花火

此木晶(しょう)

あるいは長い長い階段を照らす

 音は聞こえない。

 私は眼下の光景を無言のままみつめる。

 紅い、蒼い、白い炎が弾け、視界を色鮮やかに染めていく。まるで花火のようだ。けれど似ても似つかない。これは、全てを儚く消し去ってしまう炎の花だ。心和ませ、魅了する花火とは違う……。

 音はしない。

 けれど、私は耳を塞ぐ。

 聞こえるような気がするのだ。

 風切り音が、花開く音が、そして無数の声が……。

 また炎が広がる。二つ、三つ、四つ。呼応するように炎の種子が打ち上がる。

 あちらこちらから、空に帰っていく流星雨の様に次々と舞い上がる。

 見ていられない。

 私は視線を逸らそうとした。けれど動かせない。視線は炎の舞に釘付けにされたまま。

 開く度に命が散っていく。だからだろうか?禍禍しいが、美しい……そう感じるのは。

 音は聞こえない。けれど、凛と声がした。

「マスター」

 呼びかけに呪縛が解ける。安堵と未練を入り混じらせ私は視線を炎から引き剥がす。

「OCE、どうした」

 美女と形容していい美貌が唯一地球を見下ろす事が出来る展望室の中央にあった。身に着けているものは一見すれば薄衣。目を凝らせば女そのものが透けているのが分かるだろう。ついでに言えば、その体が僅かに宙に浮いている事も。

「報告します」

 聞く者の耳に心地よく響く様設定された声が続ける。

「先ほどのミサイルは、日の本地区より打ち上げられた『オウカ』、『キッカ』、『バイカ』、『レンカ』と判断します」

「そうか……。結局、日の本国も核兵器を保持していたという事か。何処へ落ちる?」

「『オウカ』はアメリア地区、『キッカ』はドルチェ地区へ。いずれも旧首都にセットされていると予想されます。『バイカ』と『レンカ』は攻撃目標がセットされていない為、近海の何処かへ沈むものと思われます。それから……」

 OCEの感情のこもらない(当たり前だ、彼女は第10世代コンピューターの端末なのだから)返答を聞き、私は重い吐息を洩らした。

 人類は三度目の世界大戦をどうにか乗り越えた後、それを教訓に世界連邦を組織した。『ムンドゥス』と名に世界を冠した宇宙ステーションを作り上げ、いよいよ宇宙へ進出しようとするほどに文明を発展させたにも関わらず滅亡を迎えるキッカケは、ひどく簡単で皮肉めいていた。

 それは。

 寝過ごした恐怖の大王の来訪でもなければ、時代錯誤な独裁者の登場でもなく、前時代の遺産、それの管理システムの故障で誤って打ち上げられた一発のミサイル。と、それに反応して自動的に発射された旧アメリア同盟国の保持していた核兵器だった。それらは旧国家の首都-すなわち世界連邦の主要地区-を正確に狙い撃ちし、世界はそう混乱することなく壊滅状態に陥った。

 以後も、一体何処に隠されていたのかと思うほど核を搭載したミサイルが各地から打ち上がり、世界を炎で満たした。世界連邦成立の際に破棄されたはずの核兵器が何故存在したのか、今となっては全て闇の中といった所だがおそらく人は結局の所他人を信じきれなかったと言う事なのだろう。

 太陽が地球の陰から顔を出し、光が地平線に沿って滲み始める。十分に染み渡ると光は地球の夜の面を侵食し始め、完全に昼へと変える。燃え盛る炎が陽光に霞み、変わり果てた地表を露にした。エメラルドとさえ喩えられたのは最早遠い昔の事だとでも言うように無残な姿を晒している。

「疲れた……」

 一番初めの核の炎が咲いた時からずっと見続けてきたが、私は『ムンドゥス』の正式可動の日までOCEのサポートを受けて管理をしているだけのただの人間だ。そんな私が人類の最期を見届けなくてはならないとは……。

 だがもういいだろう。

 先ほどのOCEから地上とのリンクが切れたと報告があった。OCEは通常、常時六基の同型機とリンクしバックアップ及び監視を受けている。同一にして他である彼女たちは地下三百mに安置され不心得者達の手が届かない所にある。その彼女たちとのリンクが完全に切れた。

 もういいだろう。もう十分だろう。

 私は、墓守になどなるつもりはこれっぽちも持ち合わせていない。

 様々な事情によって、『ムンドゥス』には自力で大気圏突入が可能なシャトルは搭載されていない。地上からの迎えを待つ他に地球へと帰る手段はなく、リンクが切れた今、私は『ムンドゥス』に捕らわれの身と言う訳だ。例え、人類が一握りでも生き残っていたとしても有人宇宙船を打ち上げるだけの技術も設備も彼らは最早持ってはいないだろう。

 暗く冷たい静寂に満ちた宙ではなく、せめて地球の、大地を感じられる場所で死にたいと願うのは罪な事だろうか?

「OCE……」

 短く呼べば、何処であろうと彼女は姿を現す。プログラムのなせる技ではあるが、そうと分かっていてもただ一人でいる身としてはそれが有り難いと思える。今も、私の側に寄り添うようにOCEの姿が映し出される。

 けれど、今私はどんな表情をしているだろうか。

 老人のような疲れた顔だろうか、子供の無邪気な笑みだろうか。チェシャ猫のような意地の悪い表情だろうか……。OCEの瞳は何も映さず、特殊加工の強化ガラスは有害な波長の光-例えば宇宙船や紫外線は一切遮断するが、それ以外の可視光は百パーセント透過させる為、表面に私の姿が映り込む事もない。

「高度を下げろ」

「出来かねます。規定第1条第2項……」

 人工衛星が何故地球の周囲をまわっていられるのか? 極論乱暴な言い方をしてしまえば、人工衛星の外へ行こうとする力と地球の内へ引っ張る力が均衡しているからで、力と距離と重力の極めて絶妙なバランスの賜物でもある。

 それは、『ムンドゥス』にとっても同じ事で、寧ろ数百倍の質量をもつ分だけ、ほんの少しのズレでさえ地球の重力に引かれ惨事を引き起こしかねない。

 だから、私の要求は絶対に承諾されない、本来ならば。つらつらと続けられる規定を無視して、私は偶然見つけたコマンドを口にする。どのような意図でこの強制コマンドが組み込まれたのか、私には知るよしもないが、今は製作者に感謝する事にしよう。通常のバックアップを受けたOCEならばすぐさま修正されてしまうのだろうが、今の孤立した状態ならば充分に効果を発揮するはずだ。

 果たして効果は抜群で、OCEはすぐさま規定を読み上げる事を中止し、私の要求をコマンドとして受け入れた。

「了解しました。ですがよろしいのですか?」

 その時私の胸に去来したものをなんと言えば良いのだろうか。

「構わない、やってくれ」

 プログラムだ、自分に言い聞かせながら押し出した言葉はOCE以上に感情が消えていたに違いない。

 ぐんと体が浮き上がり、降下が始まった。

 私は無言、OCEもまた無言。私たち自身が宙の一部になってしまったかのように、静寂。凍り付き何も手段を講じなければこのまま永遠に続くようにさえ思える。

 けれど、それは錯覚。容易く醒める泡沫……。

 足元が揺れた。いや、『ムンドゥス』自体が鳴動していた。

 どこか遠くで爆発がした。振動が伝わる。やおら警告音で周囲が満たされる。それとも、もっと前から聞こえていたのだろうか?

 無数に飛び交い開いては閉じる立体モニターに流れるデータから私は『ムンドゥス』の最後が近い事を知る。

「マスター」

 OCEを見る。OCEは姿勢を正し、真っ直ぐに私を見つめていた。そう私には見えた。

 そして「お別れです」と言った。無表情のはずのOCEに微笑が浮かんでいた、気がする。

 言って、大きく映像が乱れ、弾けて、消えた。

 それっきりだった。

 残ったのは、OCEの抜け殻とも言える巨大なステーション『ムンドゥス』だけ……。

 私は表情を無くしたまま外を見る。真っ赤に灼熱した強化ガラスの向こうに変わり果て、しかし私が焦がれた大地が迫ってきていた。『ムンドゥス』に纏わりつく熱と炎に地上の火は霞み、何もない荒野のようにも思えた。

 私は、……あのまま宙に留まっていた方がよかったのだろうか?朽ちるまで守人の如く地球を見守るべきだったのだろうか?神ならぬ人の身で……。

 知らず私は笑い声を上げていた。喉も潰れよとただ笑う。なにを望んでいたのか分からなくなったまま、それでも何かを願いながら……。

 ピシッ、強化ガラスに白く筋が入った。瞬く間にヒビは広がる。

 一際大きく『ムンドゥス』が振動する。ああ、遂に機関部が爆発を起こしたか……。

 炎が強化ガラスのヒビから忍び込む。大気との摩擦で生まれた灼熱が。炎が床より噴き上がる。機関部の融合炉により生み出された業火が。

 かくて、二つの炎の腕に抱かれ私は灰になった。

 だから、その光景は死の間際に私が見た幻なのだろう。しかし、私はそれが現実であって欲しいと願わずにはいられない。空中で四散した『ムンドゥス』の閃光が、花火のように鮮やかに、天へと続く長い長い階段を照らし出していた事を。

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