幻影怪獣クライアス
鍵崎佐吉
01.出現
「いってきまーす」
そう言いつつ玄関わきの鏡をちらりと見やって、自分の姿を確認する。見飽きるほど着ていたこの制服も、こうして久々に着てみると意外と似合っているように思えてくる。スカートの裾と胸元のリボンに乱れがないのを確かめて、私は玄関から一歩外に出る。道を歩きながら、今日はどの辺にいるのかな、と思ってあたりを見回すと、すぐにそれは見つかった。
体長推定100メートル、黒いゴワゴワした感じの体毛に全身を包んだ巨大な影。といってもあいつに実体はないから日光を遮ることもなく、したがって影もない。一昔前のちょっと間違ってる恐竜図鑑に載っていそうなそいつは、今日ものんきに我が物顔で街を歩いていた。
それが現れたのは今からちょうど一月くらい前のことだ。特にこれといった特徴もない地方都市に突如として出現したそれは、まさに怪獣としか呼びようがない見た目をしていた。当然それを発見した住人たちはパニックに陥ったが、すぐにその違和感に気づいた。その怪獣は自由気ままに動き回り車や建物を踏みつぶしているはずなのに、街には一切被害が出ていないのだった。人々はその怪獣に大いにビビりながらも、とりあえず実害はないようだという結論を導き出し、あたふたと避難したりはせずその動向を見守ることにした。
やがて各分野の専門家を招集して対策チームが発足し、原因の究明と事態の解決にあたることになった。だけど彼らは今のところ、その輝かしい経歴と才能に見合うだけの成果は出せていない。わかっているのはあの怪獣が実体を持たない幻影であるということだけだ。彼らはこれを一種の集団幻覚みたいなものだと考えているようだけど、仮にそうだったとしても原因や解決方法はさっぱりわからないだろう。
一方住人の方はというと、面倒な仕事は全部彼らに押し付けて、まるで動物園に遊びに来たかのようにはしゃいでいた。あの怪獣が幻覚である証拠として、肉眼で確認することはできるが、映像には記録できないという事実がある。私もスマホで写真を撮ってみようとしたけど、画面にはただ青い空が映っているだけだった。つまりあれを見たいなら直接現地に来て目視するしかないのだ。最初はビビり散らかしていた人たちも、今となっては他所で暮らす人たちに自慢げに怪獣のことを語っている。たった一月ほどで皆この異常極まる事態に慣れてしまったみたいだ。そしてそのせいで臨時休校になっていた私の高校も授業を再開することになった。「怪獣が学校ぶっ壊してくれないかなぁ」というありがちな妄想はついに現実に膝を屈したのだった。
当然学校での話題は例の怪獣で持ちきりだ。そしてざっくり分けるとあの怪獣についてはオカルト派とSF派の二つがあるようだった。オカルト派としてはあれは古代の恐竜の怨霊だとか邪馬台国の守り神(?)とかで、SF派としては最先端のホログラムだとか情報生命体による人類への思考統制の実験(???)だ、ということらしい。
「美咲はどう思う? あれ」
「どうって言われてもなぁ」
私の向かいに座った彩花がまるで好きな人の名前を聞く時みたいに目を輝かせながら尋ねてくる。彩花は独学でタロット占いを習得したほどの人間で、やはりオカルト陣営に所属している。窓の外で尻尾を振り回している怪獣を横目で眺めながら私はぼんやり考えた。
「なんか、よく見ると意外にかわいいよね」
「ええ? そうかな」
「もふもふって感じではないけど毛も生えてるし、あと、かがんだ時に見えたんだけど耳みたいなのがついてた」
「それ耳じゃなくて角じゃない?」
学校が休みの間、私はあの怪獣の追っかけをやっていた。暇だった、というのが一番大きいけれど、目の前に突然現れた圧倒的な非日常に心惹かれたのも確かだ。怪獣がこっちを認識してるのかどうかは怪しいところで、あいつは暴れたり何かを襲ったりすることもなく、ただのしのしと街を歩き回っている。そのせいで若干道路交通に混乱が生じているらしいが、まあ自転車通学の私には関係ない。
「あ、ところであの話は聞いた?」
「いや、どの話?」
彩花はこんな風に時々会話が飛ぶことがある。他の女子からするといわゆる「不思議ちゃん」という感じの扱いだ。無害ではあるけれど、あまり近づきたくはない、というのが共通の認識らしい。しかし今やこの街にはそんなものを遥かに凌駕するほどの不思議の権化がいるのだ。そのお陰かどうかはわからないが、なんとなく彩花に向けられる視線も変わってきているような気がする。
「あの怪獣の名前、市が公募するらしいよ」
「市が? なんで?」
「対策チームはあくまであれは現象だからってことで、怪獣そのものに名前を付ける気はないみたい。でも市としては怪獣目当ての観光客にもっと来てほしいってことで、名前を付けることにしたんだって」
「へぇ」
今の日本なら「怪獣」といえばまず間違いなくあの怪獣を指した言葉なのだが、確かに固有名詞があった方が売り出しやすいだろう、というのはわかる。しかしあんな得体の知れないものをゆるキャラなんかと同列に扱おうというのも、なかなか市も思い切ったことをするなぁ、というのが正直な感想だ。
「私考えたんだけど、ブラックナイトメアっていうのはどうかな?」
「……ちょっと厨二病こじらせすぎじゃない?」
「ええー、じゃあ美咲なら何にするの?」
「え、そうだなぁ……」
自分のネーミングセンスにさほど自信があるわけではないけど、多分ブラックナイトメアよりはマシだろう。黒くて、大きくて、圧倒的に非日常的な、そう、まるで常識とか将来とか、そういう建設的な思考を否定するためだけに生まれてきたかのような、そんな存在。何度か口の中で呟いて、ふとあるフレーズが浮かんだ。それを確かめるようにゆっくりと口に出した。
「クライアス」
彩花の不満げな表情がすっと解けて、小さくその名を呟いた。
「クライアス……暗い明日ってこと?」
「んー、まあ、どっちかっていうと語感かな」
「クライアス、クライアス……なるほどね。幻影怪獣クライアス。うん、良い響き」
しれっと肩書みたいなのが追加されてるけど、とにかく彩花は気に入ってくれたらしい。私は窓の外の怪獣に目を向ける。人間に勝手に名前をつけられて、あいつはどう思ってるんだろう。まるで背伸びをするみたいに怪獣は空を仰いでいた。
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