閉じられた自由の中で

汐なぎ(うしおなぎ)

第一話

 C国は大陸の海沿いにある小さな国で、領土には小さな島があった。

 しかし、この島は、本国のように綺麗で整備された街並みとはほど遠く、薄汚れて雑然とした街並みの貧しくてみすぼらしい所だった。

 その上、この島では職にあぶれる者も多く、路地裏は浮浪者たちであふれている。

 住民は働き口を増やす為に、他国の軍事中継地として場所を提供するようになった。

 そして、今では中立地帯として、近隣にあるA国とB国の軍用機の発着場まで建設されるような有様であった。

 C国は失業者なしをうたっており、国民には島の実情を隠してはいるが、他国の軍事拠点まであれば、諸外国に知れ渡らない方がおかしい。

 このままでは、島の実情が国民に知られるのも時間の問題と思われた。

 もはや、C国にとって、島の存在自体が邪魔でしかない。


 そこで、C国は厄介者やっかいものの島を葬り去る為に、島の爆破を代理業社に依頼した。


 そして、爆破当日。

 その日も住民たちは、何も知らずに暮らしていた。


 島のさびれた裏通りを一人の少年が歩いていた。

 少年は酷く華奢な体格をしていた。

 大きめのTシャツにダボダボのズボンを身につけ、小脇には小さな紙袋を抱えている。

 長めの前髪が顔を隠していて見えないが、透けるように白い肌は見て取れた。

 髪はつややかな黒色で、それが肌の白さをいっそう引き立てていた。


 早朝の冷たい風が、少年のほほを叩く。

 少年は、仕事が終わって帰路についていたが、その足取りは重かった。

 仕事といっても、まだ幼い少年に出来る事など限られている。

 そもそも、働き口のない島なのだ。

 あえて幼い少年を雇おうという物好きな会社などあるはずもない。

 しかし、少年は寝たきりの母親と二人暮らしだったので、働かなくては生活する事が出来ない。

 だから、少年は体を売って稼いでいた。

 少年は、それ以外に金銭を得るすべを知らなかったのだ。


 少年は傾きかけたボロボロの建物の扉を開けた。

「クリス?」

 家の奥から消え入るような声がした。

 少年――クリスは呼び掛けには答えず、買い物袋から食材を取り出し料理を作り始める。

「そんな事はいいから、早くこっちに来て」

 母親は布団の中から体を起こし、ねばっこい声でクリスを呼ぶ。

 クリスはその呼びかけには応えず、布団のかたわらに雑炊を置いた。

「食事」

 それだけ言うと、クリスは逃げるように部屋の隅に行った。

「クリス。私の可愛いクリス。どうして近くに来てくれないの?」

 母親は追いかけるように、上半身だけでズルズルとクリスの方ににじり寄る。

 クリスは逃げるように家から飛び出した。


 母親からの性的虐待は今に始まった事ではない。

 何年か前に父親が死んでから、母親はクリスの体を求めるようになった。

 今は寝たきりなので、まだ逃げられる。

 しかし、そうなる前は毎日のように母親に性的虐待を受けていた。

 家に帰らなければいいだけの話だ。

 しかし、何故かクリスは、家に帰らずにはいられなかった。


 クリスは、家を飛び出したはいいが、行く宛てなどない。

 おまけに雨まで降って来た。

 クリスが、どこか雨をしのげる場所はないかと探していると、通りかかった二人組に絡まれた。

「よう。雨の中どこ行くんだ?」

 クリスは声をかけられるが、そのまま無視して通り過ぎようとすると、男の一人に肩を掴まれて強引に引き止められた。

「無視してんじゃねえよ」

 一人に後ろから羽交はがい締めにされ、一人に前髪をつかまれて顔をあげさせられる。

 前髪にしたからのぞいた容貌ようぼうは、驚くほど整っていて、前にいた男が口笛を吹く。

「ビンゴ! 俺の言った通りだろう?」

 男の一人が、酒場で黒髪をした綺麗な子供がいると言う話を聞いていたので、試しにクリスを捕まえてみたという寸法だったのだ。

「言った通りって見えねえよ」

 後ろにいた男は体を入れ替えて、クリスの顔を見る。

「上玉だな」

 男の一人は、舌なめずりをしながら言うと、クリスを捕まえたまま辺りを見回す。

「ここじゃあ雨に濡れちまう。どっかに連れてくか?」

「あっちの倉庫でいいんじゃねえか?」

 クリスは無抵抗のまま、絶望も希望もなにも映さない瞳で、ただ空を見ていた。


 クリスは男たちに乱暴されて放置された後、そのまま気怠けだるそうに寝転がっていた。

 起きるのも面倒だし、そもそも行く所など何処にもない。

 それでも、破れて汚れてしまった服は着替えなければと、クリスはきしむ体を起こして立ち上がった。

 すると、その時、遠くの方で物音がする。

 何があったのかと目をこらすと、薄暗い倉庫に何人かの人影が見えた。

 クリスは、さっきの二人がまだいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 人影は聞き覚えのない男の声で、爆弾がどうとか、設置場所がどうとかと言っている。

 しばらくすると、三人の人影のうちの一人がクリスに気付き、倉庫の奥から呼びかけた。

「誰だ!」

 声と同時に、クリスはライトに照らされ、眩しくて、とっさに目の前に手をかざす。


 男たちは代理業社の社員だ。

 代理業社は、表向きは合法企業だが、裏では今回のような怪しい仕事もあつかっている。

 その為、仕事内容は秘密厳守。

 当然バレる訳にはいかない。


 一人がライトを向けると、まだ小さくて華奢きゃしゃな人影が照らし出された。

「子供?」

「撃つしかないか……」

「この島はどうせ消し飛ぶんだ。このまま見過ごしてもいいんじゃないか?」

 三人の男たちは、なにやら物騒な話をしている。

「どうせみんな死ぬとは分かっていても、目の前に子供がいるのを置いてはいけません」

「そういうのはな、偽善ぎぜんっていうんだよ」

「まだ設置しなきゃいけない爆弾が残っている。やりたくはないが、やっぱり殺しておかないといけないだろうな」

 男たちの意見はまとまらない。

 それでも、このまま放っておく訳にもいかず、ライトを手にクリスの方に近付く。

 そして、一定の距離まで近付いた時、一人の男が顔をしかめた。


 左頬の殴られた痕、破れた衣服。

 なにがあったのかは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


「連れて帰りましょう」

 メガネの男が言った。

「邪魔にしかならない。無理だ」

 一番ガタイのいい男が言った。

「でも、さすがに殺せない」

 一番背の低い男が言った。


 意見は割れたが、メガネの男が他の意見を押し切って、クリスを連れて帰る事になった。


 三人と一人が島から脱出すると、しばらくして大規模な爆発が起こった。

 そして、C国の望み通り、島は跡形もなく消し飛んだ。

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