第二十七幕 美濃動乱

 鷺山城は結局、道三側の『挑発』によって抗戦の意思ありと判断した義龍軍が強引に進軍して奪取してしまった。斎藤道三は自らに従う腹心たちを連れて北の大桑城まで撤収。


 この鷺山城を巡る事変によって美濃斎藤家の確執、そして内乱・・は一般にも知られる事となった。それはつまり美濃の地を狙う諸大名にも知れ渡ったという事だ。


「この上は最早一刻の猶予もならん。この内乱を美濃の弱り目と見た隣国の大名や豪族たちが動き出す前に、迅速に片を付けねばならん。即ち親父殿……斎藤道三を速やかに討伐・・する」


 稲葉山城の奥にある重要捕虜用の座敷牢。雫から事の顛末の報告を受けた義龍は、牢の中にいる妙玖尼と紅牙にそう宣言する。


「へぇ、そりゃ目出度いね。なら後はアンタ達の仕事って訳だ。アタシらはこれで晴れてお役御免だね」


 紅牙が座敷に胡坐を掻いた姿勢でふんぞり返る。彼女としてはまあそう思うのは当然だろう。後は『表』の領分だ。しかし……


「何を寝ぼけた事を言っている? 親父殿は人外の妖怪と化していたのだろう? そして明智光秀もお前達の言う『海乱鬼』とやらと同一人物だとすると、増々これは単なる政争や内乱だけには留まらん。この美濃を覆う人外の陰謀を阻止する。その時初めてこの『戦』は終結するのだ」


 義龍が当然のように告げる。そう。海乱鬼や道三、強力な人外の存在が蔓延っていると分かっている以上、退魔師である妙玖尼としてもそれを放置してあとは義龍たちに任せるという選択肢はなかった。


「紅牙さん、退魔師の使命とはそう容易いものではありません。あやかしの存在ある限り、例えどんな困難が待ち受けていようとも逃げるという選択肢はないのです。もしその使命に付いていけないというようなら……」


「わ、解ってるって! ちょっと吹っ掛けて・・・・・みただけだよ! アタシだって今更尻尾を巻いて逃げたりなんてしないさ!」


 妙玖尼としては本来退魔業とは関係ない紅牙に過酷な戦いから降りる選択肢を提示したつもりだったが、当の紅牙はそれには気づかず当たり前のように戦う事を選択した。その事に何故か妙玖尼はホッと胸を撫で下ろした。


 勿論今や紅牙は妙玖尼の生業においても重要な戦力なので、そういう意味でも抜けられたら痛いのは事実だ。だが今紅牙が去らないと知って安堵したのはそれだけが理由ではない気がした。妙玖尼は自分で自分の心に戸惑いを感じた。



「しかし……親父殿と光秀の狙いが孫四郎達ではなく、信長に家督・・を継がせる事にあったとはな。帰蝶を嫁がせた事で親父殿と同盟関係にはあるので、単純に隣国大名としての軍事的な意味での警戒は当然あったが……これはしてやられたな。親父殿がまさかそこまで見境いを失くしていた事に気付けなんだ」


 義龍が彼にしては若干自嘲気味な呟きを漏らす。だがそれは仕方ない事だろう。いくら娘婿とはいえ隣国の大名に家督を譲るなど、それは実質的に美濃を尾張に併合・・させると言っているに等しい。つまり信長に美濃を差し出すのと同義であり、明確な裏切り、反逆行為だ。酌量の余地はない。


 いくら隠居させられたとはいえ身分も生活も保障されていたし、仮にも先代の大名が外患誘致のような反逆行為に手を染めるなど、いかに義龍が切れ者であったとしても想定できるはずがない。


「あるいは……海乱鬼が、瘴気の力が道三を狂わせたのかも知れません」


「……せめてそうであって欲しいものだ。そして親父殿……いや、最早父とは呼ばん。道三・・が光秀に唆されたのだとしても、そうでなかったとしても俺のやる事は変わらん。反逆者を討伐し、侵略を企む敵を撃退し、この美濃に安定と安寧を齎す。その為にはお前たちの力も必要だ」


 重々しく頷いた義龍は父との完全な決別を果たし、改めて妙玖尼たちに向き直った。


「これが最後になると約束しよう。この地を蝕む邪なる人外共から美濃を取り戻す為の力を貸してくれ」


「……!」


 義龍が……現美濃大名が頭を下げた。一介の退魔尼僧と賊上がりの女剣士に向かって。後ろに控えていた雫が少し慌てる。


「よ、義龍様。大名たる貴方がそう軽々しく頭を下げるなど……」


「決して軽々しくはないぞ、雫。結果的には光秀の策略にしてやられたが、それでもお前たちがこの美濃に果たしてくれた役割は充分に大きなものだ。そしてそれはお前も同様だ、雫。道三を討って美濃を守る為に、お前の力も貸してくれ」


「……っ!」


 忍者である自分に向かってまで義龍が頭を下げてきたので雫は動揺の余り目を白黒させてしまう。少なくとも彼女の常識としては義龍の行動は考えられないものであった。


「ふ……あははは! こりゃ一本取られたねぇ。冷徹で腕利きの忍び様も形無しだね! そんなアンタの姿を見られただけでも価値があるよ。それに……こう見えてアタシも元は武家の女・・・・だ。大名が一介の浪人、それも女に頭を下げるなんてのがどんだけ決心のいる事かは解ってるつもりだ。そこまでされて断ったら女が廃るってモンだ。美濃の平定・・、アタシも手を貸してやるよ!」


 紅牙が豪快に笑いながら威勢よく啖呵を切る。図らずも彼女自身がこれまで語ろうとしなかった出自・・の一端を喋ってしまっていたが、それに自分では気づいていない様子であった。


「私は元よりこの地を侵す瘴気と、そこに巣食うあやかし共をこのまま放置する気はありません。是非ともお手伝いさせて下さいませ」


 妙玖尼の方も義龍に頭を下げて要望する。『表』に極力関わる気はなかった彼女だが、この期に及んではそうも言っていられない。


 そしてただ妖怪というだけでなく、この国で高い地位について独自の勢力も所有している道三と戦うには個人の力だけでは不可能だ。美濃大名たる義龍の後ろ盾があって初めて道三と同じ土俵に立てるのだ。その意味では彼女こそ義龍に協力を仰ぎ、感謝せねばならない立場であった。


 義龍は大きく頷いた。


「こちらこそお前達の働きには感謝している。約束しよう。今回の件が無事に片付いた暁には、お前たちは間違いなく美濃を大手を振って歩けるようになる。無論それだけではなく、その働きに応じた対価・・を支払う用意もあるぞ? 今まで道三が好き勝手してきたお陰でそこまで美濃の財政も豊かではないゆえに、流石に金銀財宝を山ほどという訳には行かんがな」


 対価と聞いて目の色を変える紅牙に釘をさすように補足しておく事も忘れない。妙玖尼自身は金銭や宝物などの対価に興味はなかったが、今回のような大掛かりな退魔を何の報酬も無しで紅牙に強いるのも気が引けていたので、彼女がそれでやる気になってくれるならと、敢えて辞退するような事はしなかった。



「道三は恐らく奴に従う将兵を全て繰り出して抵抗してくるだろう。無論兵力ではこちらが圧倒的に勝る。実際に戦となれば我が方の勝利は揺るがんだろう。だが……」


「……瘴気の力ですね?」


「それと尾張の信長もね。そうだろ?」


 妙玖尼と紅牙がそれぞれ呟いた二つの大きな懸念事項。義龍が苦い顔で首肯した。


「まさしくそれだ。道三は恐らく瘴気の力を用いて兵力差を埋め、頑強に抵抗してくるだろう。こちらに勝つ必要はない。援軍・・が来るまで持ち堪えればそれで奴の勝ちという訳だ」


 義龍としては厳しい状況だ。道三の軍を迅速に撃破できなければ、援軍でやってくるだろう尾張の信長と挟撃される事になる。だが道三の撃破も本来は問題にならない兵力差だが、今はそれを補う『瘴気の力』があるため、それを用いて頑強に抵抗された場合、信長がやってくるまでに道三を撃破できなくなる可能性が高い。


 いや、撃破どころかこちらも大きな被害を受けて信長の軍に対抗できなくなり、そのまま道三と信長によって滅ぼされる可能性さえある。


「ある意味で美濃の存亡を掛けた戦だ。俺自身が総大将として出陣する。だがそれだけでは足りん。その決めの一手・・・・・、お前達に担ってもらいたい」


「……!」


 話の流れからそう来るだろう事は予期していたが、それでも少し緊張して息を呑む。


「我が軍は正面から道三の軍とぶつかり合う。恐らく激しい合戦となるだろう。だが派手なだけに奴等の注意や意識もこちらに釘付けになる。お前たちは我が軍が奴等の主力を引き付けている間に裏から敵陣に潜入し、道三を暗殺・・するのだ」


 大枠では先の鷺山城での作戦に近い形だが、今回は紛うことなき本物の戦だ。しかも標的は小物の孫四郎など比較にならない大物、『美濃の蝮』斎藤道三自身。


 前回より、いや恐らく妙玖尼が退魔師として旅立って以来の大仕事となる可能性が高い。


(美濃を蝕む瘴気を祓う大役、何としても成し遂げてみせます……!)


 妙玖尼は怖れや緊張を上回る使命感と責任感に燃えて、待ち受ける困難と激闘の予感に身を震わせるのであった……


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