第64話 あの頃の私は(由佳視点)

 小さな頃の私は、引っ込み思案な性格だった。人見知りが激しかったし、新しいことに挑戦しようともしない臆病な性格だったのだ。


「ゆーちゃんはさ、人と話すのが嫌い?」

「うん……だって、怖いんだもん」

「怖いか……まあ、それは仕方ないか」


 そんな私が変われたのは、ろーくんのおかげである。ろーくんの言葉があったからこそ、私は今の私になれたのだ。


「でもゆーちゃん、それはもしかしたらもったいないことかもしれないよ?」

「もったいないこと?」

「うーん……例えば、ゆーちゃんはオムライスが好きだよね?」

「あ、うん。好きだよ?」


 もしかしたらろーくんは、その時のことなんて覚えていないかもしれない。

 でも、私は今でもはっきりと覚えている。ろーくんの言葉の一つ一つも、一挙手一投足も鮮明に思い出すことができる。きっとそれ程に、あの時の言葉は私にとって大きなものだったということなのだろう。


「ゆーちゃんは、どうしてオムライスが好きなの?」

「どうして? おいしいからだよ?」

「うん。そうだよね……でも、どうしてオムライスがおいしいってわかるの?」

「え? えっと……だって、食べておいしいって思うから」


 今思い返してみると、ろーくんは大人びた子だったような気がする。同い年で何なら私の方が少しお姉さんのはずなのに、ろーくんはいつも私を導いてくれていた。

 だから、私は成長できたんだと思う。そんなに自信がある訳ではないけれど、今の私はあの頃よりは立派な人間になれたはずだ。


「それはつまり、ゆーちゃんはオムライスをおいしいって知っているから好きだということだよね?」

「うん……そうなのかな?」

「でも、オムライスがおいしいって知るためにはオムライスを食べないといけないよね?」

「え? あ、えっと……そうだよね。食べたことない物がおいしいかどうかなんて、わからないもんね」


 ろーくんの顔を見ると、今でも安心する。何があっても、大丈夫だって思える。私にとって、ろーくんはそんな存在だ。


「人と話すことも、それと同じなんだよ」

「同じ? どうして?」

「話してみなたらさ、相手がすごく気が合う人かもしれないよ? ゆーちゃんにとって、大切な友達になってくれるかもしれない」

「……でも、もうろーくんがいるもん」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど……でも、友達は多い方がいいって思わない?」

「それは……そうかもしれないけど」


 ろーくんがいればそれでいい。小さな頃の私は、きっとそのように思っていた。

 でも、今の私はそうは思わない。舞達という友達も、私にとっては必要な人達だと思っている。


「人と話すことだけじゃなくてさ、きっと色々なことがそうなんだと思う。何か新しいことに挑戦したら、自分の世界が広がるんだよ」

「そうなのかな……?」


 ただそれでも私にとって誰よりも特別で大切なのは、きっとろーくんだ。舞達には少し悪いような気もするけれど、多分私のその根本は変わっていない。

 ろーくんと一緒にいたい。その想いは、離れ離れになっている間もあった。

 最近はその想いが、どんどんと増してきている。一度再会してから、私はろーくんと会えなくなるということがとても恐ろしくなっていた。


「ろーくんがいなくなるなんて、嫌だよ」

「ごめん、ゆーちゃん。でも仕方ないんだ……」

「わかってる……でも!」


 前にろーくんが転校することを知った時、私はいっぱい涙を流した。ろーくんと会えなくなるという悲しみに、私は絶望していたのだ。

 そんな私を、ろーくんはそっと包み込んでくれた。でもそれでも私の心は晴れなかった。そうやって包み込んでももらえなくなることがわかっていたからだ。


「……ろーくん、約束してくれる?」

「約束?」

「私、ろーくんのお嫁さんになりたい……ろーくんのことが、大好きだから」

「ゆーちゃん……」


 あの時の私は、とても自然にその言葉を口にできた。追い詰められていたからなのだろうか。今は勇気を振り絞っても出せそうにない言葉が、簡単に言えていた。

 もしかしたら、あの頃はろーくんがその言葉を受け入れてくれるという確信があったのかもしれない。いや、どちらかというと断られるという考えが頭の中になかったという方が、正しいような気がする。


「俺も……ゆーちゃんのことが大好きだ。大きくなったら、結婚しよう。約束だ」

「うん……うん」


 ろーくんのあの時の言葉を、私は今でもはっきりと覚えている。ろーくんはもう覚えていないかもしれないけど、私達は約束したのだ。結婚の約束を、確かに交わしたのである。


「んんっ……朝?」


 そんなことを考えながら、私はゆっくりと目を覚ました。

 最近は、昔の夢をよく見る。ろーくんとの思い出が蘇ってくるのだ。

 多分それは、ろーくんと昔みたいに戻れているからなのだろう。始業式の日に再会してから少しぎくしゃくしたような気もするけど、今はしがらみなんてほとんどないと私は思っている。


「ふー……準備しないとね」


 だけど、私は今の関係に満足している訳ではない。ろーくんともっと深い関係を望んでしまっている。

 それを実現できるように、頑張らなければならない。何ができるかそこまでわかっている訳ではないけれど、それでもできる限りのことをしていくしかないだろう。

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