第7話

「ルシ子は一方的な支配を好みません。ナナシをルシ子のモノにする、とは言えど、強引な形でそれを成してしまうのは、あのクソ女やクソ親父と変わらない行動であると、ルシ子は考えます。ですから、ルシ子はナナシとの対等な関係の構築を提案します」


「……モノにする、って言われてもな」


「ナナシの疑問は尤もなものです。ですが、ルシ子は神に対する反逆者であり、支配される者の味方です。」


「つまり?」


「端的に言うと、ルシ子はナナシの味方でありたいと、そう思っています」


 テーブルを挟んで対面、身を乗り出すようにしてこちらへと顔を寄せるルシ子。その造形は今は亡き神の手によって行われたという設定だけあって、冷たい印象こそあるものの非常に整っている。人化した形態であるが故に本来の彼女のそれと比べ少しばかり柔らかな印象を与えてくる顔立ちは、まさに彫刻か絵画か、芸術品であるかと思えてくるほど端正であった。

 そして、前かがみになっているが故に、黒に星の衣装をあしらえた浴衣の胸元からは少しだけその谷間が垣間見える。


「……ルシ子は真面目な話をしています。どこを見ているのですか。ルシ子は僅かばかりの羞恥を覚えます」


「わ、悪い。だけど、そういう姿勢になられたら男って生き物はつい見ちまうモンなんだよ」


「……記憶完了。個体名ナナシは、情欲に従順であるとルシ子は判断します」


「その覚え方は止めてくれ、俺がスケベみたいじゃないか」


「肯定します。ルシ子はナナシがスケベであると判断しました」


 少しだけ頬を赤らめた彼女は胸元を抑えながら俺から顔を離した。


 ルシ子。正式なキャラクター名としては堕天使ルシファー。種族はフォーリンエンジェル。

 『アンデッド・キングダム』におけるゴースト系統最上位種族の、それまた最上位に位置するネームドキャラクターだ。二つ名は、2つと言わず『明けの明星』他多数。モチーフとされたのは言わずもがな、例の宗教にて描かれるルシファー、またはルシフェルと呼称される堕天使だ。


 前世の宗教内では傲慢さから神へと反逆し、地の底コキュートスへと堕とされた彼の存在だが、『アンデッド・キングダム』における彼女は少しばかり立ち位置が異なる。


 この世界にも、人類を創造したとされる人類側の神様とでも言える存在がかつて存在した。そんな神様が、人類を管理、支配するための手ごまとして生み出したのが天使達。ルシ子もかつてはその1人であった。


 そして、例の宗教のルシファーの反逆を製作陣は支配と隷属、管理された安寧への抵抗であると捉えたらしい。ルシ子は自由を求めて数名の天使の仲間達と共に地上へと堕天し、神様とその軍勢へと戦いを挑む。


 本来であれば、というか前世の宗教通りであれば彼女は敗北し、地の底へと封じられてしまうはずなのだが。

 なんと、この世界では彼女は自身の創造主たる神に勝利するのだ。


 その細かなエピソードが綴られた、ルシ子を主役とした小説も確か発売されていたはずだ。まあ、俺は原作ゲームしかしてないから読んでないけれど。


「……まぁ、いいでしょう。ルシ子は羞恥心を堪えます。それに、ルシ子の外見的特徴に好意を抱かれているというのはこの場合悪いことではありません。少しばかり、恥ずかしくはありますが」


 神への反逆者。その特徴を再現したのか原作ゲーム内ではアンデッドの神たるプレイヤーキャラへと反抗しまくり、ルートによっては人類の守護天使となる彼女なのだが。

 神相手以外への、というか神を含む自身への敵対者以外への対応は存外柔らかいものらしい。


 ……というか、少しズレた所があるくらいで普通だ。なんか、そこいらにいいる不思議ちゃんというか、変な子の領域を出ていない気がする。いや、不思議ちゃんも変な子もそこいらにゴロゴロと転がっているようなモノではないんだが。


 俺が知っているあの苛烈なルシ子とは、どうにも印象が異なる。


「ふむ、ルシ子は思案します。ナナシをルシ子のモノに、という目的は対等な関係……例えば友人、相棒。そういった形での達成が望ましいと考えていましたが。ナナシがルシ子への好感を抱いているというのなら、別の形でも良いのでは、とルシ子は考えます」


「別の形?」


「恋人、あるいは夫婦、伴侶等。如何でしょうか、とルシ子は提案します」


「なんでそうなる」


 いや、展開がはえーよ。俺はルシ子のことを画面越しに知ってたし一方的とはいえ長い付き合いだから親しみ深くは思ってるけど、ルシ子からしたら俺は実質初対面の妙なアンデッドだろ。


 それがなんでいきなり恋人とか……夫婦とかって話になんだよ。


「おや。ルシ子に対し親しみを覚え、外見に性的な関心を示しているナナシにとって、今の提案はとても良い条件であるように思えるのですが」


「性的な関心って……」


 持ってるけどさ。なくはないけどさ。

 ルシ子みたいな美人キャラに、そういった感情を全く持ってないと言ったら嘘になるけどさ。


「そういうのは……その、付き合いの長い相手とゆっくり親しくなっていって……んで、なんかのキッカケだったりとかで好意をお互い確認し合って、そうやってなっていくモンなんじゃないのか?」


 いや知らんけど。前世ではゲーム三昧な人生だったから、恋愛なんて画面越しのキャラとしかしたことないけど。


「そうなのですか? ルシ子は疑問を抱きます。恋人、夫婦というモノは人類の繁殖形態なのではないのでしょうか。そのような手間をかけて行うのは繁栄に対し非効率的であると、そうルシ子は思うのですが」


「……そうかも。もしかしたら、フツーの恋愛、恋人ってのはもっと手軽になる者なのかもしれない」


 でなきゃ、人類はここまで繁殖……繁栄していない気がする。

 時間をかけて関係を深めて、特別なキッカケを待って。そんなことをしていたらほとんどの人は独身で人生を終えるかもしれない。

 それじゃあ人口は増えない。


「そうでしょう。人類が容易に繁殖する以上、ルシ子はそれらの関係性は容易に構築できると、そう考えます」


「確かに……」


 確かにじゃねえよ。

 なんで説得されかけてんだよ俺。


 いや、ルシ子と付き合えるってなったらそりゃあ嬉しいけどさ。

 ゲーム内最推しはメヴィアだったけど、ルシ子のことも……というかどのキャラのことも俺は好きだったし。いうなれば、全員が推しだったし。

 推しと付き合えるとか、最高もいい所……だけどさ。


「ルシ子の気持ち的にはいいのかよ?」


「ルシ子の気持ち、ですか?」


「ほら、そういうのってやっぱ好き同士がなる関係性、だと思うからさ。ルシ子は俺のことを、その、好きなのか?」


「肯定します。ルシ子は、基本的に人類、アンデッド問わず全ての知的生命に対し好意的です。勿論、支配的な対象は除きますが、とルシ子は補足します」


「……そういう好きじゃ、ねぇんだよなぁ」


「……? 好意は好意でしょう。どこに問題があるのか、ルシ子は判断しかねます」


 どうやら、目の前の偉大なる堕天使様は人間……人類のそれとは違った価値観をお持ちらしい。友好的、好意的な感情と恋愛感情の区別がついていないみたいだ。

 どう説明すればいいかな……


「……いや、否定されたらフツーに傷つくだろこの問いかけは」


 ……一応、思い付きはしたものの。

 正直否定される未来しか想像できないし、肯定されても困るし。

 それで否定されたら分かっていても傷つく問いだよなぁ、コレ。


「……あぁ、仕方ない。傷ついてやろうじゃないか」


「どうかしましたか、ナナシ」


「ルシ子……ルシ子は、俺と……そ、そのだな……」


「……?」


「あー……、え、エッチなことが、出来るか?」


 俺の言葉に、ルシ子は硬直した。


「…………」


「…………」


「……………………」


「……………………」


 お互いに静寂。ただ、無言の空間だけがそこにはあった。

 無音ではない。風が木々を揺らす音、川の水が流れゆく音、小鳥の囀る音があった。


 だが、先の心地よい静けさとは程遠く。

 ひたすらに、ただひたすらに気まずい沈黙がそこにはあった。


「……個体名ナナシ。エッチなこととは、繁殖行動……すなわち、性的接触を意味していると。そうルシ子は解釈していますが、正しいでしょうか?」


「お、おう……」


「……ナナシは、ルシ子と恋人、夫婦等の関係性となった際に、ルシ子との性的接触を望むのでしょうか?」


「お……おぅ…………」


「……ふむぅ。性的接触……それは、どの程度までを含めた行為であるのか、ルシ子はナナシへと問いかけます」


「ど、何処までか……」


 エッチなこと……エッチなことって、何処まで……いや、何処からなんだろうか。


 手を繋ぐ……は流石にエッチじゃねぇよな。抱き合う、キスする……は文化圏によっては普通に挨拶だしな。そういうコトって、どこからがそういうコトなんだ?


 いやいや、文化云々は今関係ないだろ。ルシ子が聞いているのは、俺がどう思っているかなのだろうし。

 それこそ、文化の話を持ち出すと昔ながらの田舎な日本をモチーフにしたこのヤマト国なんて性に対してはめっちゃおおらかだし。原作がエロゲなことも理由だろうけどよ。


 ……そういや、原作でルシ子のエロシーンなかったな。神に反抗する存在なんだから当然と言えば当然なんだけど、プレイヤーキャラの性別を男にしてもそういうコトに至ることはなかったっけ。


 そう考えると、俺はルシ子の性に対する考えを全然知らない訳だ。

 いや、他人の性に対する認識なんてそれこそそういう仲にならなきゃ知る機会なんて無いだろうけど。


「逆に聞くけどよ……ルシ子は俺と、そ、そういうコトは何処まで出来る?」


 再度の沈黙。先ほどと比べ短く終えられたそれの後に、ルシ子はゆっくりと口を開いた。


「…………シミュレーションの結果、ルシ子は性的接触に対し、その行為そのものに嫌悪感を持ち合わせていると判断しました」


「マジか」


 傷つく以前の問題だった。

 ルシ子は、エッチなこと全般ダメなタイプの子だった。


「原因の分析を開始します――分析完了。原因の特定に成功しました。ルシ子は、クソ親父が宣った『産めよ、増やせよ、地に満ちよ』という言葉を嫌悪、それに連鎖し性的接触に嫌悪感を抱いています」


「……あー」


 そういえば、そんな言葉もあったな、あの宗教。

 だからか。神様の言葉所以にエッチなことがダメなのか。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな。この場合憎まれてんのは坊主じゃなくて神様だけど。


「不思議です。人類を含めた生命に対し、ルシ子は好意を抱いています。ですが、それらの繁殖活動には嫌悪の感情を持ち合わせています」


 まさに、二律背反。ダブルスタンダード、というヤツですね、と。

 整った顔を複雑そうな表情に歪めながら、ルシ子は唸った。


「……提案を、撤回します。ルシ子は、個体名ナナシと恋人、あるいは夫婦といった関係性を構築することは不可能であると判断します。ルシ子は謝罪します、ごめんなさい」


「えぇ……?」


 ヤバい。

 向こうから告白紛いのことをされて、その上何故かフラれた。

 顔の良い美人から、フラれた。コクってないのに。むしろ向こうから告白してきたような状況なのに。

 ちょっとだけ。ちょっとだけだけど、フツーに傷ついた。


「こほん……再度、ルシ子は提案します。ルシ子は目標、個体名ナナシをルシ子のモノとします。そのため、ルシ子はナナシとの友人、あるいは相棒のような対等な関係性の構築を希望します」


 好きなキャラに無下にされ内心落ち込む俺に、ルシ子は先ほどの一幕をなかったことにするかの如く咳ばらいをすると、そう提案してきた。

 その表情は、冷たい印象を持つものの若干気まずさを感じさせる。


「まずはお友達から、と。そうルシ子は提案します。如何でしょうか」


 ……いや、だから。さっきの一幕でもそうだけど、なんでコッチがコクったみたいな流れになるんだよ。なんでさ。


「……安心してください。ルシ子は人類に友人を持ちます。アンデッドであるナナシとも、おそらく友人関係であれば構築できるでしょう」


 俺の視線から少しだけ目を逸らして。

 ルシ子はそう言葉を付け足した。


――――


「――おや」


「んん? どうしたよ、カミサマ」


「いえ。彼に仕掛けた保険が、今作動した気配を感じたものでして」


 ナイル国内部。

 貿易のために建設された港を破壊しながら、メヴィアはその気配を感じ取っていた。


「保険だ?」


「えぇ。一部のデーモンやフォーリンエンジェルといったアンデッドは、自分よりも格下の者の魂を覗くことが出来る、という大変趣味の悪い特技をお持ちなので。そういった事態に対してかけていた保険が、どういう訳か作動したのです。その内容までは分かりませんが……」


 自身も知らない――彼自身を知っていく過程を楽しむためにあえて覗かない――彼の魂。それが他者に覗かれる。それはメヴィアの嫉妬心を大変煽る行為であった。

 そのための保険だ。メヴィアは自身の分霊ともいうべきそれを、彼の魂へと絡ませて内部を覗けないように。そう保険をかけていたのだ。


 それが、作動した。


「……どういうことでしょう。ヤマト国には例の宗教は伝来していないはず……堕天使や悪魔が訪れる理由がありません。また、彼が柳家に所属する以上、彼自身が海外へと渡る可能性も低い……一体誰が、彼を覗こうとしたのでしょうか?」


「デーモンにフォーリンエンジェル……『天使様』じゃねぇか?」


「まさかですよ。彼女は例の男の保護を命じたでしょう? その男が現れた現場であるヤマト国を訪れることはあっても、それはキョウ近辺のはず。柳家のある南方へは……キョウ?」


 そこで、メヴィアは思い至った。

 キョウに襲撃を仕掛けた理由。そして、その後に人類がとるであろう行動に。


「襲撃を受けたキョウは、アンデッドへの警戒を強め戦力の増強を図ります。そのように仕向けたのですから。そして、柳家はヤマト国有数のアンデッドハンターの名家。コクラの街が落とされていない以上、キョウへの襲撃の報告と戦力増強のための要請は柳家にも向かうでしょう……」


 そこまでは、ほとんど確定しているであろう推測だ。


「……ですが、えぇ? 柳家がキョウへ柳リンを送り出し、その連れとして彼が……? 可能性は、なくはありませんね。ですが、彼がキョウへ訪れた丁度のタイミングでルシファーがキョウへ訪れる? その上、彼と接触し、魂の閲覧をするほどの興味を彼女が抱くでしょうか……?」


 だが、その後だ。

 どれもが可能性としては存在する。だが、それらはあくまで可能性だ。不確定な予想でしかない。その偶然が全て重なるなど、ありえるのであろうか……?


「どうでもいいけどよ、もうすぐ夜明けだぜ? そろそろ終わりにして帰らにゃオレは火だるまだ」


「どうでもよくはありません。重要なことです。それに、アナタが火だるまになろうとワタシの知ったことではありません。アナタがヴァンパイアであることが悪いのです」


「酷ぇ言われようだ」


 だが、もしその偶然が重なったというのなら。


 フォーリンエンジェルの魂の閲覧法――対象の胸元に額を当てるその行為を想起し。


「……今すぐ、ヤマト国に戻りましょう。ここではまだ通商破壊程度しか行えていませんが、ナイル国の文明レベルのこれ以上の上昇を抑えるには十分でしょう」


「今からか? おい、冗談は止してくれよ。朝日ってには東から昇るんだぜ? ヤマト国は東じゃねぇか」


「欧州では未だ地上は平面であると考えられていますが、この星は球形なのですよ。西に向かって飛びましょう。遠回りにはなりますが、大西洋と太平洋を横断して向かいます」


 その、寄り添うかのような行為は、メヴィアのジェラシーを煽るには十分すぎた。


「……もし、本当に彼女だとすれば、どうしましょうか。今のワタシでは、アレを殺すには力不足です」


 そう頭では理解しつつも、感情の、嫉妬心の衝動は抑えられそうにない。


「……最悪、チートコードを使用しましょう。そうすれば、滅ぼすことは出来ずとも彼が誰のモノであるのか分からすくらいは出来るでしょうね」


「相変わらず妙なことを口走るカミサマだ。なんだよチートコードって」


「アナタの知る必要のない言葉です。行きますよ」


 呟いた後。

 ヴァンパイアの姿でその羽を広げ、青年と共にメヴィアは空へと飛び立った。

 

 向かうは彼のいる、そしてルシファーがいるであろうヤマト国。

 朝日から逃げるように、西に、西に。

 機能不全に陥った、破壊されつくしたその港を背景に。


 内から溢れ出る憎悪と不安と嫉妬心をガソリンに、アンデッドの神は夜へ向かって羽ばたくのだった。

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