ゆく花くる花
古びた望遠鏡
第1話
「今年の冬は例年と比べて格段に寒いです」
ニュースキャスターが言ったこの忠告を身にしみて感じたのは1月の終わりだった。
俺は冬が嫌い。なぜなら、外に出ると手は赤本の色みたいになるし、学校の教室は暖房がなければ授業なんて受けれやしない。移動教室なんてもってのほかだ。
しかしだからといって夏が好きかと言われるとそうではない。夏は夏で汗が滝のように流れるし、シャワーでも浴びたのかと思われるほど髪は濡れる。
夏になると冬の涼しさを願い、冬になると夏の暖かさを神に祈る。神からしたら都合のいい奴だと思うかもしれない。
だが、俺が思うにずっと春と秋の季節を繰り返さない神が悪い。神が気温くらい調節できないで神を名乗るな。君が祀られてる神社に初心者マークを貼ってあげよう。
神に注文をしていると目的地である床屋に着いていた。
自転車を店の前に止めて、昔からあるであろう赤と青のクルクルと店の売りである「カット1000円」と書かれた看板の横を通ってドアの前に行くと「1200円になりました」と小さく書かれていた。
「いらっしゃい」
いつも通りの店長の声が狭い部屋の中をこだまする。
この自称1000円カットの床屋には10年以上通っている。一度近くにできたチェーン店のカッコいい床屋に浮気しかけたが、若い雰囲気が合わず戻ってきた。
なぜこの床屋を選んだのかはあまり覚えていない。でも初めてここに来た時のことは今でもはっきりと覚えている。その時親に坊主にさせられたこともあるが、今まで通っていた美容室との違いに驚いていたからなのであろう。
古びたマンガや永遠に流れるラジオ番組、伸びるシャワーヘッドなど当時の俺には初めて見るものなのにどこか懐かしさがある不思議な感覚は今でもよく覚えている。
「ちょっと待っててや。カズくん。」
店長はそう言うと客の方へ戻った。10年前は白髪の方が目立っていたのだが、今では数本ある黒髪が目立っている。
10年あれば変わることも多い。でも今俺の目の前にある額縁に入った桜の写真は全く変わっていない。少し雪が残った山をバックに満開ではないものの春の訪れを十分に感じさせる桜はいつ見ても綺麗だ。ずっと前の写真ではあるが、不思議と古さを感じない魅力があった。
しばらくするとカットを終えた年配の客が電子マネーで会計を済ませた。その光景に驚いていると
「カズくん。待たせたね。」
そう言われると俺は奥の部屋の年季の入った革製の椅子に腰掛けた。ところどころキズはあるがフカフカで時間が経てば眠ってしまいそうだ。
「今日はどうする?いつもくらい?」
店長はカバーをかけながらハツラツとした声で聞いてきた。俺は小さく頷き、鏡に目をやった。
連日の寝不足のせいか顔がいつもよりむくんで見える。来月に大学受験を控える学生と言われればしっくりくるかもしれない。
店長は手際良く櫛とハサミを使ってカットを始める。
「カズくんは今年でいくつだっけ?」
18というと店長は大きくなったねぇと詠嘆の口調で言い、手を動かす。
店長が硬い俺の髪を切りにくそうにしているのを見てひょっとしたら俺は美容師泣かせなのかもしれないと思った。
束の間の沈黙の後口を開いたのは店長だった。
「カズくんは大学行くの?」
「東京の方に。」
「東京かぁ。いいところだけど物価がねぇ。」
俺はこくりと頷くと店長は寂しくなるねとだけ言ってハサミを使う。微妙な空気が流れたせいか、はたまたずっと気になっていたからなのかは自分でもわからないが俺は口を開いた。
「あの桜の写真綺麗ですね。」
「そうかい。あの写真はね」
店長は手を止めてあの写真について語り出す。
「あの写真はね娘が撮ってくる写真なんだよ。この地域の山で撮ったものなんだけどね。」
まだ店長は続ける。
「実はあの写真は毎年違う写真なんだよ。」
店長の衝撃のカミングアウトに口を開けたまま静止してしまった。店長によると写真家である娘さんが毎年同じ場所、同じ日にちで撮ってくるものらしい。
「私はね娘から毎年送られてくるこの写真が楽しみなんだよ。同じ写真のようでよく見てみると全く違う写真なんだ。」
店長はいつもより大きな声で興奮しながら話している。再び手を動かしてあの写真の詳細について話し出した。
「結局変わらないものなんてないのかもね。」
写真の話が終わった後で店長はどこか遠くを見つめるように言った。
確かにあの写真ひとつとっても桜の花の咲き具合や山に積もる雪の量、雲の形とっても変わらないものなんてないのかもしれない。
だが俺の心の中に引っかかりを覚えた。さっきあげたように変わらないように見えて変わっていることはこの世界に溢れている。この店も何十年かしたら何も変わってないなんてことはないはずだ。でも
「ここという場所は俺にとっては変わらないものですよ。」
「そうかい。ありがとう。」
店長はそういうとカットを終えた。
「いつもより前髪切りすぎじゃないすか。」
「んなことないよ。いつも通り。」
そう言うと店長はニッコリと笑った。
外に出るとさっきまではまるで降る気配がなかったが、雪が降ってきた。雪が降るなんて何年ぶりだろう。
自転車のハンドルは冷きっていて、手は再び赤みを帯びた。雪はさらに強くなる。
気温も下がり、町行く人の顔はどこか寂しげであった。でも俺はむしろいつもより前向きであった。なぜならあともう少ししたら美しい桜の季節だから。
ゆく花くる花 古びた望遠鏡 @haikan530
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