叫び

木穴加工

叫び


 時刻:午後3時11分23秒54


 月度締めの会議はいつものことながら混迷を極めていた。


 西日の差し込む小さな会議室に20人近くの男がひしめき合い、今月の売り上げ数値について喧々諤々している。やれ景気がどうだ、やれ新人がどうだ、やれ競合がどうだ、その全てが理論という名の迷彩に隠した責任逃れとしか僕には思えなかった。


 そんな無意味な騒音に囲まれながら僕は何をしているかと言えば、実はまったく別のことで葛藤していた。


「ここで急に大声を上げたらどうなるんだろう?」


 きっと僕だけじゃなく、誰しもが一度は考えたことがあるだろう。

 学生の時、授業中に考えたことがあった。

 祖父のお通夜でもその衝動にかられた記憶がある。

 満員電車の不気味な沈黙の中で、やってみようと思ったことは一度や二度ではない。


 そのたびに僕はその衝動を抑えてきた。

 抑え込んで来たからこそ、僕はこうして社会の一員として受け入れられているのだ。


 しかし今回に限って言えば、その邪念の強さはこれまでの比ではなかった。何度も頭の中から追い払うが、そのたびにまるで壁打ちのように強くなって戻ってくる。


 手が震え、喉の奥がムズムズしてくる。既にそれは衝動を通り越して強迫観念と呼んでも差し支えないものになっていた。


 今まで通り我慢するんだ、と思っても、今まで自分がどうやっていたのか、僕にはもう分からなくなってしまっていた。


 あれ、そもそも今まで我慢できていたんだっけ?そう思った瞬間、僕の頭の中で何かが弾け飛んだ。



 何を叫んだのか僕は覚えていない。意味のない雄たけびだったような気もするし、不満を言葉にしたものだったような気もする、いや公衆の電波には乗せられないような卑猥な言葉だったのかもしれない。


 とにかく僕は、ありったけの声で叫んだ。


 シーン、と水を打ったように場が静まり返った。


(なるほど、こうなるのか)

 僕は何とも言えない満足感に包まれていた。「勝った」と思ったが、何に勝ったのかは分からなかった。


 その時だった。

 ばぁん、と勢いよく会議室の扉が開いたと思うと、2人の男が飛び込んできた。


 あまりもの出来事にすっかり固まってしまっている社員たちには目もくれず、男たちはこっちにまっすぐ向かってくる。


「おまえ、なんてことをしてくれたんだ!」

 先頭の、スーツを着た浅黒い男がすごい剣幕で怒鳴りつけてきた。

「ご、ごめんなさい」

 僕はなぜか反射的に闖入者に謝った。

「ごめんなさいじゃないよ! お前のせいで全部やりなおしだ。どれだけの人に迷惑がかかると・・」

「まぁまぁ」もう一人の男が言った。先程の男とは対象的に、くたびれたパーカーを着崩している若者だ。「この人に怒ってもしょうがないじゃないですか」

「今年に入ってもう8回目なんだぞ!こいつだけ!」

 スーツの男の怒りは収まらない。「毎回こうやって注意してるのに!」

「注意したって覚えてないんだから意味ないでしょ」とパーカー男。「さっさとやり直しましょうよ」

「次やったら交代させるからな!」

 スーツ男は吐き捨てると、パーカー男の後に続いて部屋を出た。


 ドアが閉まるや否や、まるで止まっていた時間が急に動き出したかのように、社員たちはいっせいに喋りだした。

「可児くん、さっきのは一体なんだね――」

「今入ってきたのはうちの社員か?見たことないが――」

「警備員をよべ――」


 次の瞬間、「カチッ」という音がどこかでしたと思うと、会議室は真っ暗になった。



 時刻:午後3時11分23秒54


 月度締めの会議はいつものことながら混迷を極めていた。


 西日の差し込む小さな会議室に20人近くの男がひしめき合い、今月の売り上げ数値について喧々諤々している。やれ景気がどうだ、やれ新人がどうだ、やれ競合がどうだ、その全てが理論という名の迷彩に隠した責任逃れとしか僕には思えなかった。


「晩御飯の献立でも考えてよう」

 と僕は思った。


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