形態模写の宴
そうざ
Pantomime at a Banquet
慰安で訪れた温泉旅館の宴会場は、笑いに包まれていた。それは談笑、言笑であったが、余興大会が始まるとその種類は多様化した。基本は一笑、朗笑で、
社長がご機嫌斜めになって行くのが、誰の目にもありありと判った。そもそも余興の強要は社長の酒癖だが、それが面白くないとなると怒り心頭は必至である。
「おぉいっ、そこのお前! 何か出来ないのかぁ~?」
社長の怪しい呂律から、末席にちょこんと座った顔色の悪い青年に皆の目が集まった。つい先日、臨時雇いになったばかりのアルバイトだった。矛先が自分以外に逸れるのならばと皆が
青年はふらふらと酒席の真ん中にまで出ると正座をし、ぼそぼそと何かを言った。聞き
誰もが直ぐに、蕎麦を食べる形態模写だと理解した。上手い事は上手いが、それ以上でもそれ以下でもない。面白味はなかった。
「おっ、『時そば』ってかぁ~っ」
思い掛けず、社長がかんらからと笑った。
社長が落語好きである事を思い出した社員が、そそくさと愛想笑いを添える。
青年は、器を持ち替える仕草の後、再び見えない箸で
それはもう蕎麦ではなかった。何故そう思うのか、理路整然と説明出来る者は居なかったが、誰の耳にも蕎麦から
改めて器を持ち替えて啜る。また饂飩だった。が、何かが違う。器を口に付け、
「カレーうどん……だ」
社長がぼんやり呟いた。
誰にも異論はなかった。自然と拍手が起きた。カレーの匂いさえ漂って来るようだった。笑いではなく、感心と感動の域に入っていた。
青年は淡々と続ける。今度の器は底が深くない。幾らかの慎重さと共に口の方から箸を迎えに行く仕種をした。そして、ほとんど咀嚼をせずに
誰ともなく、冷奴、と正解の声が挙がった。まるで自分の味覚まで刺激されそうな出来栄えだった。大きな拍手が起きる。
「もっとやれっ、もっとやれっ」
社長は、酔いも醒めんばかりに声を上擦らせる。
青年は無言を以ってこれに応え、次々と演じ分けた。煎餅、グラタン、
一同の目が羨望に変わろうとした頃、青年は、次で終りです、と初めて聞き取れる声で言った。そして、手にした道具らしき物を自らの首元に押し当て、右から左へと水平に走らせる仕草をした。
皆の脳裏に疑問符が浮かんだ。これまでは何かを食べる形態模写だかりだったのに、どういう事なのか。
次に、フルフェイスのヘルメットを取るような仕草をし、それを膝の上に据えると、先程の道具を突き立てた。何度も何度も突き立た。
宴会場の今にも決壊しそうな静寂の中に、舌嘗めずりを伴った咀嚼音が鳴り続く。
それは、初めて目の当たりにする、あり得べからざる光景だった。この上ない嫌悪と受け入れ難さを有しつつも、誰もが我が身の出来事として魅せられる求心力を秘めていた。その結果、或る者は嘔吐し、或る者は絶叫し、或る者は失禁し、或る者は失神し、幾人かは腰を抜かしたまま転げるように宴会場から逃げ失せた。正気を保っている者は居なかった。
やがて、青年の腕が止まった。咀嚼も止まった。その眼から光が消え、膝に抱えていたそれが床に転がった。見えない内容物が
その場にゆっくり横たわった青年の虚ろな顔と寸分違わぬ表情をしたそれは、いつまでも見詰め合うのだった。
形態模写の宴 そうざ @so-za
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