第43話 マッカートニー2

 アルバムの話ではない。マッカートニーには『マッカートニー』というアルバムがある。その二作目に『マッカートニー2』というアルバムもある。でもその話ではなく、僕のマッカートニーの話題、第二回目ということだ。この連休、後半は各地の人出が多いと連日の報道が伝える。ちょっとした場所も混雑しそうなので家にいることにした。


 なのでずっとマッカートニーを流して聴いている。僕のお気に入りは『タッグ・オブ・ウオー』というアルバム。一九八二年の発売だったかな? スティービー・ワンダーとの共作「エボニー・アンド・アイボリー」がヒットした頃のアルバムだ。この当時の録音技術はクリアなサウンドを目指していたため、CD化されてもそのクオリティに見合った音が楽しめる。


 もちろんソロ以前、グループ時代の楽曲も好きである。でも『レット・イット・ビー』が発売された頃にようやく物心がついた世代だ。日本語も片言の年齢だったろうから、とても英語の歌詞を味わえる状況ではない。後になって遡って聴いた世代に入るだろう。

 オンタイムで楽しんだのは、「心のラブソング」と「幸せのノック」からだ。ウイングスの末期、いや解散していたかもしれない。『スピード・オブ・サウンド』や『ロンドンタウン』の頃である。同じ頃、洋楽ではビージーズやカーペンターズがヒットしいたはず。


 マッカートニーの音楽と出会って僕の心の世界は広がった。文学と出会った時と同じくらい重要だった。連日聴きながら、ああこの曲で比較級を覚えた。とか「熱狂させる」という意味のクレージーやマッドを活かす動詞はDriveを使うとか、曲を流していると英語を覚える際の記憶の定着に役立っていた。

 日本語と同じように俗語、スラングがあるというのも中学時代の僕には大発見だった。

 そして学校の音楽で習ったイチドの和音は、Cコード、ヨンドの和音がFコードという学校教育の名称と楽器演奏で実質的に使う名称が同じものを指していることもマッカートニーをコピーして覚えたことだった。


 今思えば、実に当たり前で大した発見ではないが、十代前半の僕にとっては大発見だった。世界が広がった気持ちになった。その道標だったマッカートニーの作る楽曲はいつも素直に僕の中に入ってくる。


 少し前になってしまうが『ミスター・ムーンライト』という映画を見てきた。そのものの映画ではないが、周辺や時代、世相を集約したものだった。その前に公開された『エイトデイズ・ア・ウイーク』のような派手さはなかったが日本国内の視点というのも気に入った。


 僕のGW、前半は御朱印めぐり、後半はマッカートニーとなった。心の中に幸せがなければ、少しでもいいから作れば良い。既に逝ってしまった京都の僕の親友が言っていたことだ。彼はサイモンとガーファンクルやイーグルスの曲をよく聴いていた。遡って聴くという習性は一緒だった。


 今晩は家飲みでマッカートニーの楽曲を堪能しよう。世知辛い現実から逃避して、彼の言葉通りの小さな幸せを作るのである。


 

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