第十八話

 その日、レイは酒を飲みながら、昔の事を思い出していた。


 初めてクリスに会ったのは、レイが三十五歳の時だ。

 今度の生徒は子供だとは聞いていたが、連れて来られたのは、想像していたよりずっと幼い子供だった。

 レイは、乱暴に腕を掴んで引き寄ると、その顔をまじまじと見た。

 まだ幼いながらも、驚く程、整った顔立ちをしていた。

 レイは、その顔を鋭い目で観察する。

 その目で睨まれたら、それだけですくみ上がる大人もいると言うのに、目の前の少年はなにも映らない瞳で、ただレイを見ているだけだった。

 レイは、その瞳が今でも忘れられない。


 クリスを引き受けたレイは、試しに拷問用の機械にかけてみたが、クリスは表情ひとつ変えない。

 どんどんレベルを上げて行き、屈強な男でも泣き叫ぶ程の痛みを与えても、クリスの態度は変わらなかった。

 その日は、機械とクリスの検査をする事になり、早々に授業は終了になった。


 翌日、検査の結果は共に異常なしという事で、授業が再開された。


 それから、レイは毎日クリスを拷問した。

 拷問用の機械でどんなに強い痛みを与えても、クリスはやはり表情も変えず、声も出さなかった。

 今度は、乱暴に犯してみたが、クリスは怖がりもしない。

 いつまでも音を上げないクリスに、レイはいつしか敬意すら覚えるようになっていた。


 ある日、レイは休憩時間にクリスに話しかけてみた。

「なんで、なにも喋らねえのか言ってみろよ」

 そう言われて、クリスはなんの感情もない目でレイを見た。

「なにも聞かれなかったから」

 それは、初日の挨拶で聞いて以来、久しぶりに聞いたクリスの声だった。


 その日を境に、レイはクリスに頻繁ひんぱんに話しかけるようになった。

 それを一年くらい続けているうちに、クリスは少しずつ自分の事を話すようになった。


 その日の授業中、レイがずっと疑問に思っていた事を聞いてみた。

「お前、今まで何人の男に抱かれて来たんだ? 両手の指でも足りねえんじゃねえか?」

 抱いてみたら、クリスがはじめてではない事はすぐに分かった。

 そして、少ない人数ではないはずだ。

「数えたくない」

 クリスは、そう答えた。

「数えたくねえって、数えれば分かるのかよ?」

 その質問に、クリスは小さくうなずく。

「全部覚えているから」

「全部?」

 レイは、顔をしかめた。

「いつ、どんな男になにをされて、僕がなにをさせられたかまで全部」

 クリスが、嘘を言っているとは思えなかったが、にわかには信じられなかった。

「その記憶ってのはいつからあるんだよ」

 レイは、冗談半分に聞いてみた。

 すると、クリスはこう答えた。

「物心ついた時から、全部覚えてる」

 そこで、終業のベルが鳴った。


 別の日の授業中に、レイはこの前の続きを聞いた。

「じゃあ、お前がやられた時の一番古い記憶はなんだよ」

「三歳の時、父に襲われたのが一番最初」

 レイに攻められながら、クリスはなんの躊躇ためらいもなく即答した。

「じゃあその時の事も覚えているのかよ?」

「覚えてる。先生、聞きたい?」

 クリスは、何も映らない瞳でレイを見た。

 レイは聞くべきか悩んだが、好奇心がそれに勝った。

「ああ。聞かせてみろよ」

 レイがそう言うと、クリスはレイの腕に手を当てた。

「じゃあ、ちょっと待って。実演するから。先生も手伝って」

 クリスは、自分の体で、その時の様子を再現して見せた。

 その時の父親の言葉と、自分の気持ちも全部つけて。

「大人しくしとくんだよって言われたけど、そんな事言われなくたって、怖くて声も出ないし、逆らう事なんて出来なかった。だから、ただ言われるままに動いた」

 レイに突き上げられながら、クリスは無表情に告げた。

 そこで、その日の授業は終わった。


 そして、また次の日の授業中に、今度は珍しくクリスの方から話しかけて来た。

「五歳の時ね。僕ははじめて人を殺した。僕の父親だ」

 クリスは三歳から五歳まで、毎日レイプされていたのだと語った。

「そしてね、それを毎日、母が扉の陰からずっと見てた。父を殺した時もなにも言わずにずっと。その後、母から犯されるようになったんだ。父から解放されたのに、なにも変わらなかった」

 いつもは無口なクリスが、気持ちを止められないかのように、話を続ける。

「その時、僕は怖かったんだ。だから、また殺そうと思った。でも失敗した。もう一度やればよかったのかもしれないけど、僕にはその勇気がなかった。母はその怪我が元で、寝たきりになった。それで、毎日襲われる事はなくなったけど、今度はお金を稼がないといけなくなった」

 そこで終業のベルが鳴った。


 次の日も、クリスはレイに授業で攻められていた。

 レイは、乱暴にしているので、恐らく、クリスは相当痛い思いをしている筈だが、その日も全く表情には出さなかった。

「あと少しだから、続きを聞いてもらってもいい?」

「それはかまわねえが、このままでいいのか?」

「うん」

「じゃあ聞いてやるから話せよ」

 クリスはレイに「ありがとう」と言ってから話し始めた。

「その時まだ六歳だったから、子供を雇ってくれるところなんてなくて、体を売って稼ぐしかなかった。僕は店で体を売って働くようになって、毎日何人も客をとった。そして、仕事が終わってお金を貰いに行くと、必ず店長が僕を抱くんだ。僕をののしる言葉をささやきながら。抱かれるのがつらかったんじゃない。その言葉がつらかった」

「なんて言われたんだ?」

 レイは、クリスの耳元に、荒い息を吐きながら聞いた。

 すると、その問いに、クリスが珍しく考え込む。

 それから、しばらくして、クリスは小さな声で答えた。

「言いたくない」

 今まで、どんな体位でやったか、なんの躊躇いもなく体で示していたクリスが言い淀むくらいだから、なにかとても酷い事を言われたのだろうとレイは思った。

「僕は汚れてるんだ」

 その時はじめて、無表情で伝えていたクリスが、つらそうな顔をした。

 クリスは、昔の事を話すうちに、閉じ込めていた感情が少しずつ出て来ているように見えた。

 レイは、感情を閉じ込めねばいられなかったクリスの過去を思う。

「汚いのは、お前を汚そうとした奴らでお前じゃねえよ!」

 レイは、無意識に大きな声を出していた。

 その声の大きさに、レイ自身が驚いた程だった。

 レイは、自分の気持ちを落ち着かせるように、咳払いをひとつした。

「そんな目にあって、死のうと思った事はなかったのかよ」

 クリスは少し考える。

「よく分からない。ただ、その日を生きるのに精一杯で、考えた事もなかった」

「俺は、散々お前に酷い事をしてるのに、なんで俺に話をするんだ? 俺が怖くねえのか?」

「最初は、聞かれたから答えていただけだったけど、誰かに聞いて欲しくなったから先生に話した。それに、先生が僕を拷問するのは授業だからだし、別に先生を怖いと思った事はないよ。されるのは、嫌な事ばかりだけど」

 クリスは、レイがこの仕事をはじめてから、自分の事を怖がらず、普通に接してくれたはじめての相手だった。

「それに、ここには僕の居場所がある。だから、僕は今しあわせなんだ」

 クリスの言葉に、レイはなにも言う事が出来なかった。

 だから、レイは言葉の代わりに、クリスを目茶苦茶に攻めた。

 そうする事で、クリスの痛みが少しでもやわらげばいいと思った。


 次の授業の時、話す事はあるかとレイが聞くと、クリスは首を横に振った。

 しかし、少ししてから、思い出したように言う。

「ひとつだけあった。先生、聞いてくれてありがとう」

 クリスが微かに笑った気がした。

 つられてレイの顔もほころぶ。

『俺にもまだ、こんな感情が残っていたんだな』


 レイは、クリスの気持ちに答えるために、ただ犯す事ばかりを考えて来た。

 そうする事で、つらい過去を一瞬だけでも忘れる事が出来ればいいと思ったからだ。

 しかし、レイはそれは間違っていたのではないかと考えるようになった。

 レイは、クリスに気の利いた言葉をかける事など出来ないが、それでも、なにか与えられるものはないかと考えた。

 それは、今までして来た事となにも変わらないかも知れない。

 しかし、レイは、自分がクリスに与えられるものなど、そのくらいしか思いつかなかった。


「なあクリス。気持ちよくしてやろうか? 性行為も痛くて気持ち悪い事ばかりじゃないって教えてやるよ」

 レイはそう言って、クリスの服を脱がした。

「え?」

 クリスが驚いたような顔をする。

「これからは毎日、これを授業として教えてやるよ。役に立つ事もあるかもしれねえしな」

 レイは自分もシャツを脱ぐと、終業のベルが鳴るまで、クリスが気持ちよくなるようにと優しく抱いた。


 今でもレイは、その時の事を鮮明に覚えている。

 それが、クリスを好きになった時の記憶だからだ。

 レイは、クリスが誰かを本気で好きになる事があるなど、夢にも思わなかった。

 だから、自分を好きにならなくても、誰も好きにならないならそれでいいと思っていた。

 しかし、今、クリスはダグラスの事を心の底から愛している。

 レイは、自分がクリスの恋路を見守れるような性格でない事は、よく分かっていた。

 なのに、何故なぜか後押しする事ばかりしている。

 クリスを応援したい気持ちがない訳ではない。

 けれども、決してそれはレイの本心ではなかった。

『いっそ、この手でクリスを殺してしまいてえ』

 レイは、湧き上がる黒い感情を押し殺すように、一気に酒をあおった。

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