第二十二幕 陽動作戦
鷺山城は岐阜の街郊外にある鷺山の上に建てられた山城だ。鎌倉時代に築城され、一時は美濃守護所が置かれていた事もある由緒正しい城でもある。30年ほど前にはこの地の守護代であった土岐頼武と頼芸の内紛の舞台となった城で、斎藤道三が美濃で台頭する切っ掛けともなった。
そんな経緯のため今でも隠居した道三の居城となっており、また幾度もの戦を経て強固な要塞と化している山城であった。
「つまり喜平次の屋敷に忍び込むのとは訳が違うという事だ。山城は見通しがよく、城郭の四方に設けられた櫓からは、鷺山に近付く者は全て見張りに発見されるだろう。夜の闇に乗じたとしても城を囲む高い城壁が侵入を阻む」
岐阜の街の郊外。鷺山城を視界に収められる位置にある寂れた納屋に、妙玖尼と紅牙、そして雫の3人が身を潜めていた。雫の言葉に紅牙が鼻を鳴らす。
「ふん、それによしんば潜入できたとしたって仮にも先代の御隠居さまが入ってる城とあっちゃ、城内に詰めてる兵士だってそれなりにいるだろ? 質の悪い破落戸傭兵なんかも雇ってるみたいだしね」
「……今からその話をしようとしていた所だ。一々話の腰を折るな」
雫が不快気に眉を顰める。だが紅牙もそんな物で怯むような根性は持ち合わせていない。
「ああん? だったらアンタも勿体付けた言い方してないでさっさと要点を話しなよ。忍者じゃなくて噺屋の方が合ってんじゃないかい?」
「……! 貴様……」
確かに普段寡黙な忍者の割には芝居がかった話し方をする事が多いのには妙玖尼も気付いていたが、雫自身にも多少そういう自覚があったらしい。図星を指された羞恥も手伝ってかその浅黒い顔にサッと朱が走り、思わずといった感じで小刀の柄に手が掛かる。
「なんだ、やる気かい?」
そうなると紅牙の方も売られた喧嘩は買うタチだったので、自身の刀の柄に手を掛けた。俄かに一触即発の空気が流れるが……
『オン・アミリティ・ウン・ハッタ!』
二人の間の丁度中間地点で空気が弾けて
「「……っ!!」」
腕利きの二人だが流石にこれには度肝を抜かれたらしく、大きく身を仰け反らせてたたらを踏んだ。彼女らが思わず視線を向けた先には、片手の掌を突き出した姿勢の妙玖尼がいた。
「なるほど、解りました。あなた方はとても
「は、はあ? 何だって?」
「こいつと仲が良いだと? 聞き捨てならんぞ」
妙玖尼の言葉に当然2人とも冗談じゃないという風に目を吊り上げる。しかし妙玖尼の笑顔は一寸も崩れない。
「だってそうでしょう? 『喧嘩する程仲が良い』という諺が昔からあるくらいですから。あなた方のように顔を合わせて口を開けば喧嘩ばかりするのであれば、実際にはさぞかし仲が良い
「……っ!」
紅牙と雫は揃って固まった。当然だが彼女らは断じて『大親友』などではなく心底から嫌い合っているのだが、この場でそれを訴えれば訴える程言い訳がましくなり、妙玖尼には増々『大親友』と見做されてしまう。
互いを罵り合うのも同様だ。結果として自縄自縛に陥った二人は何も言えなくなってしまう。皮肉にも『こんな奴と仲が良いなどと思われたくない』という思いが、二人の喧嘩を
無論妙玖尼は
「オホン! ……話を続けるぞ。とにかくそういう訳で鷺山城には見張りや巡回含めて多くの兵が常駐している。私1人でも難しいが、ましてやお前達を連れた状態で誰にも見つからずに標的の元まで到達する事は不可能だ。そして
これ以上紅牙との口論を続けるとドツボに嵌まるだけだと判断した雫が、咳払いして何事もなかったように話を再開する。しかし相変わらず結論や要点を先に言わない勿体付けた話し方で、これはもう性分のようだ。
苛立った紅牙が反射的に口を開きかけて、寸でのところで制動する。よい判断だ。先程と同じ事を繰り返したら、今度はその脳天に弥勒の柄が打ち付けられていただろう。
「だがその兵共が邪魔なら……残らず城の外に追い出してしまえばよいのだ」
「え……?」
紅牙だけでなく妙玖尼も思わず雫の顔を仰ぎ見る。彼女は我が意を得たりとばかりに口の端を吊り上げる。
「城に詰めている兵達を追い出すなど、そんな事が可能なのですか?」
「城に火でも点けるのかい?」
2人共我慢できなくなってつい疑問を呈してしまう。2人のそんな反応を引き出せた事が嬉しいらしく、雫は増々得意気な様子になってかぶりを振る。
「城兵を残らず追い出そうとしたら、あの城を丸ごと焼け落すような大火でなければ不可能だ。そのような大掛かりな支度を誰にも気づかれずに実行する事は出来ん。では他にどんな手があるか……」
雫はまた勿体付けたように結論を先延ばしにする。いい加減妙玖尼さえ焦れ始めた時、ようやく彼女は
「城に詰める兵士達が出払うとしたら、それ即ち
「……!!」
*****
その日、岐阜の郊外にある鷺山城のすぐ近くの平野において、義龍軍の
演習とはいってもいつ何時他国から攻められるかも知れない戦国の世の事、その
そして実際にその3000の義龍軍は
これに驚いた道三は、喜平次が暗殺されていた直後という事もあって義龍が鷺山城を攻めて自分を討ち取るつもりかと警戒し、自身に従う竹中重元や石谷対馬守らにかき集められるだけの兵を集めて
結果として数千同士の軍隊が睨み合って、「即刻撤収しろ」「いや、これはただの演習で御隠居に指図される謂れはない」「演習と称して鷺山城に攻め入る気か」「そのような命令は受けていないが、そうされる心当たりがお有りか」と、一触即発の応酬を繰り返す事になる。
城のすぐ近くで数千の軍隊が展開して睨み合っているのだ。鷺山城にいたほぼ全ての将兵の注意は完全にそちらに吸い寄せられ、城内に僅かに残っていた見張り番や使用人達の意識も同様に、これから始まるかもしれない『戦』に向けられていた。
*****
「……という訳だ。今頃は義龍様の命を受けた稲葉殿や安藤殿らが存分に、城に詰めていた将兵共を引き付けてくれていよう。今なら残っている連中の意識も軒並みそちらに向けられている、絶好の潜入機会だ」
隠れ場所の納屋から出て鷺山城に向かって進みながら雫の話を聞いていた妙玖尼達は、ようやく得心がいって頷いていた。
「ははあ、考えてみりゃ義龍公は美濃の君主なんだ。確かに軍を使うなんてお手の物だろうね」
「しかし3000もの兵を動員しての陽動とは……。これでは私達の任務も完全に
大胆な作戦に感心する紅牙とは対照的に、妙玖尼は憂いを帯びた表情で嘆息する。雫はかぶりを振った。
「喜平次を暗殺しておいて何を今更。これはもうれっきとした『戦』だ。道三と義龍様、どちらかが倒れるまでこの『戦』は終わらん。他国に攻め入って敵方の大名を討つのと同じ事だ」
既に事態はそこまでのっぴきならない所まで来ているという事だ。喜平次の死がその最後の後押しをしたとなれば、確かにそれを為した自分達が何を今更という物だ。
表の政治や戦に極力関わりたくなかった妙玖尼だが、討伐すべきあやかし共の方からその『表』に出てこようとしているのだ。もうここに至っては覚悟を決める他なかった。
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