第2話 ジルコン

「失礼、銀河管理局の者です」


 博士が管理局に連絡してすぐに、銀河ラボを訪ねる者がいた。その人物が見慣れた顔だったので、博士は安心してにこやかに笑って出迎えた。


「やあ、ジルコンじゃないか! よかったよ、来てくれたのが君で」


 部屋に招き入れられた管理局の女性は、咳払いをした。背筋をすっと伸ばして、透き通るような水色の髪を後ろへ払う。


「仕事で来ているのよ、レイ」

「わかっているよ。すまないが、ラボの中では羽をしまってくれないか?」


 ジルコンはうなずいてから、自身の背中に意識を集中する。星たちの光を一つずつ集めて作ったような、光輝く虹色の羽をジルコンは身体の中へとしまった。


「ありがとう。こっちだよ」


 博士は、男の子が眠っている部屋へジルコンを案内した。


 ベッドの上で静かに眠っている人間を見て、ジルコンは驚愕きょうがくした。そして、ゆっくり男の子へ近づき、ふるえる指でほおに触れた。



「あたたかい」



 そのまま、ジルコンは動かなかった。男の子のほおに触れたまま、ジルコンの時だけが止まってしまったかのように思われた。


 博士は、ジルコンが泣いているように見えた。


「ジルコン? どうしたの?」

「どうもしてないわ。ただ、その、驚いただけ」


 髪を後ろへ払いのけ、ゆっくり息を吐ききってから、ジルコンは言った。


「彼は、死者じゃない」


 向かい合ったジルコンは、もう仕事をする人の顔に戻っていた。


「直近の死者のリストにも、記載されていなかったし、死者を連れて行く時に、迷子になった人間はいなかった」


 ジルコンの説明に、博士は考えこむ。


「そもそも、この世界に生きている人間がいる、ということ事態が、あり得ないことなんだ。人間は地球でしか生きられない。それに、死んだ人間たちは、ジルコンたち管理局に迎えられ、この世界を通り過ぎる。ただそれだけのはず……」



 博士は、眠っている男の子に視線を落とした。


「彼は……人間では、ない?」


 はっとして顔を上げると、ジルコンがじっと博士を見つめていた。その顔がやはり悲しそうだったので、博士の淡い紫色の瞳が揺らいだ。


 ──彼女はなにかを伝えようとしているのだろうか?


 博士が疑問に思った時、ふいとジルコンは顔をそらした。


「答えを急ぐ必要はないのではないか。彼は人間かもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 そう言いながら、ジルコンも男の子に視線を移す。


「彼が目覚めるまで、待ってみるのはどうだろう。幸い、博士は人間の研究をしているじゃないか。研究対象が目の前にいるというのに、喜ばないなんておかしいぞ」


「たしかに、彼に興味はあるけれど……。管理局の方は大丈夫なのか? もし、彼が生きている人間だったら」


「管理局の事は、私に任せろ。管理局の方で対応するより、人間に詳しいお前が対応した方が良いではないか」


 ジルコンは昔から見切り発車なところがある、と内心博士は思いながらも、目の前の人間かもしれない男の子と話がしたい、という気持ちがわき始めていることも、認めない訳にはいかなかった。



 だが、に落ちないことだらけである。



 死者でない人間がこの世界にいること。人間でないなら、一体何者なのか。なぜ、月面に倒れていたのか。



 それに、ジルコンの態度もなにかおかしい気がする。



「なんだか、大切なことを見落としている気がするんだ、ジルコン。落ち着かないというか、ソワソワする」


「心配しすぎだ、レイ」


 ジルコンは博士の肩をポンと叩き、銀河ラボから出ようと颯爽さっそうと歩いて行ってしまった。


「ジルコン!」


 博士の呼びかけには答えず、ジルコンは羽を広げる。そして、振り返りもせずに、


「彼は、きっとお前にとって必要な存在だ」


 ぽつりと言葉を落とすようにつぶやいてから、ジルコンは飛び立っていった。


 光の輝きを残しながら、ジルコンがなめらかな藍色のそらに溶けるように飛んでいった。その跡を見つめながら、博士は肩でため息をついた。

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