人生と余暇のノート
ババロアババリエ
自然公園にて
「僕は幻想的な風景を求めている」
休日に自然いっぱいの公園に行った。
私は住宅街の中で暮らしているため、森に囲まれた場所には目がない。束の間の異世界に行きたいのだ。
今日は連休最終日。
車を数十分ほど走らせて、少しばかりの紅葉が美しい街路を抜けて、駐車場に着く。
駐車場の外側を大木が取り囲んでいて、そこからの木漏れ日はコマーシャルのように整然として美しかった。
8時に着いているのに、思いのほか人がいる。
何人かが車から降りて談笑している。多くが高齢者で、高そうなカメラを携帯し、とても幸せそうに森へ吸い込まれていく。
私はこうなれるのだろうか、とふと考える。
あくまで想像だが、彼らは仕事を60などまで全うして、金も時間もできて、それで高いカメラを買って余生を楽しんでいる。
20代の私が、これからすぐに仕事を辞めたりだとか、海外で放浪したりだとか、そんなことをした場合、ここでのんびりと夫婦でカメラ片手に来る勝ち組の老人にはなれないだろう。
そう思った。
人生は選択の連続であり、そしてタイミングとタイムリミットの連続でもある。
休日の限られた時間で仕事以外の何をするか。
自分の頭で何か考え事をするか、はたまた人と話してリラックスをするか、森へ行くのか、映画を見るのか。
何時間の映画を観るのか。何時までに帰らなければいけないのか。明日は何時から職場や学校へ行くのか。何時に帰るのか。それまでに何ができるのか。必要なことをいつやるのか。
僕の小さな頭では、21世紀の日本は複雑すぎる。何をするにも、マネジメントが求められる。
かといって、原始人のいる世界で筋肉もない僕が生きられるわけもないのだが。
とにかく、森に行って思ったことは、そんなことだ。思考がよく飛び散るため、ここまでをぼーっと考えた。
僕はエントリーモデルのカメラを手に、草木の写真を撮っていく。
思ったよりも幻想的な風景を味わえず、消化不良で帰路に。
いつもいつも、映画や小さい頃に見た完璧な景色に辿り着きたいと僕は思う。
でもそれは水をつかむように不可能なことで、いつも「良さそうだ」と思った端から「違うなあ」とこぼれ落ちていく。
私はそれでも、連休最終日にここに来れたことを良く思っている。
新鮮な空気を吸って、月曜からの戦場に備えるのだ。
仕事がとりわけ苦手な人種にとって、平日とは負け戦に他ならないのだが…
なんとか土日でそれを受け入れるほどの美酒をささやかなグラスに並々と注がなくては…
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