第6話

「――今日は闖入者の多い日ですね。この浴場は貸し切りにしたはずですが、とルシ子は旅館の管理及び体制に疑念を抱きます」


「イヤだなぁルシ子ちゃん。そもそもこんな高級旅館の浴場を貸し切ろうって発想の方が普通はぶっ飛んでるんだぜ? それにあの主人公ちゃんにしろボクにしろ、侵入者はみんな人外だ。慣れない貸し切りな上に相手がそれじゃあ、旅館の体制不備を疑うのは酷ってモンだぜ」


「……誰でしょうか、アナタは。ルシ子の姿、ルシ子の気配、そしてルシ子の魂……ですが、ルシ子はルシ子ただ1人だけ。アナタはルシ子ではありません」


「さっき主人公ちゃんが言った言葉の焼き直しになっちゃうけど――そして、彼女相手に言った言葉の焼き直しにもなっちゃうけれどさ。同じ立場で胸襟を開いて話す……いい言葉だよね! 相手の立場、相手の目線ってのは普通どうしても無理、限度ってものがあるけれど、ボクにはそれがない! 文字通り、キミの立場、キミの目線でボクはキミと語り合える!」


「問いましょう、仮称偽ルシ子。アナタはルシ子の敵、あるいはあの神の僕か何かですか」


「いいや? ボクはルシ子ちゃんの敵でもなければ主人公ちゃん――キミの言う神、あるいはクソ女の配下でもないよ。キミの味方さ! ……まぁ、正直に言うなら全面的にキミの味方って訳でもないんだけど。ルシ子ちゃんは自由を愛してるけど、僕としてはあんまり自由過ぎられると困るんだよね? そりゃあ自由度の高さはゲームとしては望ましいかもしれないけど、あんまり自由過ぎたらゲームはゲームとして成り立たないからさ!」


「……偽ルシ子の発言の内容は理解が困難であると、ルシ子は困惑します」


「うーん、どういえばいいかな……規則、規範って難しく考えなくていいんだよ。束縛とか支配とか、堅苦しい言葉はいらない、もっと簡単な単語で表そう! ルールだよ! ゲームにはルールが必要なんだ! サッカーでキーパー以外が手を使っちゃいけないように! 野球で走者が一塁から順番にベースを走らなきゃいけないように! そういう風にルールがあるから、束縛されるから、自由が制限されているからゲームは楽しいんだ!」


 神を名乗り事実神であるあのクソ女のメンタルに打撃を与え浴場から追い出し、満足して再度湯浴みを楽しんでいた頃合い。貸し切りにしていたはずの浴場、露天風呂に浸かるルシファーの元に新たな侵入者が現れた。

 それも、ルシファーそっくりの姿――いや、姿だけではない。気配、魂までも自身と全く同質のモノを持つその存在は、聞いてもいない謎の話を得意げな表情で話す。

 冷たく感情の薄いルシファーの顔立ちで、喜色満面な表情を張りつけて語る。自身の外見でありながら鏡ですら見たことのないその表情に、ルシファーは内心の困惑を隠せないでいた。


「問いましょう。仮称――」


「おっと! いつまでも仮称で呼ばれるのは面倒だから、先んじて名乗っておこう! ボクは『アンデッド・キングダム』! この世界そのものさ! 詳しい説明は省くよ、だってそれはルシ子ちゃんには必要ない情報だからね! 最低限キミが知っておくべきことは、ボクが神やそれに準ずる存在ではないこと! そしてキミの敵ではないこと! その2点くらいなモノさ! ボクのことは気軽にアンデくんとかキングくんって呼んでくれよ!」


「――個体名アンデッド・キングダム。通称アンデ、及びキング。記憶完了。問いましょう、アンデ。アンデはルシ子に対し何の目的で接触してきたのでしょうか」


「キミもボクをアンデ呼びかぁ。別にいいんだけど、誰もボクをキングって呼ばないんだよね、みんなみんなアンデくん呼びさ。いや、ホントにどうだっていいことだけど」


 大仰な動作で、どうでもいいと言いつつ嘆いてみせるアンデ。その姿は今のルシファーと全く同じ。即ち全裸だ。自身しかこの場にはいないとはいえ、裸体でそのような動作をするのは止めて欲しいとルシファーは内心思った。


「それに、用がなくっちゃ、意味がなくっちゃキミに会いに来てはいけないのかい? なんてね。実際用があるからこうしてキミに会いに来たんだから、こんな言葉それこそ何の意味もないんだけれど」


 1人可笑しそうに笑うアンデ。ひとしきり笑うとその存在はルシ子の隣に腰を沈めた。奇しくもその位置は、先ほどまであのクソ女が湯に浸っていた場所と同じ。


「……自身と対面する、というのは奇妙な感覚ですね。鏡を見ているのとはまた違った感覚です、とルシ子は戸惑いを隠せません」


「そう警戒しないでくれよルシ子ちゃん。別にボクは支配者でもなければ神でもないんだぜ? ただのこの世界だ。キミでもあり、キミでない誰かでもある、そんなただの世界だ、何の力も持たないゲームでしかないんだよ」


「本題に入ってください、とルシ子は要求します。この奇妙な感覚はルシ子にとって不快でしかありません」


「手厳しいね、まったく。ボクの中の女の子はみんな苛烈な性格のキャラばっかりだよ! まぁ温厚で優しいだけの人格者なんて、ボクみたいなゲームには似合わないし生き残れないからね、それも仕方のない話だけど!」


 人化した影響か、自身と同様に少しだけ火照ったような色合いの頬を撫でつつアンデはため息を吐いた。


「なぁに、本題って言っても些細なことさ。簡単な頼み事さ」


「頼み事、ですか」


「うん、頼み事。命令でも、支配でもなくって、単なるお願い。聞くも聞かないも、キミの自由意志に委ねる懇願さ。最終決定権も、その後の責任も全部キミにある、キミの大好きな自由の元のお願いだよ!」


「……聞きましょう。ですが、個体名アンデの今し方発言した通り、それをルシ子が必ずしも行うとは限りません。構いませんね、とルシ子は確認します」


「勿論さ!」


 整った容姿に。端正な顔貌に。それに似合わぬ笑みを浮かべてその存在は言い放つ。


「キミの……ええっと、この場合どう言えばいいんだろう? 将来の伴侶? 婚約者? いやでもこれって結局ルシ子ちゃんが勝手に言ってるだけだしなぁ……」


「……個体名ナナシ、というあのハーフアンデッドについて、でしょうか」


「そうそう! そのナナシくん! 厳密には彼の中にいるプレイヤーくんなんだけどさ! これから彼、ハチャメチャな事態に巻き込まれるから、キミもそれに参加してくれないかなってお誘いだよ! ヒロイン、綺麗所は多い方がラブコメは楽しいからね! かといって、今頃ぽっと出の女の子を増やしたり、柳家姉妹を参戦させたりするのは面倒だしリスクも大きい! だからルシ子ちゃん、キミがこの恋愛ごっこに参加してくれると僕としては助かるんだよ!」


「発言の内容が理解できません。詳しい説明をルシ子は求めます」


「何故、どうしてとか、詳しい理屈は抜きにして、って条件なら構わないぜ?」


「構いません」


「女の子をこれ以上増やすとボクが行う調整が面倒になるし修羅場が起こった時過激になりすぎてしまう! 柳家姉妹――キミのお友達のリンちゃんとその妹ちゃんは、恋愛ごっこに参加するには情緒が幼すぎる! そういう設定……もとい、育った環境がアレ過ぎるから仕方ないコトだけど、彼女達が恋愛を理解するにはまだまだ時間がかかっちゃうよ! だからこのラブコメのヒロインの3人目、実質最後の1人はキミって訳だ! いや、自称とはいえ婚約者を名乗ってるしプレイヤーくんも先延ばし的な意味とはいえ考慮していることを考えれば一歩抜け出しているキミが1人目なのかな!?」


「情報解析――完了。個体名ナナシをめぐる恋愛競争、即ち繁殖のための闘争を行えと。そういうことでしょうか」


「繁殖って……相変わらず情緒がない言い方だなぁルシ子ちゃんは。まぁでも、そういうコトなのかな?」


「ルシ子は性的接触に対し不快感を抱いています。そして、恋愛には性的な行為が付随するものであるとルシ子は認識しています。個体名ナナシとの婚姻も所謂仮面夫婦、という形態をとることをルシ子は想定しています。故に、ルシ子に恋愛は不可能です」


「考え方が古臭いぜ、ルシ子ちゃん。確かに多くの恋人達は、恋愛関係にあるヤツらってのはエッチなコトをしたがるぜ。それが本能だから、恋愛感情ってのが性欲に起因するモノだから当たり前ではあるけどね。でも、最近ではプラトニックな関係性の恋愛ってのもアリなんだぜ? 勿論恋人同士、相互理解の上でなきゃ成り立たない面倒な関係性ではあるんだけど!」


「……プラトニックな関係性。検索開始――該当例確認。理解しました。性的接触のない、愛情のみで接する恋愛体系ですか」


「そうさ! まぁ、そういう関係性でも流石にキスくらいはするとは思うけどね」


「……ですが、そもそもルシ子は恋愛感情というモノを理解していません。ナナシに対し好感、友情は抱いています。けれど、それはあくまで友情の範囲内、愛情と呼べる代物ではありません。ルシ子はやはりルシ子が恋愛感情を抱くことが出来ないと判断します」


「友情から始まる恋! いいじゃないか! それに、フツーの人間だって恋愛感情を最初っから理解しているヤツなんていないさ! ゆっくり、それこそ赤子でも育てるかのように時間をかけてじっくりと情緒と愛情について知っていくのがフツーってモンだぜ? それは堕天使であるルシ子ちゃんも変わらないさ!」


「……個体名アンデの要求を理解。その目的は不明瞭、ですが、行動の決定権がルシ子にある以上、問題はないと判断します」


「そうさ、それでいいんだ。ボクの目的なんてルシ子ちゃんにはどうだっていい。だって、これはあくまでお願いだからね。聞くも自由、聞かぬも自由、その結果がどうであろうと、行動したルシ子ちゃんの所為だし、ルシ子ちゃんの手柄だ。自由ってのは、そういうモノだろう?」


「肯定します。そして、問いましょう」


「質問が多いなぁ」


「……個体名アンデ。世界を名乗る謎の存在。アナタは何者なのでしょうか」


「だから、世界だよ。ゲームだよ。この世界そのもので、キミでもあってキミではないナニカだよ――おっと、もうそろそろ落ちてくる頃合いだね」


「落ちてくる、ですか」


「そう、落ちてくる」


 アンデの指さす先に視線を送る。


「……アンデッドの気配を感知。検索……該当例、なし。不明なアンデッドを確認しました」


「まぁ、彼女は忘れられた、嘘だ偽りだおとぎ話だ作り物だ、って思われている存在だからね。少なくとも今はまだ。だから、キミのデータベースにも彼女の存在はないよ」


「彼女……対象は女性ですか」


「そう。このプレイヤーくんをめぐるラブコメのヒロインに1人さ!」


「……対象の降下を確認。落下予測地点を演算――完了……男湯、ですか」


「ピンポン! 女湯に主人公が飛び込むってのはありきたりだからね、その逆を行ってみようって訳さ! まぁ、こういう展開もなくはないんだけど、割合でいえば少数派だもんね!」


 そう言うと、アンデは霞のように姿を消していく。

 その最中、軽い口調で言葉を残して。


「ナナシくん、結構面食いだから攻略するなら急いだほうがいいよ? あの主人公ちゃんは見た目と声だけで彼の最推しになったくらい彼のタイプだし、今から落ちてくる彼女も育てば絶世の美女だ……見た目はルシ子ちゃんだって負けてないから、それこそ速度勝負になっちゃうからね」


 その言葉を残して彼の存在は完全に消え去った。気配すら、その存在の残渣すら残さずに消え失せた。

 そして、その直後。


 ザッパーン、と。

 大きな水音が竹で出来た仕切りの向こう側から聞こえてきた。同時に、キョウの都全体に警報音が鳴り響く。アンデッドの侵入を検知した結界が作動したらしい。そして、結界が捕らえたであろう対象はおそらく男湯に落下してきた謎の存在。


「……恋愛ごっこ。3人目がルシ子。もう1人は落下してきた仮称謎アンデッド。そして、今し方のアンデの言葉から、残る1人は――」


 ――メヴィア。アンデッドの神。あのクソ女であると推測されます。


 ルシ子はナナシに対し恋愛感情を抱いていなければ、独占欲も執着心も持たない。

 恋愛は自由だ。繁殖行為には嫌悪感を抱くものの、それはあのクソ親父の言葉が原因、無理矢理であるならばともかく、当人同士が合意の上であれば勝手にすればいいとルシ子は考えている。


 だが、あの女が相手であるとなれば話は別だ。

 あの神にナナシが絆され、恋愛関係になり、性的接触を行うとなれば、話は別だ。


「……謎の存在、個体名アンデの思惑通りに動くのは気が進みません。ですが、あのクソ女と比べればマシであると、そうルシ子は判断します。情報は不足、ルシ子自身の脳も状況に追いついていません。ですが、いいでしょう。ルシ子は神に反逆します。そのためならば――」


 プラトニックな恋愛関係。

 それであれば、自身にも出来るかもしれない。

 仮にできずとも、もう1人……今し方男湯の方に落下してきた謎のアンデッドに『恋愛ごっこ』とやらを勝たせれば、きっと問題はないはずだ。


 ルシ子はそう考えて、対象の具体的な情報を得るべく仕切りの向こう側へ向かおうとし――自身が全裸であることを思いだして頬を赤らめ、脱衣所へと向かった。

 羽織ったのは簡素な、しかし上質な布で編まれた浴衣だ。色は漆黒、自身が用意したモノではなく、この旅館の浴衣だ。

 下着を履く手間を惜しんでそれだけを羽織ると、ルシファーは再度露天風呂へ。そして仕切りを軽々飛び越え男湯へと降り立った。


「……理解不能」


 そして、彼女はその光景を目の当たりにする。


 爬虫類のような瞳、所々肌を覆う鱗、頭部に見える小さな角、そして放たれるアンデッドの気配。

 ナナシの腕に抱かれた彼女が彼に対し、一方的に愛を謳う様をルシ子は目撃することとなった。


 そして同時に。


「おや……」


 ルシ子が彼女の存在を認識したその瞬間。


「――ん? なんかウチ、育ったんじゃね?」


 その彼女の体躯が少しだけ大きくなったようにルシ子には感じられた。

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