕、ネットの、顔も知らない誰かの前でだけ、本当の気持ちを発信している時の僕は全く別の人間だって思ってほしい。本当の僕は、今の自分の生き方に満足なんて全くしてないし、周りが望むままの姿に、いくらなったところで虚しさしかないよ」

そう語っている時の椛の目は、虚しさを秘めた、ひどく寂しい目をしていた。

学校の自分は、本当の自分などではないと椛は言ったが、確かに、椛のこんな眼差しを茜は今まで見た事がなかった。学校で、いつも遠くに見ていた彼女は、周りの女子生徒らに常に何か歓声を送られては、それに爽やかに答えている姿や、何か面白い話を取り巻きの女子生徒らに聞かせて、笑っている・・・そんな、絵に描いたような、「人気者」の彼女の姿だけだ。

「本当の僕は・・・、学校の皆の事なんて、ただ一人・・・沙耶以外は、どうでも良いとしか思っていなかったよ。ただ、皆の望むような人気者で、優等生の姿を演じていれば、何か特別になれるんじゃないかってね・・・。それに、僕を憎んでる、親の目も、少しは良くなるかもしれないっていう、そんな気持ちだけ。文武両道も、皆を楽しませる話も、どれ一つも、他人の為なんかじゃない。全部、最終的には自分の為にやってるに過ぎないんだよ」

椛の話をじっと、体育座りになって聞いていた茜は、椛の言葉に驚いて、顔を上げる。椛の親が、椛の事を憎んでいるとは、どういう意味だろうか?

「お父さん、お母さんが、霧島さんを、憎んでる・・・⁉それって、どういう事なの?」

思わず、疑問が口を突いて出た。霧島家の玄関で、茜を丁寧に出迎えてくれた、椛の母親が目に浮かんだ。美人ではあるが、椛を見つめるその視線の中に、冷え切った物が含まれているのを、茜は感じ取っていた。

椛も、その部分は思わず口を滑らせたのだろう。茜の問いに、彼女は、手を額に当てたまま、しばらく俯いて、答えるかどうか、考え込んでいる様子だった。

「聞かれてしまったからには、穂波さんにも話すしかないか・・・。穂波さんは、殆ど初めて話す相手の僕にも、自分の気持ちを皆、教えてくれたのに、僕だけ隠し事を残すのは、公平じゃないからね」

そう言うと椛は、部屋の外に見える、闇に沈んでいる庭の紅葉を一瞥した後、こういった。

「僕は、本来、女として生まれてきちゃいけない存在だったから・・・。この家の跡取りとして、男の子を、両親も、それにうちの分家の一同も望んでいた。だけど、生まれたのは、女の僕だった・・・。でも、それだけなら、まだ良かったよ・・・、それならまだ僕の後に、弟が生まれる可能性だってあったんだから。でも、その可能性も僕が潰してしまった。母の体を僕が傷つけてしまったからね」

「それって、どういう事・・・?お母さんの体を、霧島さんが傷つけたって・・・」

「僕が産まれた時の、予想以上の難産と大量出血で、母は、命を守る為にやむなく、子宮を取り除く緊急手術を行って、子宮を失ってしまったんだ・・・。僕の為に、お母さんの体を傷つけたっていうのはそういう事だよ。だから、僕の後に男の兄弟が産まれる可能性も潰えたし、僕の両親も、色々と難しい立場になってしまったし、その事で、二人は、『あの時、椛が男の子で産まれてくれていたら良かったのに』って、ずっと言い続けてた。産まれた時に、既に僕は、母の体に一生消えない傷を負わせてしまったんだよ」

だから、僕は、自分が産まれた、この秋の季節も、紅葉も本当は嫌い。僕が産まれた時に流した、母の血の色を連想してしまうから。

そう付け加えて、椛は口を閉ざした。その目が見つめる先にある、夜の帳が降りた立派な庭の紅葉・・・彼女の名前の由来になった、秋を知らせる紅く色づいた木の葉達を見つめる瞳には暗い色が宿っていた。

茜は、椛の暗い過去に返す言葉が見つからない。安っぽい慰めの言葉さえも、何も浮かんでこなかった。如何に、自分が椛の上辺だけをしか見ていなかったか、思い知った。椛の事を順風満帆に生きている、何の悩みもない人間だと勝手に決めてかかっていた。

茜は、かねてより疑問に思っていた事を、ふと椛に尋ねた。

「霧島さんは、どうして自分の事を、『僕』って呼んだり、いつもボーイッシュな感じのショートヘアにしているのかなって、ずっと不思議だったの・・・。でも、もしかして、霧島さんが、そうしているのって・・・『男の子』に近づこうとしていたから?」

茜の問いかけは、椛にとっては核心を突いたものだったらしい。彼女の肩が、びくりと、一瞬跳ねた。

椛は、口元に、痛ましく苦笑いを浮かべながら、答えた。

「そうだよ。僕は、生まれながらに『不完全』な存在としか見られていなかった。同時に、母親の体まで傷つけた、不幸をもたらした存在としてもね。どうしたら、少しでも自分は、両親の愛や、注目を集められるかを必死で考えて、それで出来上がったのが、この今の、『ボーイッシュで快活な優等生像』だよ。男の子の真似なんて、最初からしたかった訳じゃない。でも、そうしていた方が・・・僕が少しでも男の子に近い恰好や、振る舞いをすれば、両親の愛を取り戻せるんじゃないかっていう、幼稚な考えの結果が、今の僕の姿だよ・・・。でも、そんな浅はかな事をいつまでも続けるのが、ある日突然、どれもこれも、馬鹿々々しく思えてきたんだ。結局は自分の為に、自分が何とかして愛されたいが為に、惨めな努力を続けてるのがね」

椛と、茜とでは、歩んできたこれまでの10数年の人生は勿論、全く異なっている。

しかし、ある日、自分の生き方に、意味を見出せなくなるような・・・、この先も同じ事を繰り返していく事に、急にぷつりと糸が切れたように、嫌気が差す感覚には、茜も共感するものがあった。

『自分は、何にもなる事のないまま生きて、そして死んでいくのだ』と、まるで、天からお告げでも急に降ってきたかのように、自分の心に、その、あらゆる事が空虚に思えるあの感覚を、茜だけでなく、椛も、味わったのだろう。

「もしかして・・・、あのアカウントで霧島さんが色々書き込みをするようになったのって、その事がきっかけ・・・?」

茜の問いに、椛はこくりと頷く。

「SNSを何となく眺めていたら、色んな事情はあれど、この世界で生きていく事に意味を見出せないって言ってる人達の書き込みを沢山見つけたんだ。学校でなんか、絶対話せない、私の気持ちを理解してる人が沢山、現実世界じゃなくても、ネットの中にはいた。この、どうしようもない、今まで自分がしてきた事の虚しさや、この先をどう生きていけばいいのか分からない人達に会って、自分だけじゃなかったんだって、初めて救われた思いがした。それで・・・」

「それで、あのアカウントを始めたんだね。そして、それを私が見つけて・・・」

学校の高嶺の花で、茜とはかけ離れた場所にいる人間だとしか思っていなかった椛も、茜と同じだった。

彼女もまた、学校でも、家でもない、ネットという非現実の世界だけに、やり場のない、生きる事の虚しさ、痛みの救いを求めて彷徨う、脆い少女だったのだ。

「まさか、あのアカウントでもう、穂波さんと出会っていたとは、流石に予想外だったけどね。僕の気持ちを、同じ学校の子にずっと読まれていたなんて、少し照れ臭いかな」

椛の口元に浮かぶ笑みが、苦笑いから、少し恥ずかしそうな笑みに変わる。

それを見た茜は、すぐに首を横に振る。

「恥ずかしがるような事ないよ、私、言ったじゃん。霧島さんの言葉を読んだ時、まるで・・・心が通じ合ってるような気持ちがしたって」

茜の中に、今まで、学校で誰と話している時にも感じた事のなかったような、奇妙な高揚感のような物が湧いた。同じ感情を分かち合う人間-同志とでも呼べるような相手に出会えたと思ったから。

「私は、もっと霧島さんの事を知りたい。ネットの世界じゃない。現実の世界で、生きていく事に価値を見出せないでいる、私と同じ気持ちの子に、初めて会えたんだから。霧島さんの考えてる事、もっと、色々と知りたいし、血晶に興味があるなら、その事も、一緒に探っていきたい。友達になろう、私達」

気付いた時、茜は、椛の腕をとっていた。この、灰色の日常が続いていくだけと思っていた人生で、かつてこれ程に気分が湧きたった事はなかった


そうした時だった。

「うっ・・・!!」

茜は、また、自分の胸元を飾る、ネックレスの先の、血晶が強い熱を孕み始めたのを感じて、胸を押さえる。さっき、陸橋の上で感じた以上の、肌を焼かれるような熱だ。

それはテーブルを挟んで、目の前にいた椛も同じようだった。椛も突然、胸元を手で押さえて、床に倒れ込み、眉間に皺を寄せつつ、必死に痛みに耐えているようだった。

しばしの時間を挟んで、血晶の熱が引いた頃、茜は、まだ熱の残る肌を制服の上から摩りながら、テーブルの向こうの椛に問いかける。

「や、やっぱり、霧島さんも、今、反応した・・・?あの血晶が・・・」

椛は身を起こして、こくりと頷いた。

そして椛は、首にかけていたネックレスを外すと、急に制服のリボンを解いて、シャツの一番上のボタンを外した。彼女の白い肌の上に、浮かび上がっている物を見て、茜は息を呑む。

「そ、その火傷の模様って・・・霧島さんの持ってる血晶と同じ・・・!!」

椛のネックレスを彩る一粒の血晶、「角板付樹枝」型をそのまま焼き付けたように、首筋から胸元にかけて、優美な曲線を描いている彼女の肌の上には、「刻印」が出現していた。

「そう・・・。それもさっき、穂波さんに触れた瞬間に、熱が強くなって・・・昨日よりずっと鮮やかな刻印になってる。これでもう、血晶の都市伝説は、与太話じゃないのが、証明されたね」

血晶は、運命の相手と出会った時、それを知らせるように、持ち主の体に「刻印」を刻み付ける。それは、思いが通じ合うに伴って、鮮やかな刻印に変わっていく。

ネットに拡散した、自殺した女優の肌に残されていた、血晶と同じ模様の刻印の写真については「何らかのトリックを使ったフェイク画像だろう」という意見も多く出ていたが、今まさに血晶の反応する場面を、刻印がより、鮮明になるのを見た後では、もう、これはトリックなどではないと確信出来た。

「穂波さん・・・。君の体に現れてる刻印も見せてくれない?」

椛は、探求心からか、そのような事を言ってきた。いくら同性相手でも、殆ど初めて会話する相手に、胸元の肌を見せるような度胸など茜にはない。

「え、えええ⁉今、霧島さんにここで、見せるの?刻印の場所が、場所だけに、は、恥ずかしいよ、それは、いくら何でも・・・」

「血晶の都市伝説が本当なら、二人、手を繋いだだけで僕の刻印がこれだけ濃くなったなら、穂波さんの刻印も濃くなってる筈なんだ。それを見られたら、あの都市伝説はいよいよ、事実なんだって確かめられる。ねえ、お願い!」

茜は、この椛の振る舞いには頭を抱えそうになった。

理詰めで行動する癖が椛は強いらしく、その為には、恥じらいを捨てた行動もするし、こうして、こちらの羞恥にもあまり気付かないまま、無茶な要求をしてくるという、何処か常識破りな思考をするのを、茜は思い知った。そして、一度、探求心に惹きこまれると、相手にお構いなく、ぐんぐんと引っ張っていく癖がある事も。

早く、と、茜の目が促している。その目線に、血晶と同じ模様の刻印を確かめたい以外、なんらやましいものや、不純な動機などないのは分かっていても、凝視されながら、リボンを解いて、制服のボタンを上から外していくのは、顔から火が噴き出る思いだった。

目を瞑り、顔を背けるようにして、制服のシャツの上を開け放ち、椛に見せる。目を瞑っていても、椛の視線が、自分の、シャツのはだけた胸元に集中しているのを感じて、どんどん、頬が熱くなっていく。

「あ、あの、まだでしょうか・・・、霧島さん・・・」

薄目を開けると、思ったより近くまで、椛は顔を接近させて、茜の胸の刻印を見つめていた。

「わっ!!ちょ、ちょっと、どれだけ近くで見てるの。霧島さんの、へ、変態!!距離感おかしいって!」

もう限界だったので、茜はシャツで首筋から胸元を覆い隠して、椛のベッドの傍まで遠ざかる。椛の吐息まで、微かに、自分の熱した肌の刻印に、その余韻が残っていて、体中が熱くなる。

そして、恐る恐る、シャツの下に隠れた肌の上の、血晶の模様を見つめる。

それは、明らかに昨日、トイレの中でこっそり見た時よりも、紅い色彩を増して、より色のくっきりとした、「樹枝六花」型の模様の刻印が浮かびあがっている。もう、見間違えなどでは決してない。

「こ、これだけ見たら、もう充分でしょ・・・!それにしても・・・、少し触れ合っただけで、二人の刻印が濃くなったっていう事は、やっぱり、私と、霧島さんが・・・運命の相手同士って、事・・・?じゃ、じゃあ、つまり、私達は、女同士だけど、私と、霧島さんは、こ、恋・・・」

茜は、言いかけた言葉を途中で切る。つまり、自分も、そして、椛も、女の子が好き、という事になるのだろうか?血晶の都市伝説でいうところの「運命の相手」が、必ずしも「恋人」の事であるかは、明らかではないが・・・。

しかし、茜が言いかけた、その言葉に、椛の表情は、瞬間的に変わった。何か、表情が険しくなった。

「待って、穂波さん。君が言おうとしてる事は、分かるし、「運命の相手」って言葉からは、そういった意味を、普通は思い浮かべるよね・・・。でも・・・僕は、恋は、しないから。穂波さんとは、僕も友達になりたい。それは本当。でもね、それ以上の関係は、望まないでほしい」

そうして、テーブルの上の血晶のネックレスに目を遣り、次に、椛は、一枚の写真立てに目を遣った。その視線を追うと、そこには、椛と柊木沙耶の、二人が幼い頃の写真が立っていた。それを見ながら、椛は、ゆっくりと言った。

「僕が、恋するのは、『死』に対してだけだから・・・」

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