侵食 その2

 気付けば空は白み、夜が明けていた。

 その日、賢二は会社を休んだ。もちろん会社へは連絡を入れた。太鳳の通う中学校にも同様に休みの連絡を入れた。


 太鳳は眠ると言ってドアの向こう側へ行ってしまった。

 美里と賢二は椅子から立ち上がる気力もなく、ただ項垂れるばかりだった。太鳳の秘密は想像を絶するものだった。


 近々、初の実戦があると太鳳は言っていた。

 この時代に、この国で、まさか息子を戦場に送り出す羽目になるなんて、それこそ夢にも思わなかった。


 そして迎えた実戦日。

 夕方、太鳳が自室のドアに鍵を差して開けると石造りの部屋が現れた。

 そこに青年と少女が待っていた。

 青年は美里と賢二に会釈をし、少女はつまらなそうに顔を背けている。


「じゃあ」と太鳳は美里と賢二に背を向けた。美里は太鳳の背中に手を伸ばしたが触れられないままドアの向こう側へ行ってしまった。


 生きて帰ってきて。そんな言葉すら掛けられなかった。


 そのまま部屋に居座り、太鳳の帰りを待った。

 美里と賢二は一言も言葉を交わさず、ひたすら太鳳の無事を祈り続けた。


 一時間後、ドアが開いた。

 はっとして振り向くと、青年に支えられ、血まみれの、無惨な姿の太鳳が戻って来た。


 美里は声にならない悲鳴を上げた。

 太鳳の左腕がない。

 青年は太鳳をゆっくりとベッドに寝かせた。


「タオ!」

 呼びかけても反応がない。

 首に手を当てると脈はあった。

 賢二が救急車を呼ぼうとスマートフォンを取り出すと少女がそれを阻み、抑揚のない声で言った。

「この程度じゃ死なない。二、三日寝てれば治る」


 少女の言葉に美里が声を荒げた。

「何を寝ぼけた事を言ってるの。ここは夢じゃない、現実なのよ。どう見たって瀕死の重傷じゃない、邪魔をしないで」

 青年が美里と少女の間に割って入った。

「本当なんです。今のタオ君は常人の何倍もの治癒力を持っています。安静にしていれば数日で完治します」


 美里は聞く耳を持たなかった。

 そんな事を言われても信じられる訳がない。

 部屋を出て行こうとドアノブに手を掛けた瞬間、美里の顔の僅か数センチ横をナイフが掠め、ドアの壁面に突き刺さった。


「エラ!」

 青年が少女に向かって叫ぶ。

 美里が驚いて振り向くと、エラと呼ばれた少女の手に靄がかかっていた。二刀目のナイフが実体化される。

「助けを呼びに行くのなら、こいつは他の場所に隔離する。ここへは二度と戻さない」

 少女は淡々と脅迫した。


 美里は逆上し、少女と青年を激しく罵った。賢二が宥めても止まらない。

 彼らも太鳳と同じ立場で末端の戦闘員であろう事は察している。

 二人を責めたところで何の意味もない事も分かっている。

 しかし二人が無傷なのに太鳳だけ重傷を負っているのが納得いかなかった。


 青年は俯き、少女は顔色一つ変えずただ面倒くさそうにしているのが尚更美里の怒りを焚き付けた。

 決して子供に向けてはならない言葉を少女へ放ってしまった。

 賢二は反射的に美里の頬を叩いた。

 美里の口が戦慄き、大声で泣き崩れた。

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