「血晶」と、風花(かざはな)に還る命達

わだつみ

第1話  空っぽの私

暗闇の帳が落ちた、マンションの部屋の中、女は一人、掌の上に乗る、血のように紅く光る透明な宝石を眺めていた。その宝石は、雪の結晶を模した、精巧な造形をしていた。

「最期まで、私の気持ちに寄り添ってくれていたのは、貴方だけだったね・・・」

紅く光るその結晶は、女の言葉に応えるように、闇の中で、突如としてその姿を変え始める。宙に舞い上がり、液体の姿を成したかと思うと、彼女を喜ばせようとせんばかりに、色々な動物の姿などを形成してみせた。

「ありがとう・・・でも、もういいの。今日、私は、この命を終わらせる。貴方の力で」

その女の部屋の、ダイニングテーブルの上には、何枚もの紙や、精神科の薬の袋等が投げ出されていた。そこに「遺書」と書かれた白い封筒に、直筆の書置きを入れる。

これを、部屋に踏み込んだ事務所の人間が見つける時には、自分は既にこの世にはいないだろう。

女は、見納めのつもりで、テーブルの上に並んだ紙達を、暗闇に慣れた目で見つめ、そこに書かれている文言を読み上げる。

「あのアイドルグループ出身の○○って、鳴り物入りで卒業した割に、最近全然見なくなったよな」

「いや、○○はもうオワコンでしょ・・・。演技も全然個性なくて棒読みだし、アイドル時代は顔と、グループの力で売れてたから何とかなってたけど、若くて清純気取りの女優なんていくらでもいるんだし、年食ったら終わりだよ、女優は。もうすぐ30の女がいつまでもぶりっ子の清純キャラで売れる訳ない」

「今年は主演どころか、脇役すら見なかったし、もう芸能界引退しそう・・・」

そんな読むに堪えないようなコメントが並んでいる。いずれも、SNS上でエゴサで発見した文言だ。こうした、自分の名前を挙げてくれるコメントは、今やアンチコメントでさえ、見つけるのは難しくなっている。今や、自分はほぼ忘れ去られかけた存在となっていた。生きながらにして、女優としては、彼女は既に死んだ日々を送っていた。

『これが・・・私の、昔のファン達が、私に注目してくれる、最後の出来事になるでしょうね。今の、もう何にも持っていない、空っぽの私に』

スマホの画面には、所属する芸能事務所の、担当者からの不在着信が何件も入っている。そろそろ、無断欠勤に業を煮やして、事務所の人間が部屋に押しかけてくる筈だ。早く決行をしなければ、時間がない。

彼女は、自分の両の鎖骨の間をそっと指で撫でる。ひんやりと冷え切った指が、熱したように、肌に浮かび上がる紅い刻印に冷たく、心地よい。その刻印の紋様は、彼女が掌の上で弄んでいた紅い宝石の成す、結晶の形状と全く同じだった。

「貴方に命じるわ・・・。私の喉元を、一突きにして頂戴」

掌の上で、元の結晶の型に戻り、鎮座していた紅い宝石にそう命じた。

それからは、一瞬の出来事だった。紅い宝石は、長剣のように鋭い形状に変化すると‐、女の喉笛の肉を引き裂き、そこから斜め上に、女の脳幹に至るまで真っ直ぐに刺し貫いた。

首から溢れ出た大量の血が、部屋の壁へと、噴水のように降りかかる。壁にかかる、アイドル時代に仲間たちととった写真も、グループの卒業の時に後輩達からもらった記念の品も、全てが鮮血の雨に紅く染められていく。

女優は、そのまま、仰向けに床の上に倒れた。微かに残る意識の中、自分の頭の下のフローリングにも生暖かい液体が広がっていくのを感じた。

忠実な紅い宝石は、血の海に変わった床の上に、元の、繊細な造形の結晶の型に戻って、転がっていた。その宝石に向けて、女優は、喉が潰された為に、殆ど出せなくなっている声で、こう呟いた。

「この世界に、サヨナラを・・・」

血の海の上を漂う、紅い宝石は、女優の血を吸ったように、妖艶な紅い輝きを増していた。


昼休みの教室で、いつものように、スマホでSNSのページを、学校の休み時間に開いていた。

上から下まで、【速報】と書かれたニュース、それに対する反応で埋め尽くされていた。

「女優の○○さん(28歳)、都内のマンションの自室で遺体で発見。自殺か」

どれだけ指先で画面をスクロールしても、芸能関係のニュースはその見出しばかりだ。

穂波茜(ほなみ あかね)は、その中の一つに指先で触れて、リンク先に飛んだ。

「自殺」という単語に目を引かれたからだ。

「人気アイドルグループ△△の元メンバーで、卒業後は女優業に転向していた、○○さんが、本日昼過ぎになって、都内のマンションの自室内で遺体で発見された。警察の発表では、鋭利な刃物で喉を刺された事による失血死と考えられるとの事。事務所からは本人の直筆の遺書も発見されたとの発表があった。遺書の末尾は、『この世界にサヨナラを』という言葉で締めくくられていた」

「この人・・・、昔見てた歌番組ではアイドルで出てたの見た事あるな・・・。でも最近は全然見かけなかったな・・・」

そんな事を、画面を見ながら呟いていると、茜の呟きに反応したのか、前の席の女子生徒も少々青ざめた表情になって振り返りながら、話しかけてくる。

「穂波さんも見た?このニュース・・・!ヤバいよね・・・、確かに卒業してからっはドラマとかでも全然見かけなくなっちゃって、どうしたんだろうって思ってたんだけど、まさか死んじゃうなんて・・・」

茜がクラスの中で、昼休みなどは行動を共にしている女子グループの一人だ。あくまで、この高校の教室内で無難に生きる為だけに、属する事を選んだグループの、その中のまた一人でしかないから、苗字も未だにはっきり覚えていない。そんな彼女の声につられるようにして、茜の周りの席の、同じグループの少女らも、口々に痛ましげな表情を浮かべて、元アイドルの女優の自殺への感想を述べ始めた。

「小学校の頃はこの子追ってたな・・・。歌番出てる時はいつも見てた。卒業して女優デビューしたのは知っていたけど、こんな事になっちゃうなんて・・・!」

「可哀そう・・・。『仕事の事で悩んでいるようだった』とか書いてる。確かに、最近、ドラマでも全然見なくなっていたけど、何も、死ぬ事なんてなかったのに!」

予想した通りの台詞が飛び交い、それに茜も「そうだね」「可哀そうだよね」と適当に相槌を打つ。

『今日まで、この女優さんの名前、この子達が出してるの見た事ない。死んだ途端に騒いで、特別に扱うんだ。絶対、自殺のニュースを見るまで、この女優さんの事なんて忘れてたに違いないのに』

もし茜の心の声を聞ける人間がこのグループの女子達にいたなら、なんて冷たい子なんだと茜をなじり、非難した事だろう。

しかし茜は冷酷でも非情でもなかった。この女優が、非業の死を遂げた事には胸は痛んでいる。茜が疑問を感じたのは、このニュースが飛び込んできた途端に、今まで彼女の名前など口にした事もなかった筈の同級生らが、彼女の事を話題に持ち出してきた事だ。

『死んだら・・・それも、なるべく憐れんでもらえるやり方で・・・命を絶ったら、忘れられていたような人でも急に、こんな特別扱いしてもらえるの?それだったら・・・』

教室内のあちこちで、女優の自殺への、生徒らの悲痛な反応が聞こえる中、茜の心の中でこんな問いが浮かんだ。

『私が死を選んでも、皆の特別になれる?皆の記憶から離れない程の存在になれる?』

茜は女優の自殺を悼むコメントが並ぶ、ニュースのページを閉じて、SNSに戻る。そして、スマホを密かに机の下に運ぶと、とあるアカウントを開いた。

自分は何故、この世界にいて、息をしているのか。生きている理由が見いだせない。そんな書き込みをよくしているアカウントだった。

茜は読んだ事もないような、難しい哲学者や作家の言葉の引用などもあって、アカウントの主の、知性と教養の高さを伺わせた。

その書き込みの中の、一つのコメントをじっと、茜は眺めていた。

「このまま生きていても何者にもなれない。生きる為の、大義名分なんてないのは分かってるのに、今日も息をして、ただ何となく生きている。結局僕は、死ぬ度胸がないから生きているだけに過ぎないんだ。いくら外面を取り繕って、充実しているように見せたところで、僕の中身は、ずっと空っぽだ」

そのコメントを発したアカウント主の、時折この掲示板に書き残していく文言に、茜はひどく共感するものがあった。

SNS上で、あの女優の突然の自殺について、動揺し、悼む声が満ち溢れているのを見ての反応だろうか。画面をスクロールしていると、新しいコメントが追加されていた。

「彼女が生きてる間に、彼女の事を、可哀想だ、何とかしようなんて声は一言もなかったのに、皆忘れていたのに、亡くなった途端に、悲劇のヒロインとして、特別扱いして祭り上げるの?誰かの記憶にこうやって深く刻まれる特別になれるのなら、僕の「何者にもなれない」というこの空虚さを、永遠に楽にして、解決してくれるのは、もしかしたら、死ぬ事だけなのかもしれない。「この世界にサヨナラを」って、どういう意味で、あの女優さんが言ったのかは、分からないけれど、良い言葉だね」

‐「この世界にサヨナラを」とは、確か、ニュースを騒がせている例の、自殺した女優の遺書を締めくくる言葉だった筈だ。画面上に映るこのコメントを食い入るように茜は眺めていた。中性的な言葉遣いのこのアカウントは、茜の心の中を見透かして、的確に言い当てているかのように思われた。

『まるで、私の心の中が見えているみたい・・・。いや、会った事どころか、この人のコメントに返信した事さえないんだから、私の事なんて、この人が知ってる筈ないんだけど』

いつも、形だけはつるんでいる女子グループの、その喧騒の中にいながら、茜は孤独だと感じていた。反対に、家の自分の部屋に一人こもって過ごしている時も、このアカウントの残すコメントを読んでいる時だけは、茜は孤独を忘れた。この板に集う人達の方が、直接顔を突き合わせている筈の同級生らより遥かに、茜の心の中を見てくれているように思えたから。

「警察も、『自殺に使われたナイフや包丁等の刃物が発見出来ず、自殺と他殺の両方の線で捜査を行っている』、とか発表してるけど・・・私は、自殺な気がするな。この人のアカウントとか、ブログ見てたら、最近はだいぶメンヘラな書き込みばっかりでガチのやばい空気してるし・・・・」

そのうち、また一人が、忙しくスマホの画面を指で操作しながら、こんな事を口にした。

「思い出した・・・。この人、最後にテレビで見かけたの、『血晶』のCMに出ていた時だ。自分のブログとかでも、『血晶』の事について書いてる。もしかして、『血晶』の都市伝説って本当だったのかもしれないね。それこそ、『血晶』を、刃物の形にしたら出来るでしょ?」

「都市伝説って、あれでしょ?心の通じ合った『血晶』は、持ち主の望むような形に、自由自在に変形できるとか。でも、うちの『血晶』はいくら思いを込めたところでピクリとも動かなかったし。持ち主の心の波長と『血晶』が綺麗にリンクしないと、いくらやっても変形しないらしいよ」

自殺の道具として使われた『血晶』の事に、今度は彼女らの関心が映った。

「『血晶』が、持ち主の意思で変形するとかあんなの作り話だって。新しく出てきた、謎の宝石だから、皆面白がって色々言ってるだけでしょう?私も、周りで、変形させられたって言ってる人、会った事ないよ」

「でも・・・、この女優さんの自殺前のアカウントの書き込み追ってると、ネックレスの『血晶』と同じ模様の刻印が出来ましたって書き込み、あるよ・・・。『血晶』を自由に操れるのは、同じ模様の刻印が体に現れた、選ばれた人だけなんだよね?」

そんな言葉を耳にして、茜は、鞄の中からネックレスを取りだした。

茜の手の中に、落日の直前の、緋に染まった空の一角を切り取って閉じ込めたような色で、雪の結晶の形をした紅の水晶のような物を一粒つけた、ネックレスがある。血のように赤くも見える事から、雪の「結晶」をもじって「血晶」と命名されたらしい。初めて、茜が店先でこれに出会った時は、駄洒落かと内心で突っ込んだものである。

「あ、穂波さんもそれ持ってたんだ。どう?もしかして、変形とかする?その『血晶』は」

急に、グループの中の女子の一人に話しかけられ、驚いて取り落としそうになった。

茜は不器用に笑いながら、

「あはは・・・どうかな。ちょっと、やってみるね」

と、手の上のネックレスの、その「血晶」に気持ちを込めた・・・。しかし、茜の手の上で、それは微動だにする事はなかった。

「ごめん、私のもやっぱり、そんなに心が通じ合えてないみたい」

茜はそう言って、薄い愛想笑いを、声をかけてきた同級生に向けて返した。「血晶」に関するいくつもの都市伝説を聞いてから、実は何度も試した事はあるが、茜の願いに応えてくれた事はない。

「だよねー・・・。この亡くなった女優さん、体に刻印が出てたっていう話と、都市伝説が本当なら、持っていた『血晶』とは余程心が通じ合ってたのかな」

彼女はそう言うと、また他の子との会話に戻る。血晶に関する話の他には、特に茜に用はなかったらしい。

茜の、このグループ内での扱いはいつもこうであった。もっと話も面白くて元気な子がグループの中にはいる。その子が喋っている時は、基本的に茜は聞き役に回り、他の子らも、茜に話を振る事はほぼない。一応は仲良しグループという名目の集団にいいるのに、自分は透明人間のようだと常々思う。既に他の子らは、下の名前で呼び合うか、少なくとも苗字の呼び捨てなのに、自分だけは「穂波さん」といつまでも苗字のさん付けだ。茜が急にグループからいなくなったところで、最初からその中に茜などいなかったように、彼女らは日々を送っていくのだろう。

今日は、昼からは教室内は、ずっと例の女優の自殺と、『血晶』が関連しているのでは、という噂話で持ち切りだろう。そう思いながら、茜はガタリと椅子を引いて立ち上がった。騒がしいのは苦手だ。外の空気を吸いに行きたかった。

そうして、教室を出て、歩いていく途中、二輪の花を廊下で見つけた。

花のように美しい、二人の少女が立っていた。一人は、ボーイッシュな印象を与えるショートヘアが、切れ長の涼やかな目も相まって、所謂「王子様」と呼んでも差し支えなさそうな少女。もう一人は、その「王子様」然としたボーイッシュな少女と向き合って話している。アイドル顔負けの清楚な顔立ちを持ち、艶やかな長髪が更に清純な印象を引き立てている。そこに二人並んで、話しているだけで、行き交う他の生徒らの耳目を集めずにはいられない存在感を放っているのだった。今も何人かの女子が、横を通り過ぎる際に、うっとりとした表情で「王子様」の方を眺めていった。

かと思えば、今度は男子生徒らの一団が、チラリと横目に、今度は「アイドル」の方に目を遣って、通り過ぎていった。一人など明らかに交際相手らしい女子生徒が横にいながら、露骨に振り向いて「アイドル」に目を遣り、女子に腕をつねられていた。

『私とは縁遠い二人のお出ましだ。あの二人は、どちらも、どうやったら皆の特別になれるかなんて考えなくても、私にない物を皆手にしてるんだから。きっと、全て満ち足りているんだろう、あんな人達には、私みたいな空っぽの人間の気持ちが分かる日なんて永遠に来ないんだろうな・・・』

茜は、特に行くあてもないまま、その二人の傍を横切っていこうとした。

「王子様」も「アイドル」も、茜が勝手に心の中でそう呼ぶ事があるだけだ。

「王子様」の少女の名は、霧島椛(きりしま もみじ)。

その横に立って、何かひそひそと声を潜めて話している黒髪ロングの「アイドル」は柊木沙耶(ひいらぎ さや)。

彼女らのどちらもが、学年の中でも群を抜いた有名人であり、常に周囲の人気と視線を一身に受けている。夏の蜃気楼のように、気付いた時には消えていそうな、薄い存在感の茜とは、接点などある筈もない二人だった。

「絵になるな、綺麗な女の子二人は並んでいるだけでも・・・」

そんな事を小さく呟きながら、茜は、二人の横を通り過ぎていく。

‐その時だった。

「熱っ・・・!」

美しい二人の横を通り過ぎて、しばらく廊下を歩いたところで、異変は起きた。

周囲の流行りにあやかりたくて、学校の外では、「血晶」のネックレスをいつも下げている。その、「血晶」が丁度肌に触れる位置・・・左右の鎖骨の合間のあたりに、突如、熱した何かをぎゅっと押し付けられたような、謎の熱感が走った。

気のせいかと思ったが、熱感は強く肌に残り続け、急いでトイレに駆け込む。自分の肌がどうなっているのか見たかったからだ。


その時の茜は、自分の胸元に走った謎の熱さに気をとられ、知る由もなかった。

学校の「王子様」こと、霧島椛が、走り去る茜の背に目を向けていた事を。


トイレの扉を急いで締め切り、胸元のリボンを緩めて、シャツの上のボタンを外し、熱を感じた部分を覗き込む。そこにあるものを見て、茜は我が目を疑った。

「何、これ・・・?」

茜が大事にしている、ネックレスの「血晶」。その「血晶」が織りなす、雪の結晶の形を思わせる、薄く赤い痕が、火傷の痕のように、茜の白い肌の上に、あるかなきか、浮かび上がっていた。

「嘘・・・、これって、ネットで言ってた、『血晶』の都市伝説そのもの・・・」

「血晶」が、持ち主の体に、同じ紋様の「刻印」を出現させるには条件がいくつかあった筈。茜も、ネット上に流布している例の都市伝説は、与太話という認識でしか読んではいなかったから、詳しくは覚えていなかった。

必死に、この奇妙な痕が出現した時、何か変わった事はなかったかを思い出す。

「霧島さんと、柊木さんの傍を通った後だ、確か・・・。この、変な熱さを胸に感じ始めたのは」

その時、茜の脳裏を、ネットの都市伝説をまとめたサイトで見つけた、「血晶」に関するある情報の一文が過ぎった。

「血晶が刻印を成すケースの中には、自分と近しい心の波長を持つ人間の血晶と、接近、接触した場合がある。時として、それは、貴方の運命の相手かもしれない。お互いの持つ血晶同士が反応し合う場合、その二人は、何かしらの形で必ず引かれ合う」

それを最初見た時は、出所も何も書かれていない、胡散臭い情報としか思わなかった。しかし、突如起こった、この、体の異変は、あの情報を想起させるのに十分だった。

『まさか・・・?いや、でも、あの時、すれ違ったのは、王子様の霧島さんに、アイドルの柊木さんだよ?あの二人のどちらかと、引かれ合うなんてそんな事、ある訳が・・・。こんな空虚で、生きてる意味も分からないような空っぽの私と、あの、毎日が輝いているような二人のどちらかが?そんな・・・馬鹿々々しい』

茜は首を横に振った。女優の死んだ事件を皆が、「血晶」と結びつけるような話をしていたから、そのような都市伝説でしかない話にも、一時的に左右されやすくなっているに違いない。ただの気の迷いで、この「血晶」の形にそっくりな、薄い火傷のような線もきっと皮膚の病気か何かなのだ。今日は薬局で塗り薬でも買って、このまま消えなかったら、病院に行こう。


昼休みが終わる前に、教室に戻っていく。その途中の廊下で、また、霧島椛とすれ違いになった。柊木沙耶と話していたかと思えば、今度は、周囲に何人もの女の子らを侍らせて、何か談笑していた。女たらしの「王子様」の女。それが茜の霧島椛への日頃の印象だった。霧島椛にも、柊木沙耶にも、「親衛隊」などとあだ名されるような固定した面子の取り巻きの女子生徒らがいた。

その時、茜は、彼女が一瞬、胸元のあたりを手で押さえたのを目にした。丁度、茜が先程、火傷をしたように感じたのと、ほぼ同じ場所だ。勿論、リボンと制服で固く守られている彼女の胸元の肌など見える筈もない。

その光景を見た途端、茜の心はざわついた。

『え・・・、まさか、ね・・・?』

取り巻きの女子達と、取るに足らない会話を交わしつつも、その時、霧島椛はしっかりと、茜の事を見た。何かを含んだ、意味ありげな目つきだった。

茜がいつも、鏡の中で目にする、何処か空虚で荒廃した色の瞳と、同じ色が、一瞬、彼女の瞳の中にも過ぎったのを、確かに見た。

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