第9話・旅③
勉強に来たと改札係に申し出て電車に乗ろうとしたところ、車掌に足を止められてしまった。
無料で電車に乗りながら遊興に耽っていた後ろめたさに、美春も千秋も、気丈な夏子も捕まった猫のように肩をすくめた。
「駅と停留所を覚えに来たそうじゃのう」
「そう……ですが……」
「ほんじゃ、
美春は突然の指名に狼狽えながら、記憶を振り出し頭を絞り、ひとつひとつ丁寧に駅名を答えていった。
「よし、よう言えたな」
宮島に辿り着けてホッと安堵する三人に、車掌は意地の悪いことを間髪入れずに言ってきた。
「そんじゃ、逆から言うてみい」
美春は、呼吸も時間も止まってしまうような気がした。必死に組み上げたものを鏡に写して読み上げるなど、そう簡単なことではない。
夏子は憤慨しそうになるが、これは仕事で車掌は先輩なのだから、口惜しそうに唇を噛むだけである。代わりに答えたい千秋だが、問われているのは美春なので、何も出来ずにやきもきしているだけである。
すると車掌が、高らかに笑いだした。
「帰りもしっかり勉強せい、西広島に着いたら聞いたるわ。答えられんかったら……わかっとるな?」
ということで、三人はお喋りに興じることなく駅名を唱え続けた。意地悪な車掌だから、どんな答えを要求されるかわからない。広島まで行け、本社まで帰れと問われても困らないよう、必死になって停留所名も予習した。
そして西広島駅。
車掌が美春の前に立ち塞がった。夏子も千秋も寄り添って、無言の声援を送っている。
求められたのは、約束したとおり電車宮島から西広島までの駅名だ。美春は誤らぬよう飛ばさぬよう、ひとつひとつ慎重に答えていった。
「よう出来たな。そんなら師匠も安心じゃろう」
「……師匠、ですか?」
「君たちの噂を聞いた師匠に、頼まれたんじゃ。覚えた駅名を逆から答えさせろ、言うてな。俺の師匠は、冬先生じゃ」
こんなところにまで監視の目が届いているのかと、三人は絶句してしまった。その様子に車掌は声を上ずらせて取り繕った。
「俺も見習中、師匠にやられたんじゃ。仕事の鬼じゃけぇ、厳しいこと言うが面倒見はええ。それに間違えたからって、何もする気はないわい」
意地悪は冬先生の差し金で、世話焼きの裏返しだとわかり、三人はホッとした顔を見合わせた。
その甲斐あって、広島までの道のりは停留所名がスルスルと思い浮かんだ。残った時間はお喋りを楽しもう。そう決め込んだ、そのときだ。
「相生橋で降りたいんじゃけど、ええかのぅ」
と、千秋がおずおずと申し出た。夏子も美春も頭の中では広島駅前に着いたので、断るような理由はない。不思議そうな顔をしながら、黙って頷くだけである。
向かったのは、英霊を祀る広島護国神社。車掌となれば、乗客に敬礼を促さなければならない。
「一度お参りすれば、忘れんでしょう? うちも憲兵さんに怒られなくないけぇ」
それから相生通りを東、広島駅方向へと歩く。はじめに千秋が説明した広島一、いや中国地方一と言っていい栄華を肌で感じる。
「北側は会社が並んどって、反対の南側は新天地いう繁華街じゃ。朝夕は北側、昼間と夜は南側が賑わうんよ」
彼女たちが歩いたのは、もちろん南側である。立ち並ぶ劇場や映画館、歌舞伎座などに美春は目を奪われて、ポカンと口を開けている。
「美春ちゃん、上ばっかり見とると危ないで?」
「……映画館なんぞ、入ったことないけぇ……。『歌ふ狸御殿』って、どんな映画なんじゃ?」
「見てしまうと遅うなるけぇ、また今度にしようね?」
今度は、夏子が興奮気味に声を上げた。劇場の予告に、目が釘付けになっている。
「宝塚歌劇団が来るん!?」
「さすが、夏子ちゃんは大阪の子じゃね。お気に入りの役者さんは、おるん?」
「うちは……見たことないんよ。大阪でも、宝塚から遠いとこにおったんや」
「それじゃあ、みんなで見ようや! お仕事たくさんして、お給金たくさん貰えば入れるわ!」
美春と夏子の足が、ピタリと止まった。ガラス張りの瀟洒な写真館から、一歩も動けなくなっている。
「……うち、写真撮ったことないわ」
「……うちも。家に写真なんて一枚もないで」
「たくさん働いて、みんなで撮ろうね? もう、やりたいことばっかりじゃ」
「遊んどる場合じゃないわ、今日は勉強に来たんじゃ」
お喋りする気で満々の美春が言うものだから、ふたりはプッと吹き出してしまった。
「な、何ね!? ふたりとも笑って!」
「美春ちゃんが一番遊んどったけえ、可笑しくて可笑しくて……」
「みんな遊んどったわ、三人まとめて同罪や」
八丁堀停留所から
「そうか、そいつは
また冬先生の差し金で意地悪なことをされるのではと、停留所名をブツブツと唱え続けた。
そして、御幸橋停留所に着いた際。
「電鉄社員は、電車は無料じゃ。つまり君たちもタダで乗れる。教えたろうと思ったが『タダ乗りのために、必死になった方がええ』と、冬先生に口止めされとったんだわ。また来週も乗ってくれや!」
最初から最後まで、冬先生の
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