サヨナラの代わりに

犬飼 拓海

本文

「結局、こうなる運命だったのかもな……」

 僕はため息を吐いて暗くなった屋上につながる階段の踊り場の隅にうずくまって項垂れる。追いかけ過ぎたのが間違いだったのか、それともさっきのイタすぎる台詞が間違いだったのか、それはわからない。

 ただ一つ、『フラれてしまった』という事実だけが空回りしたことへの後悔を添えて僕の真横に横たわっている。


 彼女はもう僕にあんな笑顔を見せてくれることはないだろう。そう考えると隣にいる後悔は更に体積を増し棘の数を増やして僕の方に寝返りを打った。

「あーあ、もういいや」

 いつの間にやら僕に抱き着いている痛い事実と後悔を払い除けて立ち上がり、下校時刻の放送を聞きながら階段を下る。何度も何度もため息と嘲笑を繰り返して、寂し気な蛍光灯の光の下を払い除けた『ヤツ』らを寄せ付けないように足早に辿り下駄箱の取っ手に手をかけた。ここを抜ければヤツらもついてこれるまい。とにかく早くここから出れば何とかなるはず。そう思っていた。

「……なんだこれ」

 下駄箱の中に鎮座する登下校用のローファーの上にいつもは絶対に存在するはずがない一枚の紙が乗っている。一瞬あの事実を覆せる好機が訪れたかと思ったが、さすがにそれはないと否定してそのメモ用紙を取り上げた。


『さっきはごめん、改めて言っときたいことがあるから家着いたら連絡して ――優莉』


 いつの間にか追いついて僕の隣に立っていたヤツらもその紙を覗き込んだかと思えば、腰を抜かして転んでしまう。

「え、嘘……だよな?」

 捨てきれなかったわずかな期待は一瞬のうちに増幅し、僕はそのメモ用紙を制服のポケットにねじ込んで生徒玄関を駆け出した。

 履き慣れていたはずのローファーのかかとが容赦なく皮を削ごうとする。でもはやる気持ちの前では、そんな痛みはどうでもよかった。どちらかと言えば、良質な興奮剤となったようにも感じた。

 日の落ちた住宅街、アスファルトに踵(かかと)が当たる音が不気味なほどに反響し妙な焦燥が僕の心を支配し始める。

 「早く連絡せねば。」

 その一心で走った。 そうでもしないと、優莉に一生手が届かなくなるような気がしたから。


 玄関のドアを勢いよく開けて、大急ぎで自室に転がり込む。通学用の鞄からスマートフォンを取り出し、ベッドに投げた。

「連絡を入れろって言ってたよな……」

 上がった息を整えながら、震える手でロックを解除して、メッセージアプリを開く。チャットルームの選択画面、一番上にいる優莉のアイコンを選択して、『今帰った』と送信し、投げられた鞄の横にあるスペースに背中から飛び込む。心拍と手首から先の震えは依然収まらず、呼吸が整ってからも興奮の後の嫌な余韻を感じさせた。

 体感数分、実時間はどうかわからないが、あまり時間が経たない内にメッセージアプリの通知音が部屋に響く。僕はベッドから飛び起きて通知の主を確認した。

「優莉……」

 少し収まっていた心拍はまた急激に増え、手の震えと同時に汗が掌を湿らせる。


『呼吸は整った? 19:20位にいつもの公園にいる。ちょっと高台になったところ 下駄箱に入ってる通りのことだから』


 やっぱりそうなんじゃないか、そう判断するには十分すぎた。時計を眺める。七時十分。多く見積もっても自転車を漕いでしまえば時間には間に合うだろう。なぜかコースターの上に置かれた自転車の鍵を浚って、半ば飛び降りるように階段を下り、台所で夕食の準備をしてくれているである母には何も伝えずに玄関を抜けて自転車に跨ってペダルに足をかけた。さっきまで死角に隠れていたのだろう幾重にも重なり絡まった感情が再び姿を現し、ペダルを回す足を加速させる。秋の夜風は少し冷たくて、筋肉が酸素を欲するたびに体の内側から冷気が侵食する感覚が増していく。

 心臓までもが冷えてしまいそうな程に息を吸い、一気に吐き出す。

 彼女が待つ場所へただ絡まり絡まった複雑な感情だけを原動力に進み続ける。

 ここでたどり着けなければ、彼女を待たせて、帰らせてしまえば本当に駄目だと、妙な確信があった。

 やっとの思いで公園の入り口に到達し、ふうと息を吐く。アドレナリンが出ているのだろう、その一瞬で荒れていた呼吸が普段通りのゆっくりとしたものに落ち着いた。

 住宅街から少し外れた小高い丘の上にある公園。宅地造成の関係で公園の一部が展望台のようになっている、ここ近辺に住んでいる学生の中では『ある意味』話題な場所。そこにあるベンチに彼女は腰かけていた。電灯は三つ、四つ。片手で数えられるほどしかないその場所で薄明りに照らされる彼女はなぜか、儚く散って消えてしまいそうな雰囲気を纏っている。

「ごめん優莉、遅くなった」

「うん、ちょっと待った」

 僕の呼びかけに彼女は立ち上がり、こちらに振り返って小さく笑顔を見せた。

「寒かったよね? こっち来てよ」

「あ、うん。わかった」

 促されるまま彼女の側まで近づくと、優莉は僕の前に立って口を開く。

「学校でさ……うん。言ってくれたじゃない? 「好きだ。付き合ってくれ」って。いきなりだったけどさ、嬉しかった。あの場ではあんな感じに言っちゃったけどさ……」

 そこまで言うと彼女は僕に背を向けて空を仰いだ。僕の心臓は更に鼓動を早くして、淡い期待を膨張させる。詰まった言葉の先を、早く聞きたかった。

「やっぱり、好き……いや、大好き」

「……本当?」

「ほんと。でも、付き合うことは……できない」

「え……」

 膨張し切った期待は弾け、真っ黒な影となって消えていく。

「まだ誰にも言ってないんだけど、月末にさ、越すことになっちゃったんだ。しかも遠くに。だからさ……ごめん」

「あ、ああ……うん」

 あまりにも突然すぎて、生返事しかできない。アニメのような、漫画のような、ノンフィクションとは説明が利かないこの状況についていくことで精一杯だった。


「それで、約束したいことがあるの」

 僕に背を向けたまま彼女はそう言って数歩先に進んだと思えば、こちらに向き直って言った。


「私の事、私がここに戻って来るまで待っててくれる?」


 薄い明りが反射する彼女の目は、少々潤んでいるように見える。


「うん、もちろん待つよ。ずっとね」

 僕は彼女に微笑みかけた。その瞬間、彼女の表情はぱあっと明るくなり、滅多に見せない笑顔を見せて言う。


「サヨナラの代わりに、約束ね」

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サヨナラの代わりに 犬飼 拓海 @Takumi22119

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