第八話

 ダグラスは、朝までクリスの部屋で過ごした。

 そして、昨日のうちに、クリスを医務室に連れて行く手筈てはずを整えていた。

「朝だぞ。起きられるか?」

 ダグラスは、隣で眠るクリスの体を優しく揺らす。

「起きてる」

 クリスは、ダグラスの胸に顔を埋めたまま答えた。

「医務室には連絡して、VIPビップルームを用意させておいた。後で迎えが来るから、準備を済ませてここで待っているんだ」

 ダグラスは、クリスから体を離して起き上がる。

 そして、不安そうな顔をしているクリスの頭をなでた。

「手があいたらのぞきに行く。心配するな」


 ダグラスは、そのまま仕事に行こうとしたが、自分の着ているスーツを見て考える。

 スーツのままクリスを抱いたので、ヨレヨレになっており、この格好で仕事をする訳にはいかない。

 仕方なく、ダグラスは着替えをする為、一旦、自室に戻る事にした。

 クリスの部屋を出ると、外にいた警備員が、なにか言いたげな顔でダグラスを見て来る。

「どうした? なにか問題でもあるのか?」

 ダグラスの問いかけに、警備員は慌てて視線をそらす。

「いえ。特になにもありません」

「ならいい」


 ダグラスは、自室に帰ると、仕度をしながら考える。

 先程の警備員は、昨日の事件の一部始終を見て知っている。

 一晩中、部屋にいて、気崩れた格好で出て来たら、そういう反応になるのももっともだった。

 それに、実際その通りなのだから、ダグラスはえて否定しようとも思わないし、するつもりもない。

 しかし、ダグラスは心中穏やかではなかった。

『どうしてこうなったのか』

 クリスはまだ子供であり、おまけに自分の部下だ。

 手を出していい相手ではない。

 こうなってしまった事について、理由を上げればキリがないが、ダグラスは自分の取った行動が未だに謎であった。

 抱く以前と今とでも、変わらずクリスは恋愛対象外だし、性的対象として見る事も出来ない。

 それに、ダグラスは、クリスが自分の事をどう思っているのかも分からないのだ。

 ダグラスは、クリスについて、どう対処したらいいか考えあぐねる。

 しかし、自分のした事について、責任をとっていかなければならないのは確かだった。

 ダグラスは、そう考えると、背広にそでを通し自室を後にした。


 クリスは、医務室のVIPルームのベッドで横になり、点滴を受けていた。

 VIPルームは、安全の為に関係者以外面会謝絶になっている。

 おまけに、部屋の外には警備員がいて、厳重警備がなされていた。

 クリスは、そんな部屋に一人でいても、なにもする事がない。

 暇つぶしに、点滴の落ちる数でも数えようと、じっと点滴バッグを見る。

 この時間でA滴落ちたら残りがこの量になったから、残量から見るに後B滴落ちればこのバッグが空になる計算になる。

 故に、点滴バッグが空になる時間は後……。


 そうやって、クリスが暇つぶしをしていると、警備員から連絡が入った。

『すみません』

「はい」

『レイ・ウィルボーンという男が訪ねて来ていますが、どういたしましょうか』

「入れて」


「よう。久しぶりだな」

 レイはそう言って、ベッドの端に腰掛けた。

「なんの用?」

 クリスは点滴を数えながら聞く。

「久しぶりに、可愛い生徒に会えそうだったから来てやったんだ」

 レイはクリスの髪をなでた。

「先生。僕は怪我人だからなにも出来ないよ」

 クリスは、レイの事を先生と呼ぶ。

 それは、レイが拷問の授業の担当教師だからだ。

「二人きりでしたい大事な話があるんだがいいか?」

「いいよ」

 クリスは、人払いをした。


「社長と楽しい事をしたって聞いたぜ? あの堅物をどうやって落としたんだ?」

 レイの詮索せんさくに、クリスは答えなかった。

「まさか事実とは驚きだ」

 レイは、クリスの沈黙を肯定と受け止めた。

「そんな話なら、出て行って貰えるかな?」

「つれなねえなあ。だが、これも理由のひとつだけどよ、本当はもっと聞きてえ事があって来たんだ」

 そこで、レイは声のトーンを落とす。

「なにがあった?」

 クリスは、ピクリと反応したがなにも答えない。

「一昨日、お前は外出をした。昨日は、社長がお前の部屋に来た。しばらくしてから、社長はすごい剣幕で部屋を出ると、社員の一人を捕まえて自殺させた。その後お前の部屋で一泊した。そして今日、酷い怪我でお前が医務室に運ばれて来た。これが、俺の知ってる全てだ。で、俺の想像だが……」


 一昨日は、エリオットに誘われて二人で外出した。

 そこで、なにかトラブルがあった。

 恐らく、医務室に運ばれた様子などを元に考えると、そのトラブルでクリスは強姦ごうかんされたのだろう。

 帰ると二人は、ダグラスの執務室に呼ばれた。

 だが、クリスはそこではなにも話さずに誤魔化ごまかした。

 エリオットをかばうためだ。

 しかし、エリオットとの間になにかがあって、かばう気持ちがなくなった。

 それで昨日、全てを話す為にダグラスを呼び出した。

 そこで、クリスはダグラスに外出先でのトラブルについて話した。

 ダグラスはエリオットに、クリスから聞いた事を話して問い詰めた。

 エリオットは、責任を取って自殺した。

 その後、クリスがダグラスを誘って肉体関係になった。

 そして今日、怪我を負ったクリスが医務室に運ばれて来た。


「いい線行ってるだろう?」

 レイがそう言ってニヤリと笑う。

「なんで……」

 クリスはレイを見つめた。

「だがな。おかしいんだよ。犯人を知っているなら、社長が動かないはずがねえ。だが今のところなんの動きもねえんだ」

 レイが鋭い目つきでささやく。

「言えよ。俺が殺して来てやる」

 それを聞いて、クリスはレイから顔をそむけた。

「言いたくない」

 レイはクリスの顎を取って、顔を自分の方に向けさせる。

「いつからそんな殊勝になった? 今更いまさら恥ずかしがる事なんざ、なにもねえだろ」

 クリスは、レイの手を払おうとするが、逆に掴まれる。

「なにか隠し事か?」

 クリスは、レイの腕を無理やり振りほどいた。

「言わないといけないの?」

 レイは、ため息をつく。

「別にいじめたい訳じゃねえよ。ただ、隠し事してるのはつらいんじゃねえかと思ってな」


 二人の関係を言い表すのは難しい。

 クリスは拷問の授業で、教師のレイに散々いじめられている。

 本来ならば、いい感情を持つはずがないのに、クリスはレイにだけは、誰にも言えないような事を話せた。

 きっかけは、レイが授業の合間に、クリスに話しかけるようになった事だろう。

 はじめは、どんなに話しかけられても、クリスは事務的に受け答えをするだけだった。

 しかし、レイがしつこく話しかける事で、クリスは少しずつ打ち解けるようになっていった。

 それに、レイはクリスの事を色んな意味で知っている。

 クリスは、今更、レイに隠す必要などない。


「僕が誘ったんだ……」

 クリスは、相手が誰かは言わなかったが、ダグラスに話せなかった事をレイに話した。

「だから、これはレイプなんかじゃないんだ。僕がしたかったから……」

「そんな訳あるか! 誘ったとか誘わなかったじゃねえんだよ! そうしなきゃ殺されてたんだ! これは立派な暴力だ! 相手のした事は許される事じゃねえ!」

 激昂げきこうのあまりレイは、クリスに覆い被さる形になっていた。

「先生、痛い」

 クリスに言われて、レイは慌ててベッドから体を起こした。

「すまん。……それでも、言う気はねえのか?」

 クリスはうなずいた。


 例えそれがどうであれ、クリスは相手が誰か言わない方がいいと知っていた。

 クリスには戸籍というものがない。

 島には、あったのかも知れないが、あったところで死亡扱いだ。

 戸籍を作れない訳ではないが、会社側はそうまでして作る必要がないと判断した。

 その上、クリスは会社の最重要機密だ。

 だから、警察に被害届を出す訳にはいかない。

 相手が個人ならば、会社側が報復措置ほうふくそちを取る事も出来るかも知れない。

 しかし、相手は個人ではなく組織だ。

 代理業社は動けないだろうし、言ったところで迷惑をかけるのは目に見えている。

 

「他人の事を気にし過ぎるのは、お前の悪い癖だ」

 これ以上、クリスを問い詰めても何も言わないだろうと思い、レイは追求するのをやめた。


「話は変わるが、社長の事をどう思ってるんだ?」

 レイに聞かれて、クリスがまた黙り込む。

「今日帰ったら、多分もう来れねえぞ。お前の周りは警備が厳しいからな」

 クリスは何も言わない。

「惚れたか?」

 言われて、クリスは考えてみた。

「分からない」

 レイは、クリスの頬に優しく手を当てる。

「じゃあ、社長に抱かれて何を思ったか言ってみろよ」

 クリスは、慎重に言葉を選ぶ。

「社長は優しかったんだ。今まで会った誰よりも」

 レイは、クリスの頬を愛おしそうに、優しくなでる。

「教えてやろうか? その感情をな、恋っていうんだ。あの社長なら、やり逃げなんて事はしねえだろうから大丈夫だ。ちゃんと責任を取ってくれるだろうから心配すんな。なにかつらい事があったら、今度からは社長に話を聞いてもらうんだぞ」

 レイは立ち上がり、クリスに背を向ける。

 そして、右手を上げて挨拶をすると、医務室を後にした。


 ダグラスは、仕事の休憩時間に医務室を訪れた。

 ちょうど、点滴の交換に来ていた看護師がいたが、用が済むと一礼して部屋を出て行った。

「具合はどうだ? 少ししか時間がないが、顔を見に来た」

 クリスは体を起こし、ダグラスに顔を向ける。

「大丈夫、元気だよ。いつになったら部屋に帰れるんだろう」

 ダグラスは、優しく頭を叩いた。

「いつまでも、ここにいるのは不用心だから、部屋が決まればすぐにでも移動させたい。しかしクリスの部屋をどうするか、まだ決めていないんだ。あれだけ騒ぎになったんだ。あそこにはもういられない。後、警備システムの強化もしないといけないしな。問題は山積みだ」

 クリスは俯いてしばらく考えてから、勇気を出して言ってみた。

「社長の部屋がいい」

 予期せぬ言葉に、ダグラスは一瞬驚いた。

 だが、安全面などを考えると、それが一番いいようにも思えた。

「じゃあ、準備が整い次第、私の部屋に移れるよう荷物などを移動させておこう」

 それを聞いてクリスはほっとして顔を上げた。

「ありがとう。これからも、役に立てるよう頑張るから」

 その時、ダグラスのポケットでアラームが鳴った。

「すまない。次の仕事の時間だ。また来る」

 そう言うと、ダグラスは急いで医務室を出て行った。

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