第二幕 合術の儀

「何だ、戎錬。同門とは思っていたが、やはり知り合いだったのか?」


 二人の僧侶の間の微妙な空気を感じ取った雷蔵が眉を上げる。問われた僧侶……戎錬が肩をすくめる。


「まあな。私が大律師であった頃に、金剛峯寺で後進育成の任に就いていた時の弟子・・の一人だ。その当時は随分不出来・・・な弟子であったがな。やはり退魔師は女に務まる役目ではないという事だ」


「……!」


 修行時代から全く変わっていないその怜悧な面貌と声音、そして女というだけで見下すような態度。妙玖尼は過去の記憶を甦らせて顔をしかめ身体を震わせた。


「いやいや、美濃で彼女たちと共闘する機会があったが、中々どうして立派な退魔師ぶりであったぞ? 務まらんというのは言いすぎだろう」


「ふ……皆伝は受けたのだからその程度は出来て当たり前の事。だがそれがこやつの限界であろう」


 過去に妙玖尼達と共闘した雷蔵はそう言って擁護してくれるが、戎錬は冷笑しただけだった。妙玖尼は唇を噛み締めた。師弟という事もあるが、何より仏門において僧階は絶対だ。僧侶の世界は外の人間には想像もつかないような厳格な階級社会なのだ。


 高野山にいた頃は大律師であった戎錬は、今ではその二つ上の階級である少僧都にまで成り上がっていた。一方で妙玖尼は僧階としては下位である律師に過ぎない。戎錬からどんなに侮辱的な扱いを受けたとしても、それに反論したり反抗したりなどは到底許されていないのだ。だが……



「ちょっと、坊さん。あんたが誰だか知らないけど黙って聞いてりゃ随分な言い草じゃないか。尼さんの退魔師としての腕前は一番近くで戦ってきたアタシが保証するよ。あんたがどんだけ偉い坊さんなのか知らないけど、実戦・・の腕前は案外尼さんの方が上なんじゃないかい?」


「べ、紅牙さん……」


 高野山とも仏門とも無関係な人間であれば話は別だ。紅牙はいつしか睨みつけるような視線を戎錬に向けていた。元盗賊である彼女だが意外に人当たりは良く、初対面でこのような態度になる事は珍しい。彼女は妙玖尼が悪し様に侮辱された事に本気で怒っているようだった。


 妙玖尼はその事に若干胸が詰まるような感情を抱いた。対照的に戎錬は不快げに眉を顰めた。


「ふん、最初から目に付いていたが、何と破廉恥な女だ。しかも女の分際で刀を帯びているとは。このような下品で派手な妓女・・を供に連れている時点で、お前に見る目がない事だけは確かだな。それともそちらの嗜好・・・・・・にでも目覚めて、慰み者として連れているだけか?」


「っ! あんだってぇ……? もういっぺん言ってみな、糞坊主!」


 面と向かっての悪罵に紅牙の目が剣呑に吊り上がる。ここまで直接的に侮辱されて大人しくしている『飛騨の紅天狗』ではない。刀の柄に手をかけて一歩踏み出す。しかし妙玖尼は腕を割り込ませて紅牙を制止した。


「紅牙さん、落ち着いて下さい」


「尼さん! でもこいつ……!」


「解っています! ここは私に話をさせて下さい!」


「……!」


 妙玖尼に強い口調で制止され、紅牙は目を瞠ってから渋々という感じで引き下がった。妙玖尼は視線と頷きで彼女に礼を伝えてから戎錬に向き直った。 


「……戎錬師兄。例え師兄であっても紅牙さんを侮辱する事は看過できません。彼女はこれまでにも数多くの妖魔を斬り伏せてきた、私の退魔行に欠かせない相棒・・です。今すぐ彼女に謝罪して下さい」


「ほぅ……律師の尼風情が大きく出たな。謝罪しなかったらどうするのだ?」


 だが戎錬は紅牙や妙玖尼の怒りを受けても何ら怯む事はなく、寧ろ口の端を吊り上げて冷笑さえ浮かべた。それを受けて妙玖尼も増々態度を硬化させる。俄に一触即発の空気が漂うが……



「まあまあ、落ち着けご両人。戎錬、お前もだ。いくら何でも言葉が過ぎるぞ。不快な思いをさせて済まなかったな、二人共。この朴念仁に代わって俺が謝罪しよう」


 それまで黙って成り行きを見守っていた雷蔵が両者の間に割り込んできた。このまま睨み合った所で戎錬が謝罪などするはずがない事は妙玖尼自身がよく解っていた。そうなると紅牙がまた激昂して、最悪斬り合いになりかねない。


 最初から敢えて緊迫した空気を作り出して雷蔵に仲裁させる事が目的であった。


「……分かりました。ここはあなたに免じて引き下がります」


 しかしそれをおくびにも出さず、彼の仲裁で渋々引き下がった体を装う。


「ち……余計な事を」


 戎錬が忌々しげに舌打ちする。しかしそれでも雷蔵を悪罵したりはしていないので、それなりに信頼してはいるようだ。先程も法術で助けたりなどしていた。


 美濃で出会った時雷蔵は単身であったし、戎錬のような知り合いがいるとも言っていなかった。恐らくこの信濃で妖魔退治の最中か何かに出会って、それ以後行動を共にしているといった所だろうか。しかしそれはそれとして……



「しかしこのような昼間から村に妖魔の集団が襲ってくるとは穏やかではありませんね。他の地域では考えられない事です。やはり戦の影響でしょうか?」


 素早く話題を転換する。というか退魔師や傭兵としてはこれが本題・・であるはずだ。話題を変えるのは雷蔵も賛成らしく、殊更に難しい顔をして腕組みした。


「ああ、恐らくな。しかも戎錬が言うには既に新たな『瘴気溜まり』がこの地に出現している可能性があるそうだ。俺達はそれを探して信濃を巡っている最中なのだ」


「な……『瘴気溜まり』が?」


 妙玖尼は目を瞠った。それが本当なら状況は悪くなる一方だ。



「……しかも一つではない。恐らく複数・・の『瘴気溜まり』がこの信濃の地に存在しているはずだ。それがこの異変の原因だ」



「……!!」


 戎錬の言葉に妙玖尼はさらなる驚愕に襲われる。嫌味な性格の男だが、退魔に関して嘘や適当な事を言ったりはしない。彼がそう断言するからには何らかの確信があるのだろう。


「だが差し当たってはこの安曇野の村だな。最近になって妖魔の襲撃の頻度が増えてきているらしい。襲ってくる奴等を倒すだけでは根本的な解決にならん。この妖魔の群れを率いている存在がこの山のどこかにいるはずだ。そいつを見つけ出して討つ必要がある」


 『瘴気溜まり』が複数発生しているとなると、そのような強力な妖魔も出現している可能性は十分にある。


「ふん、だったらこんな所で油売ってないで、さっさと山狩りにでも行くべきなんじゃないかい?」


 紅牙が鼻を鳴らすと戎錬は不快げに眉を顰める。


「出来るならやっておるわ。この辺りの山だけでどれだけの広さがあると思っている? 闇雲に探し回ったとて遭難するのがオチだ。肝心の妖魔がどこに潜んでいるかも、索敵範囲が広すぎて特定は困難だ」


 美濃もそうだが信濃も山深い地域であり、土地勘の無い者が道を外れた山野に迷い込んだら冗談抜きに命の危険がある。美濃で山賊暮らしが長かった紅牙も信濃の山はまた勝手が違うだろう。それに戎錬が指摘した問題もある。だがその戎錬が顎に手を当てて思案顔になった。


「だが……落ちこぼれとはいえ同門・・の退魔師が現れた事は僥倖かも知れんな。徳……いや、妙玖尼。仮にも皆伝を受けたなら『生命勘取』の術は使えような?」



「……! 勿論です。まさか……『合術の儀』を?」



 戎錬の意図を察した妙玖尼は確認の意味もあって尋ねる。『生命勘取』は索敵用の法術であり、妙玖尼もよく使う事がある。戎錬の言う通り退魔師にとっては標準技能・・・・と言って差し支えない術だ。


 『合術の儀』はその名の通り、二人以上の退魔師が同一の術を重ね掛け・・・・する事で、その威力や効果などを何倍にも高める事ができるというものだ。


 ただ重ね掛けと言っても術の詠唱や発動を完璧に合わせる事は難しく、また法術の腕前や法力に極端な差があっても成功しない。ある程度近い実力・・・・の退魔師同士でなければそもそも前提条件を満たせないのだ。


 戎錬がよもやその前提条件を忘れているとは思えない。その上で妙玖尼に対して『合術の儀』を提案してくるという事は……


「…………」


 表向きの態度や言動とは異なる、戎錬の内心・・を垣間見た気がした妙玖尼。しかし彼自身はその事に気づいていないようなので、当然それを口にするような藪蛇は犯さない。


「今は既に正午を過ぎ、今から索敵を行っても山に分け入っている間に日が沈む可能性が高い。故に『合術の儀』を執り行うのは明朝の辰一つ時とする。それに備えて今日はここに宿を取って休んでおけ」


 それだけ告げると戎錬は踵を返して、遠巻きにこちらを窺っていた村人達の方に歩いていってしまった。とりあえず襲ってきた妖魔を殲滅できた旨を報告するのだろう。



「ふ、済まんな二人共。あやつ口は悪いが、妖魔を殲滅し人の世に安寧を齎したいという思いは誰よりも強い男だ。全く不器用な奴よ」


 雷蔵が苦笑して取りなす。その性格を見抜いたからこそ行動を共にしている部分もあるのだろう。


「どうだ? 行動開始は明日だというし、襲ってきた妖魔共は殲滅したから少なくとも今日は安全であろう。互いの近況報告も兼ねて一杯付き合わんか? ここの飯屋は酒も中々美味いぞ」


 雷蔵はそう言って盃を呷る真似をする。当然というか乗り気な反応をしたのは紅牙だ。


「お、良いねぇ! 美濃じゃ飲む機会は無かったけど、アンタ酒もいける口かい? でもあの糞坊主と一緒は御免だよ?」


「はは、それなら問題ない。坊主だけあって酒の類いは一切嗜まんようだからな。俺に言わせればそれだけで人生の半分を損しているようなものだ。……あ、いや、価値観は人それぞれだな、うむ」


 妙玖尼も勿論酒は一切飲まなかったので、それに思い至ったらしい雷蔵が慌てて取り繕う。妙玖尼はにっこりと微笑んだ。


「構いませんよ。人生の半分を損している私達の事は気にせず、どうぞお二人で楽しんできて下さい。私は明朝の『合術の儀』に備えて精神統一をしなければなりませんし」


「あ、ああ、いや。それは、まあ……」


「はは! ほら、尼さんの精神統一を邪魔しちゃ悪いだろ? アタシらはアタシら流の『精神統一』を図ろうじゃないか。その美味い飯屋に早く案内しておくれよ」


 妙玖尼の事を気にしながらも、紅牙に引っ張られるようにして村の通りに消えていく雷蔵。それを見送って大きく嘆息した妙玖尼は、今夜の宿を探すために彼等とは逆方向の通りに踵を返していった。


 

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