産まれてしまった子供たちの為に
夢葉 禱(ゆめは いのり)
ステップ1
椅子に腰を下ろした途端に、向かいの女二人組が話しかけてきた。
「名前を教えてもらえる?」
パンクバンドのTシャツにライダースーツ風の革ジャケット、スリットの入ったベルボトムのジーンズ、二列に穴の開いたごついベルトを巻き付けて乗っけたちっちゃな尻は今にもこっちを突き飛ばしそうだ。薄暗い部屋で燃える赤毛のショートと、曇天みたいな底の見えない瞳の睨み付ける眼光は第一印象ばっちりに違いない。中々個性的な女だったけれど、もう一人の方はもっと僕の目を引いた。赤毛女の押す車椅子にちょこんと座って、真っ白いケープとロングスカートと毛布でぐるぐる巻きにされている。オリーブ色の長い髪は緩く縦ロールにして、あちこちに葉っぱや花が編み込まれている。僕が見ている事に気が付くと、車椅子の彼女はゆっくりと微笑んでみせた。
「それ、造花?そっちは本物?」
僕は両手で自分の髪に手櫛を入れるようなジェスチャーをしてみせた。車椅子の彼女が両手で大事そうに抱えている白い百合の花束は本物に見えた。
「本物よ、手持ちが足りないときは造花の事もあるけど」
赤毛女は続ける。
「こっちの車椅子に乗ってるのはハッピー。あたしはプープー=ブリンガー。よろしく」
プープー=ブリンガーは言う。で、そっちの名前は?
「ベイビー・オズボーン。うんち(注:poopは大便のスラング)と幸せ?いい組み合わせだ」
「ありがとう、赤ちゃんオズボーンくん。それ、本名?アノニマスネームでよかったのに」
プープーは首を傾げてニヤッと意味ありげな笑みを浮かべる。彼女が右手を差し出した拍子に、左耳に開けられたピアスがチカチカ点滅する蛍光灯の光を反射する。
シャッターを切る。
セント・ジョン・ザ・ディバイン大聖堂を臨む、通りの向かい側の貸部屋の一室。窓からは夜の通りの観光客と家に帰る学生の喧騒が聞こえる。何も無い狭い部屋の中央に置かれた向かい合わせの椅子から立ち上がって握手をしている僕たちを切れかけの蛍光灯が照らしている。お互いに仲良くなれそうな、いい笑顔だ。
タイトルを付けるなら、『出会い』だ。5ドルできみに売り付けよう。
「ハッピーも、よろしく」
僕はプープーと握手をしたまま左手をハッピーに差し出したが、ハッピーは困ったようにプープーを見つめるだけだった。
「ハッピーは喋れないの」
プープーは言う。ハッピーは手足を動かせないの。手足を動かすことに集中できないの。
「だから、あたしがハッピーの分も握手するわね」
プープーの右手に十倍の力が込められる。僕の顔が歪む。手を引っ込めようと後ずさりしても、僕の右手は鶏の頭のようにその場から動かない。僕はギブアップの意を込めて椅子の背を叩いた。ロープ。
「ハッピーが初めましてって言ってるわ、あなたとは仲良くなれそうって」
プープーが手を離す。僕の右手には蛇に巻き付かれたみたいな真っ赤な痕が残っている。
ハッピーは声があれば笑い声が聞こえてきそうな顔をしている。
その時、パイン材の扉がきしんだ音を立てて開き、犬の顔が隙間から突き出した。
犬の顔が言う。「遅れてすまない」
プープーが挨拶を返す。「こんばんは、ルル」
プープーがハグをしている相手、ルルと呼ばれる男は、ブルーのセーターとジーンズから毛むくじゃらの手足と狼の頭が飛び出したウェアウルフだ。ルルは部屋の隅から椅子を引きずってくると、僕たちの輪に加わった。
「やあルル、ちょうど今手をミンチにされてたところだ」
身長6.3フィートのライカン、僕の同居人でもあるルルは喉をぐるぐる鳴らして笑っている。
「俺もやられたよ」
始めようか。マンハッタン支部長にしてグループリーダーのルルは言う。AA、匿名反出生主義者のための会、望まないままに産まれてしまった子供たちのための会へようこそ。
「ルル、せっかく誘ってもらって嬉しいけど、やっぱり僕には向いてない気がするよ」
僕が席を立とうとすると、ルルの大きなとんがり耳と尻尾がぺたんと垂れる。大袈裟なボディランゲージだが、僕には効果的だ。
「OKOK、分かった、取り敢えず最初だし最後まで居るよ」
だからその瞳で僕を見るのをやめてくれないか。ルルはやたらと大きい癖に、ビー玉みたいなキラキラした目をしている。
「反出生主義者のための会と大袈裟に言ってみても、俺たちは妊婦を襲って回るテロリスト集団じゃない。ただ自分たちをマシにする方法を探してるだけだ」
ルルのありがたい演説にプープーが立ち上がる。
「あたしたちは産まれてしまったからには、生きていくためには、幸せになる義務があるの。ただクソッタレな世界がそれを邪魔するだけよ」
プープーは続ける。
「あたしはあたしとハッピーを幸せにするためにAAに参加してる。ハッピーはあたしの願いなの」
プープーはハッピーの手を握って言う。
「そんな事言わないで、ハッピー。あたしたちはいい方向に向かってる」
ルルは持っていた本を開いて折り畳まれた紙を取り出すと、それを広げて壁に貼り付けた。
「AAには、自分をマシにする全部で12のステップがある」
ルルは言う。第一のステップ。私たちは出生、及び人生に対して無力であり、肯定的に生きていけなくなっていたことを認めた。
「これは、自分の存在を許せるかって事よ。ベイビー、あんたは自分という存在がクソ忌々しい生誕の日に世界にねじ込まれたという事実に耐えられているかしら」
プープーは僕の顔を覗き込んで言う。その寝惚けた頭に入ってるちっちゃな脳味噌でよく考えてみることよ。
ハッピーが天使みたいな微笑を僕に向けている。僕にはハッピーの言葉が分からない。
「一度でも」
ルルの掠れた耳触りのいい声が言う。一度でも、根源的な苦しみの要因を出生に見出したことがあれば、AAに参加する資格がある。
「つまり、AAは誰でも受け入れているって事よ」
プープーは言う。あたしたちはあたしたちを救いたいの。堂々巡りする歯車から。社会から。人生から。世界から。
「僕を、どうしたいんだ」
プープーは僕の手を取る。
「あなたがこれから決めていくのよ」
僕が決める?それはいい。救いたい?それはいい。僕を救ってくれるならいつだって誰だって大歓迎だ。お礼にきみの写真を撮ろう。チップをくれ。小切手をくれ。無条件の肯定をくれ。イージーモードの人生のやり直し券をくれ。
ルルは言う。第二のステップ。私たちは自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
「OK、僕が如何に出来た奴かは僕が一番分かってる。問題は、大きな力ってのが一体どこにあるかだ。神なんて会ったことも無い」
その時、プープーが、赤毛女のプープー=ブリンガーが勢いよく椅子から立ち上がった。
「ここに居るわ。あたし、神なの」
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