第十五話(前編)

 クリスが仕事をしていると、突然、扉が開き、銃を手にした三人の男が部屋に入って来た。

「手を挙げろ」

 その一人が、背後からクリスに銃を突きつけた。

 クリスは、言われるままに手を挙げる。

「手を挙げたままこちらを向け」

 クリスは、そのまま椅子を半回転させた。

 男達は、目を見合わせうなずきあう。

「間違いなさそうだ」

 男の一人はそう言うと、クリスに薬をがせて昏倒こんとうさせた。


 警備の交替こうたいで男二人がダグラスの部屋につくと、前の当番だった警備員二人が、部屋の前で血を流して倒れていた。

「おい大丈夫か?」

 倒れている警備員にかけ寄るが、出血が酷く、二人はもう息をしていなかった。

「それより中を」

 もう一人の警備員はしゃがんでいる警備員の肩を叩くと、銃を構えて扉を開く。

 しかし、中には誰もいない。

「これは……」

 クリスが脱走するにしても、まさか警備員を殺してまで逃げるとは思えない。

 誰か侵入者がいて、クリスをさらったのは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

 警備員の一人は、大慌てで警備室に連絡を入れる。

「クリスが何者かに連れ拐われたようです。部屋の中には誰もおらず、警備員二人も殺害されています」


 警備室からの知らせを受け、チェスターは慌てて社長の病室を訪れた。

 通信で伝えようかとも考えたが、非常に機密性の高い情報の為、直接伝える事にしたのだ。

「社長。緊急な話があります」

 チェスターは勢いよく病室に駆け込むと、開口一番そう言った。

 事態を察したダグラスは、部屋に誰も入れないように連絡すると、内側から鍵をかけさせた。

「なにがあった」

 ダグラスは、ベッドから上半身を起こす。

「クリスが拐われました」

 チェスターの言葉に、ダグラスは声を荒らげる。

「なんだって!?」

 チェスターは、警備の状況や、防犯カメラの映像など調べた事を一通りダグラスに伝えた。

「現在調査中ですが、犯人はまだ分かっていません。今後なにか要求があれば……」

「要求なんか一生来る訳がないだろ! 相手はクリスを利用するのが目的だ!」

 ダグラスはベッドから起き上がると、点滴を引き抜いた。

犯人究明はんにんきゅうめいを急げ。私も社に戻る」

 今にも、飛び出そうとするダグラスをチェスターが押しとどめる。

「その怪我では無理です。それに引き続き調査を行いますので、なにか進展がありましたらまた報告にうかがいます。それまでここで……」

 ダグラスは、チェスターを一喝いっかつした。

「非常事態なんだぞ。そんな事が言ってられるか!」


 クリスは目隠しをされ、手を縛られて、飛行機に乗せられていた。

「どこに向かってるの?」

 試しに、クリスが話しかけてみるが、相手はなにも語らない。

「答えてくれないの?」

 しかし、クリスには、おおよその見当はついていた。

 拉致らちされる前に見た装備からして、男達はD国の人間で間違いない。

 それなら、向かっている先は、D国という可能性が高い。

 クリスは、探りを入れようとも考えたが、自分の手の内をどこまで見せていいか分からなかった。

 しかし、クリスには、一刻いっこくも早く会社に戻らなければならない事情がある。

『僕が拉致されたのが知れたら、H国がどう動いて来るか分からない』


 D国

 元首げんしゅは第二十六代大統領

 ベネディクト・ティアーズ

 人口約八百万人

 面積約九千平方キロメートル

 周囲を海に囲まれた島国

 ここ数年で力をつけてきた近隣のI国に脅威を感じている


「着いたぞ。降りろ」


 クリスは、エレベーターに乗せられ、どこかの部屋に連れて行かれた。

 部屋には、複数人の気配がある。

「もういい。拘束こうそくを解け」

 それを合図に、クリスは、やっと拘束を解かれた。

 目隠しを外され、目を開けると、護衛に囲まれた男がデスクに座っていた。

 男はデスクから立ち上がると、馴れ馴れしい態度でクリスに近付いて来る。

遠路遥々えんろはるばるようこそ。ええと、名前は……」

「クリスだよ。ベネディクト・ティアーズ大統領」

 そう言って、クリスは縛られていた手首をさすった。

「私の事を知っているとは光栄ですな。私の部下に非礼はありませんでしたか?」

 満面の笑みで大きく手を広げた。

「そうだね。手厚いもてなしをありがとう。でも、残念ながら、僕はマゾヒストじゃないんだ」

 クリスの答えにベネディクトは声を出して笑った。

「いやあ、実に楽しい。小さなお客人はユーモアを心得ているようだ」

 ベネディクトは、握手を求めるように、自分の右手を差し出す。

 しかし、クリスは、その手を思い切り払った。

「これは随分ずいぶんと気の強い子のようですね」

 ベネディクトは、払われた自分の右手をさする。

「握手の習慣がないもので」

 そう言って、クリスはベネディクトをにらみつけた。

 ベネディクトは、クリスから目をらすと、肩をすくめて見せる。

「長旅でお疲れの事だろうし、今日はこちらが用意した部屋でくつろぐといいでしょう。裸足というのも不便でしょうから衣服もこちらで用意しましょう。ゆっくりして行ってください」

 ベネディクトは、男に目配めくばせした。

「連れて行け」


 クリスは、大きな部屋に通された。

 手前にリビング、奥に寝室の計二部屋がある。

 クリスは、これほど立派な部屋に通されると思わなかったので少し驚いた。

 ベネディクトはクリスと交渉する気でいるのだろうが、クリスには悠長ゆうちょうに構えているひまはない。

「起床時間は何時だろう?」

 クリスが聞いてみるが、男は答える気はないらしい。

「今日はこちらでお休みください。なにかあればそちらの端末からご連絡ください」

 男は、慇懃いんぎんに告げて部屋から出て行くと、外から鍵をかけた。


 D国第二十六代大統領

 ベネディクト・ティアーズ

 五十二歳

 趣味は音楽鑑賞

 女好きで女性を何人か囲っている

 性格は臆病おくびょうで自分の手を汚す事はしない


『体では落とせない。さて、どうやって攻略するか……』


 ダグラスは仕度を整えると、直接会社に向かった。

 会社に着くと、既に会議の席が設けられており、今までの経緯や証拠などをまとめた資料が置かれていた。

「報告を頼む」

 ダグラスは、資料を見ながら言った。

 チェスターは、資料にまだ書かれていない事をダグラスに告げる。

「調べたところ、監視カメラに作業員の格好をした三人の男が写っていました。警備員は、侵入者は許可証を持っており、怪しい動きがなかったので気付かなかったと言っています。その映像がこちらです」

 そこには、三人の男が真っ直ぐダグラスの寝室に向かっている様子が映し出されていた。

「この後、警備員二人が、のどをかき切られて殺されていますが、その映像は写っていませんでした。社長の部屋には監視カメラがついていないので、拉致された時の状況は分かっていません。この後、監視カメラには布を被せた台車を押している映像が写っていました。恐らく、これにクリスを乗せて運び出したと思われます」

 その報告に、ダグラスは怪訝けげんそうに眉をひそめる。

「クリスは子供とはいえ一五〇センチはある。なぜそんな目立つ物に気付かなかったんだ?」

「その時間は機材の移設をする予定になっていたそうです」

 ダグラスは、考えるように腕を組んだ。

 そして、副社長を呼んで耳元で告げる。

「恐らく内通者がいる。多分幹部の誰かだ。引き続き調べてくれ。内通者を見つけたら生きて捕まえるように。情報を吐かせる。今の状態ではなにも分かっていないのと同じだ」

 しかし、この状況でも、クリスなら簡単に解決出来るはずだ。

『こんな時、クリスならどうする?』

 ダグラスは、手掛かりを見つける手段がないか考えた。


 クリスは、ベッドの上に寝転がっていた。

 ベネディクトは、まだ要件を言って来ない。

 では、ベネディクトの目的は何かと考える。

 それは、間違いなくクリスを利用する為だ。

 そして、何をさせるつもりかと言う事も、クリスには分かっている。

 要求は最近力をつけてきたI国の国力を下げる事だ。

 内乱を勃発ぼっぱつさせるか、近隣の国と戦争をさせるつもりに違いない。

 流石さすがに、クリスもその手助けは出来ないし、例え協力したとしても、ベネディクトが大人しく解放する筈がない。

『なにか突破口とっぱこうが欲しい』


 翌日、クリスはフォーマルに着替えさせられ、食事の席に連れて行かれた。

「やあ、クリス。昨日はよく眠れましたか?」

 クリスは給仕きゅうじに椅子を引かれて席に着く。

「あいにく枕が変わると眠れなくてね」

「ああ。申し訳ない。お連れする時に、枕も持って来ければ良かったですね」

「お気遣いありがとう。でも、すぐに帰る気だから問題ないよ」

「まあ。そう言わずゆっくりして行ってださいよ」

 そうして、二人が話していると。テーブルに前菜ぜんさいが運ばれて来た。

 しかし、ベネディクトは一向に核心かくしんに触れる話をして来ない。

「僕はこんな茶番に付き合っているほど暇じゃないんだ。早く要件を教えてもらえないかな」

 そう言うと、クリスはテーブルを蹴った。

「行儀が悪いですよ。そんなに慌てなくても、ゆっくり食事を味わってからでもいいでしょう」

 ベネディクトにうながされ、クリスは仕方なく食器を手に取ると、前菜を口に運んだ。

「随分とやんちゃなようですが、食事マナーはご存知のようですね」

「マナーを守る気はなかったんだけど、社長に恥をかかせる訳にはいかないからね」

 そう言いながら、クリスは、食事を運んでくるウェイトレスを気にするようにチラリと見る。

「女性は苦手なんで退出させて貰えないかな」

 クリスの言葉に、ベネディクトは驚いたように目を見開く。

「ああ、これは失礼。クリスは男性がお好きでしたね」

 ベネディクトは、嫌味っぽくそう言った。

「君は下がれ。代わりに男性の給仕をよこしてくれ」

 給仕が変わると、すぐに次の料理が用意された。

「社長の愛人だそうじゃないですか」

 クリスは、ベネディクトの質問を無視して、食事に手をつける。

「あいにく私には、そういう趣味がないので分かりませんが、君はまあ見た目はいいですし、観賞用なら悪くはないかもしれませんね」

 クリスは、ベネディクトを睨みつける。

「あなたは自分の好みを聞かせる為に、わざわざ僕をここに連れて来た訳じゃないんだろ? 早く本題に入ってよ」

 ベネディクトは、ナプキンで口を拭いた。

「君ならある程度は想像出来ているんじゃないですか?」

 クリスも口を拭く。

「I国に内乱を起こさせる」

 ベネディクトは、大きな音を立てて拍手をした。

「正解ですよ。素晴らしい」

 そう言って、ベネディクトは椅子から立ち上がった。

「大統領もテーブルマナーが出来ていないみたいだけど?」

 即座にクリスが指摘すると、ベネディクトは大袈裟おおげさな身振りでひたいに手を当ててみせた。

「ああ、これは失礼。君を招いた事が正解だったと確信して、喜びのあまり立ち上がってしまいました」

「はじめに言っておくけど、なにをされても僕は絶対に手伝わないよ」

 ベネディクトは残念そうに首を横に振る。

「私は手荒な真似はしたくないんですよ。素直に言う事を聞いて貰えないでしょうか」

 それに対し、クリスは、無言でベネディクトを睨みつける。

 ベネディクトは、クリスの態度に、残念そうに肩をすくめた。

「とりあえず食事が終わってから、続きを話しましょうか」


 食事が終わると、クリスは両手を縛られ、軍事基地にある捕虜収容所に連れて行かれた。

 そこの地下一階が、拷問部屋になっているのだ。

 そして、クリスは牢の一室に入れられた。

「痛い思いをしないうちに、言う事を聞いてくれませんか?」

 ベネディクトは、つらそうな顔を作ってクリスを見た。

「答えは変わらないよ。なにをしても無駄だ」

 クリスは、真っ直ぐにベネディクトを見て答える。

「仕方ありませんね」

 そう言うと、ベネディクトは拷問官に指で合図した。

「殺さないようにやれ」

かしこまりました」

 そう言うと、拷問官はクリスを何回か蹴飛けとばした。

 クリスは、受身をとってそれに耐える。

「言う事を聞く気になりましたか?」

 ベネディクトは、クリスの前髪を掴んで顔を上げさせた。

「こんな蚊に刺された程度の拷問じゃあまったく効かないよ」

 クリスは、挑発するように笑う。

 ベネディクトは、クリスを忌々しそうに睨みつけた。

「一晩考えみるといいでしょう」

 ベネディクトは、拷問官に告げる。

「頭は怪我をさせるな。役に立たなくなるとまずい」

 ベネディクトは、そう言うと部屋を出ていった。


 その頃、代理業社では幹部会議が開かれていた。

 ダグラスは、内通者はH国事件の時に会議に出ていた幹部だと確信していた。

 この会議を開いた目的は、内通者の逃亡を阻止そしする為だ。

 ダグラスは、幹部たちに意見を求めてはいるが、現状を打開する案が出るとは微塵みじんも思っていなかった。

 ただ内通者が誰か分かるまで、会議を引き伸ばせばいいだけだ。


 会議が開かれてから八時間くらい経った頃、会議室にチェスターが入って来た。

 チェスターはダグラスに耳打ちする。

「社長、内通者が分かりました……」

 ダグラスは報告を聞くと、一人の男に鋭い視線を向けた。

「トーマス・スペンサー部長、情報を売ったのは君だな」

「わ、私は、私じゃありません。なんの根拠があってそんな……」

 トーマスは、椅子から転げ落ちそうなほど驚いて、慌てて否定した。

 チェスターは無言で、トーマスの端末をテーブルに置く。

「そ、それは……」

「スペンサー部長の端末に外部との通信履歴が残っていました。通信先を調べたところ、架空の企業である事が判明しました。それに、データを消去していましたが、端末に監視カメラに写っていたクリスの写真と、社の見取り図が残っていたそうです。……データは削除しても復活出来るんですよ? 部長」

 トーマスは真っ青な顔をして、椅子から転げ落ちた。

「違う! 私は、本当に、な、何も知らない。ほ、本当だ。きっと、そう。められた。誰かに、嵌められたに違いない」

「取り押さえろ!」

 ダグラスに命じられ、警備員がトーマスを拘束する。

「長い間この仕事をやっていると、相手が嘘を言っているかそうでないか一目で分かるようになる」

 ダグラスは、ふところから銃を取り出し、トーマスに向けた。

「今すぐ喋れば苦しませずに殺してやろう。喋らなければ痛い思いをして貰う事になる」

「待ってくれ。こ、殺さないでくれ。本当に何も知らないんだ!」

 ダグラスは、トーマスを睨みつけ、低い声で告げた。

「拷問官に引き渡せ。楽に死ねると思うなよ」

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