第十九話
レイの元を訪れた翌日、ダグラスは病院には帰らずそのまま退院の手続きをした。
表向きは、溜まった仕事を片付けなければならないという名目だったが、本当の理由はクリスが心配だったからだ。
ダグラスは、その日も仕事が忙しく、終わった時にはもう二十時を回っていた。
遅い時間だったが、ダグラスは医務室を訪れ、人払いをした。
「調子はどうだ?」
そう言って、ダグラスはベッドサイドの椅子に腰かけた。
「だいぶいいけど、まだ部屋に戻る許可がおりない」
クリスが寂しそうに言う。
それを聞くと、ダグラスは髪をなでながら、優しく微笑んだ。
「大人しくしていればすぐ帰れるさ」
マイケルから聞いた話では、まだ熱が高くてあまり良くはないらしい。
けれど、ダグラスには、それでも聞かなければならない事があった。
『早く聞いといた方がいいぞ。そうしないと、多分クリスが壊れる』
レイの言った言葉が頭にチラつく。
「少し聞きたい事があるんだが、大丈夫そうか?」
ダグラスの問いに、クリスは顔を
「聞いてもいいけど、多分、僕はその質問には答えられないと思う」
そう言って、クリスは部屋の壁を見つめた。
「つらい事を聞くようだが、D国での事を教えて欲しい」
クリスは、口を閉ざしたままで答えない。
「言える範囲でいいから、教えてくれないか?」
ダグラスに聞かれて、クリスはしばらく考えていたが、何かに耐えるように目を閉じた。
「言える事が、なにもない」
ダグラスは、クリスの髪を優しくなでる。
そして、クリスが答えられそうな質問を選んで聞いてみた。
「相手の要求はなんだったんだ?」
すると、今まで沈黙していたクリスが口を開く。
「I国に内乱を起こさせる事」
クリスは、そう言って自分の手を握り締めると、一言だけ告げる。
「それ以上はなにも言えない」
そして、クリスは固く口を閉ざし、それ以降は何を聞いても、いっさい答えなかった。
ダグラスにも、クリスが経験した事は、並大抵の事ではなかったのだと分かった。
何も話さないのが、そのなによりの証拠だ。
ダグラスは、クリスがこんなにも精神的に追い詰められている事に気付かなかった自分に憤りを覚えた。
恐らく、レイに言われなければ、ダグラスはずっと気付かないままだったに違いない。
しかし、レイは離れていても、クリスの気持ちを推し量る事が出来るようだ。
そして、ダグラスの知らないクリスの事をたくさん知っている。
ダグラスもクリスの事を知りたいと思うのだが、クリスにはいつも、その寸前のところでかわされてしまう。
クリスは、自分といるより、レイといた方がいいのではないかと思わずにはいられなかった。
そうすれば、なにも隠す事なくレイに話して、この状況から少しでも楽になれるかもしれないと考えてしまう。
実際、クリスは、ダグラスの入院中、相談する
しかし、どんなに苦しかったとしても、クリスはダグラスといる事を選んだのだ。
そうでなければ、レイがダグラスにクリスを任せる
『クリスを愛してるんだ』
ダグラスは、レイの言葉を思い出した。
「クリス。こっちを向いてくれないか?」
ダグラスは、横を向くクリスの顔を
しかし、クリスはダグラスの視線を避けるように目を
ダグラスは、その髪を優しくなでた。
「クリス……」
ダグラスは、クリスの体に手をかけて、自分の方に振り向かせる。
クリスの体が、かすかに震えていた。
「私にもクリスのつらい思いを背負わせて欲しい」
クリスは、なにかに耐えるように、きつく目を閉じた。
「私はそんなに頼りないか?」
クリスは首を横に振る。
「そうじゃない。でも、言えない」
クリスは、拳を固く握り締め、肩を震わせていた。
その後、どんなに聞いても、クリスが口を開く事はなかった。
ダグラスは、聞き出さなければいけないと思いつつも、クリスから聞き出す糸口が掴めない。
そして、ダグラスは、レイがクリスを頑固だと言っていた事を思い出した。
これ以上追求しても無理だと、溜息まじりに、クリスの
「話したくなったらでいいから聞かせてくれ。いつでも聞くから」
ダグラスは、クリスに優しく口付けた。
クリスは、それに懸命に答える。
その姿は、全身で助けを求めているように見えた。
『はじめて抱いた時もそうだったな』
あの時も、クリスはなにかを必死で訴えようとしていた。
そんなクリスをダグラスは守りたいと思ったのだ。
『ああ見えて口下手だから、言葉でうまく伝えるのが苦手だ』
レイの言葉を思い出す。
「クリス……」
しかし、次に出かけた言葉を、ダグラスは声に出す事が出来なかった。
その言葉の代わりに、一層深く口付けた。
クリスは、それに応えるように、さらに激しく舌を絡める。
ダグラスは、ただの口付けだと言うのに、理性が飛びそうになるのを耐えるのに必死だった。
今までダグラスは、これ程までに淫らに求めて来るクリスを見た事はなかった。
そして、これもレイがクリスに教え込んだ事なのだろうと思う。
『だがそうしたのは私だ』
ダグラスは、溢れそうになった黒い感情を飲み込み、クリスから体を離した。
クリスは、ダグラスを見つめて、その頬に手を伸ばす。
「社長、いいよ? 続きをしよう」
ダグラスは体を起こして、クリスの手を取った。
「怪我をしているのにすまなかった」
そもそも、ダグラスはこんな事をするつもりで来たのではない。
しかも、ここは医務室で、相手は怪我人だ。
『どうかしている』
ダグラスが黙っていると、クリスが寂しそうに言った。
「いつ、部屋に帰れるんだろう」
そう言えば、クリスの部屋をどうするかという問題もあった。
もう、クリスの居場所はバレているのだ。
このまま、ダグラスの寝室に置いておく訳にはいかない。
「あそこは危険だからな。どこかいい場所がないか考えているところだ。なにかいい案はないか?」
聞かれて、クリスは悲しそうに目を伏せる。
「社長と一緒がいい」
確かに、この状態のクリスを一人にするのは危険だった。
「一緒に引っ越すか?」
ダグラスは、そう言って微笑んだ。
「違う。あの部屋がいい」
クリスは、顔を上げて真っ直ぐにダグラスを見る。
「あの部屋に帰りたい!」
クリスがこんなに強く主張するのは珍しい事だった。
「社長と一緒にあそこで暮らしたい!」
本来、クリスは
ここまで強く言うのなら、クリスにはそうせずにはいられない理由があるに違いないと、ダグラスは思った。
「分かった。怪我が治ったら私の部屋に戻ろう」
クリスは、安心したようにため息をついて、笑顔を見せた。
「良かった。ありがとう」
そう言って、クリスは求めるようにダグラスに腕を伸ばす。
それをダグラスは押し留めた。
「続きは部屋に戻ってからだ」
ダグラスはそう言って、クリスの手に口付けた。
「分かった」
そう言って笑うクリスの顔は、十二歳の少年のものだった。
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