第3話




 ———それからというもの、俺は図書室で桂花院と交流を育んでいった。



「……ほんとに人いねぇんだな。放課後の図書室って」

「いらっしゃい鬼頭くん。まさか言ったそばから来てくれるなんて思わなかった。そんなに寂しかったの?」

「帰る」

「待って。ウソ。冗談。ちょっと揶揄からかっただけじゃない」

「そんな腕引っ張んな。てか力つよっ!?」



 最初の頃は受付にいる桂花院と少しだけ話して、図書室にある本を読んで、そして図書委員の仕事を終えた桂花院が俺の隣で静かに本を読むという日々がしばらく続いた。


 図書室という場所は静かなイメージだったが、案外吹奏楽部や運動部の声が響く。窓を開けて換気もしているから古本の独特な匂いもほぼない。元々家ではテレビをつけっぱなしにしたりゲームセンターやデパートといった商業施設など雑音がある方が落ち着く性格なので、こういった形で読書に集中出来たのは意外だった。


 学校では、この放課後だけが唯一落ち着ける時間になった。



「バドミントンのペア、またハブられたの?」

「俺以外の男子三人に目を向けた瞬間息を合わせたようにそいつらで組を組まれた俺の気持ちも考えてくれねぇか?」

「いやよ。そんなことより私と組みましょう」

「お前もハブられてんじゃねぇか」

「女子の場合は奇数で一人余るのよ。それがたまたま私だっただけ。クラスで孤立してる鬼頭くんとは違うわ」

「はん、ものは言いようだろうが」



 そして相変わらず俺はクラスで孤立していた。


 たまたま図書室を利用したクラスメイトが俺と桂花院が一緒にいる様子を目撃したのだろう。一度だけ桂花院も嫌がらせの標的になった。彼女の机が落書きされたり教科書を破かれたり隠されたりしたので、流石にそれは違うだろうと頭にきた俺はその犯人のクラスメイトの机を教室の窓から裏庭へ投げ飛ばしてやった。正直滅茶苦茶スッキリしたのを覚えている。


 先生にはしこたま怒られたがそれ以来、俺や桂花院に対する嫌がらせはぴたりと止まった。そしてまるで腫れ物かのように誰も俺、ついでに彼女にも声を掛ける同級生はいなくなった。


 これを機に、俺たちは図書室だけでなく教室でもよく話すようになった。気がつけば、授業中に彼女の背中を見つめることが多くなった気がする。




 ———そして月日が経ち、もうそろそろで三年生へと上がる春休み前の放課後のこと。二人は喫茶店にて他愛のない話をしていたら、このように話を切り出された。



「ねぇくん。大事な話があるのだけれど?」

「改まってなんだよ



 クラスメイトから避けられる日々は相変わらずだったものの桂花院———三葉との交流は依然続いていた。


 放課後のみならず授業、休み時間、登下校、休日と一緒に過ごす時間が増えれば流石に情が湧く。異性への好みのタイプは全く異なるが、いつの間にか俺は親友だったヤツの幼馴染の女の子ではなく三葉のことばかり考えるようになった。


 つい最近下の名前で互いを呼び合うようになった訳だが、若干気恥ずかしいのは内緒だ。


 目元が隠れるほどの長い前髪と牛乳瓶のような厚いレンズの眼鏡でいつも通り表情が隠れたままの三葉は淡々とした様子で言葉を続ける。



「私たち、結構一緒にいるじゃない?」

「ん、あぁそうだな」

「そろそろ、真面目に噂の真相を大地くんの口から聞きたいのだけれど」

「っ」



 腕をテーブルの上に置きながらそう訊ねる三葉だったが、思わず俺は息をのむ。ついにきたか、という諦念と、嫌われたらやだな、という保身の感情が俺の中でせめぎ合った。


 これまでなあなあにしてきたところもあったが、一目惚れとはいえ三葉はこんな俺を好いてくれている。もしその噂の内容を話したせいで彼女が離れてしまったらと考えるとチクリと胸が痛んだ。



(でも、三葉は歩み寄ろうとしてくれた)



 親友の彼女を寝取ろうとしたという噂で孤立していた俺に彼女は声をかけてきてくれた。俺に関わらずに高校生活を送るというのも選択肢の一つとしてあっただろうに、だ。


 ちらっと彼女の方を見てみると、分厚いレンズ越しにこちらを見つめている。その瞳の色は伺えないが、なんだか不思議と安心出来て。



「…………わかった」

「———!」

「なんだよ、自分で聞いたんだからそんなに驚かなくてもいいだろ?」

「驚くわよ。まさか素直に頷いてくれるなんて思わなかったもの」

「……うるせえよ」



 そっと目を逸らした俺は人差し指で頰を掻く。なんだか身体が少しだけ熱いような気がするのは気のせいだろうか。



「三葉は、一緒にいてくれたからな」

「!」

「だから、話すよ。お前には俺のこと知ってて欲しい」

「……うん、わかったわ。聞かせて、貴方のこと」



 そして俺は中学で起こった噂の真相を彼女に語った。誰かに伝えるのはこれが初めて。上手く言葉に出来るか不安だったものの、三葉は時折こくりと頷きながらもしっかりと話を聞いてくれた。


 やがて全て話し終えると俺は深い息を吐く。一通り噂の内容を全て伝えたので安堵するが、すぐさま襲い掛かってきたのは不安の感情だった。



「———なるほど。元々貴方は中学生の癖にウェイ系の陽キャなチャラ男だったけど、仲良くなった親友もといハーレム系主人公の幼馴染の娘を好きになったと。でもその幼馴染は主人公クンのことが好きなのに、肝心の主人公クンは幼馴染ちゃんを放って様々なところで女の子とフラグを立てて遊んだりしてるから、しくしく泣いていた幼馴染ちゃんの姿を見た大地くんはある日主人公クンを問い詰めた。そしたら『俺が誰と仲良くしようが俺の勝手だろ』『アイツいちいち俺の行動に干渉してきてキモいんだよ』と自分勝手なことを言い出したから激昂した大地くんはその主人公クンをぶん殴ったけどその姿をばっちり幼馴染ちゃんとメスハーレムその一に目撃された訳ね。元々主人公クンの親友という立場の貴方を気に入らないその女がわざと噂を捻じ曲げた結果、”親友の彼女を寝取ろうとした”という噂になってざまぁされた」

「……あぁ、それで合ってるよ。元々アイツは近くにいた幼馴染のことは好きでもなんでもなかったが、タチの悪いことに独占欲が強かった。ずっと一緒にいた幼馴染に平気で悪口を吐ける癖に自分を守る為だったら簡単に噓も吐く」



 今まで幼馴染へ文句を言っていたヤツが一転して怯えた表情を浮かべて「だ、大地が彼方かなたを、俺の大切な幼馴染をこれから俺のモンにするから二度と話し掛けるなって脅してきて……っ!!」とほざいた時は怒りを通り越して呆れた。

 因みに彼方というのは幼馴染の少女の名前である。


 彼女もあいつに惚れていた弱みもあってか、あいつの言葉も簡単に信じた。そして俺に憎しみの目を向けてきた。


 そこで俺は、所詮俺が彼方かなたへの思いを積み重ねても、無意味だと知った。知ってしまった。締め付けられるように胸が、心が痛かった。

 でも俺は今までその事実から目を背けていた。



「それ、貴方何も悪くなくない?」

「まぁ、殴ったのは事実だしなぁ。何度かあいつをデートに誘った時もあるし。まぁ断られたけど」

「…………ふーん」

「な、なんだよ……もう終わったことだろ」

「ま、それもそうね」



 なんだかジトっとした視線を向けられた気もしないでもないが、俺は意を決して口を開いた。



「……幻滅したか?」

「いえ別に。貴方なりの想いに従って行動しただけでしょう? 格好いいと思うわ」

「お、おう……」



 てっきり三葉のことだからちょっとした毒舌が淡々と飛び出ると思っていただけに拍子抜けである。

 いずれにせよ、三葉に嫌われなくてホッと一安心だ。


 俺がそっと胸を撫で下ろしていると、しばらく無言でいた彼女が言葉を紡ぐ。



「…………ねぇ、大地くんはどうしたい?」

「どうしたいって何が?」

「その噂の真相をみんなが知れば、残り一年といえど少しはマシな高校生活を送れると思うけれど?」



 三葉は静かにそう問い掛ける。確かにそうだろうが、俺やそれを知った三葉が言ったところでそう簡単には信じない。何故そう言い切れるのかというと既に実証済みだからだ。


 中学の頃も、人気で影響力のあったアイツらの言葉を信じた生徒がほとんどだった。



「……いや、別にいい」

「どうして?」

「どうせ信じないってのもあるが……その」

「?」

「お前だけが知ってくれているなら、それでいい」

「そ、そう…………」



 いつもポーカーフェイスな三葉だが、なんだか少しだけ動揺が伺えた。ほんのりと頬が赤いのはきっと俺の気の所為ではない筈だ。


 微笑ましさを感じつつ、思わず彼女の反応に俺も照れてしまう。しばらく無言のまま冷たい飲み物で身体の火照りを鎮めていた俺たちだったが、やがて目の前に座る三葉は口を開く。



「…………ねぇ大地くん」

「ん、なんだ?」

「貴方と知り合った頃に、一目惚れしたって言ったの、覚えてる?」

「お、おう」

「今でも好きな気持ちは変わらない。むしろ初めの頃よりも大きくなったわ。……だから、だからね? 明日から始まる春休みが終わったら、返事を聞かせてほしいの」

「三葉…………」



 春休みが終わったらというと、三年生へと進学するタイミングである。何故春休み明けなのかとも考えたが、そもそも彼女は話しかけてきた時から俺に対する好意を口にしてくれていた。俺がそれに甘えて返事をずるずると先延ばしにしていたのが原因なのだ。


 のだが、彼女がそう言うのならば俺はその時まで大切にこの気持ちは胸にしまっておこう。



「わかった。考えとくわ」

「えぇ、よろしくね?」



 そう言って喫茶店を出た俺たちは、隣に並びながらゆっくりと帰路に着いた。



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