第27話 シュガーベイブ

 本日は久しぶりにポピュラー音楽の話。僕の好きなバンドにシュガーベイブというバンドがある。もう解散しているのであったが正しい。主に山下達郎さんと大貫妙子さんが軸となるバンドだった。

 達郎さんと言えば「高気圧ガール」や「ラブランド・アイランド」などのヒットで知られている。大貫さんの曲、「ピーターラビットと私」は可愛い童話のような曲だし、「メトロポリタン・ミュージアム」は『みんなのうた』で有名だった。


 今回記すのは、そんなアーティストの話題ではなくて僕の話である。一九八〇年代の中頃、シュガー・ベイブのリバイバルブームが起き始めていた。EPOさんがシュガーベイブの代表曲である「ダウン・タウン」をリリースしてヒットさせたためである。同じ頃に達郎さんの「ライド・オン・タイム」も大ヒット。

 FMのエアーチェック※でなんとかアルバムまるごと録音テープには手に入れていたが、どうしてもレコード盤が欲しくて、栃木の田舎から東京まで朝早くから出てきて、当時の中古盤屋さんが密集していた御茶ノ水、アメ横、高田馬場をグルグル回っていた。

 毎月のようにお小遣いと時間の都合があったときには回りまくった。でも一向に見つからなかった。訪問先のレコード屋の店主には「あったら、オレが欲しいんだよなあ」と言われる始末。


 夏休みの暑い中、受験勉強に一息入れる名目で中古盤屋をまわった思い出だけが残る。欲しかったのはグループ唯一のアルバムである『SONGS』だ。

 結論から言えば、手にできなかった。後で知ったのだが、もし仮に見つかっても、当時の僕のお小遣いではまかないきれなかったはず。何万円もしたと聞く。一万枚程度しか市場に出回らなかったと聞いた。希少なレコードだったらしい。結局、僕はCDが普及したころにデジタル盤で手に入れることになる。三二〇〇円くらいだったのかなあ? 何にせよ、漸くあの老夫婦の肖像画のジャケットを手に入れることができた。その時は既に大人になっていた。

 その後、達郎さんの参加する『ナイアガラ・トライアングル』のファーストと聴き比べなどもしながら、ますますナイアガラの奥深さを楽しんでいた。


 そんな一八歳前後の東京の町を駆け回って、レコードやギターの店を廻っていたのが今思うと楽しい日々だった。「ダウン・タウン」のギターのイントロ。何度弾いていたかわからない。癖になって、あの曲はギターを持つと自然に弾いてしまう。ビートルズの「デイ・トリッパー」と同じくらい頭に刻まれたフレーズだった。

 ふと思い出すと、僕の青春のJポップは、YMOは勿論、大滝詠一さん、松本隆さん、杉真理さん、佐野元春さん、そして山下達郎さんの音楽がいつも横あったな、と思う昨今である。えっと、当時はJポップとは言わず、ニューミュージックとか、シティーポップなんて言われていたけどね。


※エアーチェック

当時のFM放送局の電波は音質の良いステレオ放送なので、録音させることを前提に曲を流していた。そのためパーソナリティーの曲紹介などは曲にかぶらないように前もって行い、曲は途中で切ったり、FOもしなかった。当時存在したFM情報誌各誌などには曲名と一緒に該当の曲が何時何分からかかるという事前告知もされていた。当時の中高生は時計を見て、ラジカセの録音ボタンを押す用意をしていた人も多かった。とりわけレコードプレーヤーなどのダビング機械を持たない人のためにヒット曲の特集をしたり、絶盤の曲がかかるときは情報誌の特集が組まれていたことも多々あった。

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