ヘルメスとヰカロス
「おやおや、今日は珍しいお客さんときたもんだ」
川辺に聴こえた音に振り返り、蜂飼いがそう呟きます。
星屑たちの転がる川は、まるでマラカイトが敷き詰められたかのような燐光を眩く放ち、誰かの訪れを告げているかのようでした。
そこにはまばゆい光とは対照的な、一羽のハゲワシが佇んでおります。
「こんなところに迷いこむなんて、一体何があったんだい?」
蜂飼いがそう話しかけると、ハゲワシはわっと泣き出してしまいました。
ぶぅうん、と同じく羽を持つ蜂たちは物珍しそうのハゲワシの周りを巡っては観察を始めたようです。
「さあさあ、ひとつ落ち着きよ。少しだけ心が穏やかになるよ」
蜂飼いはそう云って、ハゲワシに小さな青と緑がまだらに混じったような艶々と光る飴をひとつ与えました。
「ふう、ふう。取り乱してごめんなさい。けれど、わたしは自身がどうにも許せないでいたのです」
「許せない、とはどういったことなんだい?」
「はい。わたしたちハゲワシは、動物の死肉を食べます。もちろん、食べるだけで殺しはしません。しかし、飛ぶ姿がまるで死をじっと待っているようだなんて云われもしますし、やたらめったら他の生き物たちには理解されず忌み嫌われることも多いのです」
「ふむ、それはなんだか悔しいことのようでもあるね」
「いえ、それが、わたしが自身を許せないのはまた別のところに理由があるのです」
はたはた、はらりとハゲワシが泪をこぼすと、川底の燐光がいっそう煌めきを増しました。
「わたしにはこころを寄せる大事な友がおりました。それは一羽の孔雀です。わたしと違い、たいそう美しくて、かしこく、誰もわけへだてなく接する素敵な鳥でした。わたしは、このように醜く、嫌われ者のハゲワシです。ですが、それすらも気にならなくなるほどに、友はわたしをあいしてくれていたのです」
けれど——。そうハゲワシは言葉をのみました。
小さな嗚咽の中で、飴の最後の欠片がばりりと砕けた音がします。
「わたしは醜怪な己の習性をこれほどまでに憎んだことはありません」
曰く——。孔雀は死んでしまったのだそうです。
こんな自身と一緒に飛ぼうと云ってくれた孔雀、けれども孔雀の美しい翼ではハゲワシのように高く遠くへ飛ぶことは叶いませんでした。
そして死してなお、友である孔雀はそれはそれは美しく、そして多くのものに愛されておりました。皆々が孔雀の死を悼み、惜しんでおったのです。
「あゝなんと美しいのでしょう。優しく気高いのでしょうか。けれどもわたしはそれすらも許せませんでした、死してなお皆々の目を奪うべくして飾られた友の美しさを……そして、わたしはその友の死肉を奪ってでも食べてしまいたいと思ってしまったのです」
川底の燐光が、いっそう強く揺れました。もしかすると、ハゲワシがわっと自身の大きな翼で、その顔を覆ってしまった揺らぎかもしれません。
「あんなに、こんなに……いとおしいのに。わたしは友の死肉をむさぼりたい……そんなあさましい、己の習性にも欲にも抗えない自身が許せず、殺してしまいたいほど憎いのです」
「ほんとうに、そうだろうか……?」
蜂飼いは優しくハゲワシの身体を撫でました。ふと顔をもたげると——どうでしょうか
「孔雀は、自由な翼に憧れた。太陽でありながら、太陽に近づくと灼け溶けてしまう翼をもつ——そんなヘルメスの鳥であったのだと、ぼくは思う」
「そんな、だって。だってわたしでは」
「ごらん、ハゲワシを想う孔雀の魂の光を。飛べなかった星屑のひとつとして、それでもなおきみをあいするこの燐光を。そこにいるのは孔雀であって、もう孔雀でないことを……ハゲワシ、きみは一番よく知っているはずさ」
あゝ、とハゲワシはなおも嗚咽をもらしました。
「わからない、わからない。孔雀の美しさを死後も見せつけることが憎くて奪い去りたいか、それとも友の死肉を喰らいたいのか、食べなくてはいけないのか——わたしにはわからなくて。悲しくてもういっそのこと死んでしまいたくなったのに」
「ハゲワシ、きみは孔雀のことが心の底から大好きだったのだね」
「そう、そうさ。だから、だから」
ぼんやりと、弱々しく。川底の燐光が跳ねて——ハゲワシの翼を掠めました。その光はゆっくりと集まり、弱々しくもハゲワシを包んでゆくのです。
「ハゲワシ、その光たちを遠く高く、飛んで連れていってはくれないだろうか」
「あゝどうして……」
ハゲワシは一声高く鳴くと、天高く飛んでいってしまいました。
川底にはもう、マラカイトの輝きは一点も遺ってはおりませんでした。
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